浦和市民オペラの会「椿姫」
いつもチケットを買う段階では訳詞上演なのか原語上演なのか、字幕付きなのか字幕無しなのか、そういったことは気にしていないので、幕が上がって最初の一声で「今日は訳詞なのね」とか「字幕無しの原語か…」と初めて気付いている。今回もそうで、幕が上がって初めて訳詞であることを知った。いつもはそう感じただけで特に何とも思わないのだが、今回は日本語の「椿姫」に何となく抵抗を覚えた。帰ってから過去のノートを調べてみると、「椿姫」の訳詞を聴いたのは7年ぶりであって、その後「椿姫」は6回観たがすべて原語上演だった。「フィガロ」なんかだと、原語上演と訳詞上演が半々ぐらいで、どちらでも気にならないのだが、「椿姫」になると原語に慣れているのか、訳詞には最後まで違和感があった。(訳詞自体は聞き取りやすく、現代語でわかりやすかった。)
「椿姫」を訳詞で上演するだけあって、浦和市のオペラの方針は、地域の市民に一人でもオペラを親しんでもらおうという姿勢のようだ。演出も舞台装置も特筆すべきことはなく、きわめてオーソドックスに進んでいた。今春の千葉市の「椿姫」のように、黒づくめの舞台と衣裳で現代感覚の演出を施した上演だと、オペラに華やかさを期待して来た大多数の観客をがっかりさせることになるが、オペラ好きにはたまらなく興味を引いてしまう。市民オペラなのだから、地域のオペラ人口を増やすためにオーソドックスになるのは、ある程度やむを得ないところだと思うが、他の街からわざわざ来るには物足りなさを感じる。市民オペラでも藤沢市のように近県からの集客力があれば、結果的にその街のオペラをより市民に浸透させることになるだろうし、街としての経済効果もいくらかはあるだろうに、と思う。
キャストについては、端役までプロを起用していて堅調だった。(そうなるとかえって原語で聴きたかった。)オーケストラは、管楽器群の音の強弱の差が大きすぎて優しさが感じられなかった。弦の方は良かったので、前奏曲などは満足。
舞台はごくありふれていたものだったが、最後の場面だけ、「ボエーム」の屋根裏を想起させるような悲惨さが漂うものになっていた。演出もふつうだったが、フローラの夜会でアルフレードがヴィオレッタに札束を投げつける場面で、アルフレードの投げた札束をヴィオレッタがよけて、オケ・ピットのコントラバス奏者を直撃したのは、他では見たことのない演出だった。
(7月17日 浦和市文化センター)
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