東京二期会「フィガロの結婚」

 東京二期会は、昨年(1998年)の夏にも「フィガロの結婚」を新国立劇場のオペラ劇場で上演している。今回は新国立劇場の小劇場での上演だったが、1年と少ししか経っていないのに、同じ団体が同じ演目を全く別のプロダクションで取り上げるというのも興味をひく。しかも新国立劇場小劇場というのは私の大好きな劇場。少ない客席数で濃密な舞台空間になることはまちがいない。おまけに前回のオペラ劇場での「フィガロの結婚」は、いまひとつ緊張感のない舞台でおもしろいとはいえなかったから、なおさら小劇場での公演に期待してしまう。

 舞台全体から音楽と演出を同等に重視しているのが感じられる内容だった。演出を重視しているといっても、奇をてらっているわけではない。むしろ作品の展開を忠実にわかりやすく表現しようとしている。確かに衣裳などをみると、モーツァルトの時代ではないことはわかる。しかし現代でもない。特に時代や土地はこだわっていないように思える。設定にはこだわらずに、感覚だけ現代に応じて、作品本来のおもしろさを出そうとしている感じだ。

 特にピンにからむ演出がとても明快だった。ピンそのものが大きくて目立つし、客席も狭いのでそれだけで良く分かるのだが、第3幕の終わり伯爵夫妻以外全員が踊る場面を、ほとんど全員足踏み程度の踊りにとどめ、ごちゃごちゃした人の動きをいっさい排し、観客の視線をピンに集中させた。スザンナが伯爵にピン付き手紙を渡してから、バルバリーナがピンを落としてしまうまでが舞台のなかで浮かび上がっていたのだ。しかもこの作品で一番華やかなこの場面の雰囲気は損なっていず、思わず唸ってしまうほど感心した。おまけに、第4幕への場面転換で、舞台の掃除に出てきた黒子がバルバリーナの落としたピンを「いいもの見つけた!」とばかりに拾って持っていってしまうのである。第4幕冒頭でバルバリーナがピンを探しても見つからない理由にもなるし、現実に舞台転換という役目を果たしているのだから、なかなかのアイデアだ。

少し分かりにくくなっていたのがマルチェリーナで、とてもきれいだった。衣裳も夜会風で美しく、雰囲気がフローラ(椿姫の)といった感じ。見た目にはいいが、フィガロの母親とは信じられずに驚いてしまった。

 舞台装置は、直線と螺旋の複数の階段を自在に組み合わせ、小さな舞台を大きく使っていた。

 キャストも小さな空間で無理なく歌って演じていて、役になりきっていて違和感無し。若干、伯爵夫人の出だしが不安定だったぐらいで、これもアンサンブルに入ると安定してきた。指揮高橋大海、演出平尾力哉。

 毎度同じことで恐縮だが、新国立劇場の小劇場はとても雰囲気がいい。私としては東京で一番。芝居小屋のような感じで、ヴェルディなんかは上演不可能だろうけど、ロッシーニのファルサより古い時代か、現代の作品では緊密な舞台が創れると思う。

(11月27日 新国立劇場小劇場)

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