ハンガリー国立歌劇場「蝶々夫人」

 この国での平日のオペラの公演は、大抵午後6時半開演である。ワーグナーだったら5時前から始まったり、1幕ものだったら7時だったり、そういった多少の前後はあるにしても、まずは6時半というのが基本となっている。しかし、この6時半というのは、会社勤めをしていると、よっぽど勤務先と会場が地理的に近くないと間に合うのは難しいのではないかと思う。定時上がりが可能かどうかいう事情は個別の問題だとして差し当たって考慮しないにしても、その「定時」自体が6時以降だという事務所や店舗は多いと思う。しかも日本の街は東京圏も関西圏も結構広い。仕事が終わって、同僚の視線を振り切って駆けつけても、物理的に無理な人が過半数ではないか、そう思う。それとも、自由に早退できたり、フレックスタイムの事務所は結構多いのだろうか。

 ここで唐突ではあるが、私の勤務地遍歴を(興味はないと思われるが)披露すると、高松市、高知市、高知県高岡郡梼原町を経て現在千葉市である。オペラ鑑賞に比較的好立地と思われる今の千葉でも、仕事が終わった後に、東京都心の公演に間に合うのは不可能である。上演側も、いろいろな法や条例、その他の制約から6時半と設定しているのだろうから、開演をもっと遅くしてくれというのは無理な話だと思うので、ここは散財防止のために諦めざるを得ないのかもしれない。

 稀に勤務場所の近くでオペラ公演があっても、その日の仕事の都合で間に合うかどうかわからないので、安心はできない。今回、ハンガリー国立歌劇場の千葉公演は、多忙な時期だったので(その上、転勤の可能性もあったので)、前売チケットは取らずに、仕事が終わってから直接会場に赴いて、当日券で鑑賞した。

 日本では日本人以外の演出による「蝶々夫人」を鑑賞するのは、なかなかできない。できたとしたら、話題性のある斬新な演出家になってしまう。(私の鑑賞歴では、オーチャードホールのパウントニー演出の公演だけだ。)それは極めて日本的な舞台か、一風変わった舞台か、どちらかしか観れないということにつながってしまう。そういう意味から、今回のハンガリーの舞台は、一見して日本が舞台であることは分かるものの、微妙に違うところもあるという、今まで味わったことのない舞台になっていた。それは新鮮な美しさであった。例えば蝶々さんがドレスを着ている。いままでそういう場合は、舞台装置自体も日本家屋ではなく別物の設定であった。それが、ここでは見慣れた和風の蝶々さんの家でドレスを着ている。そういったことが、新鮮な美しさを感じる。

 音楽的な満足は、日本の演奏家の方が泣ける。もしかしたら、それこそ感覚的な違いかもしれず、ヤマドリのイタリアオペラ風の処理などは、思いもよらぬことであった。(とはいえ、やっぱりスーツを着たまま涙をこぼしてしまったのだが。)

 オペラを観た後は、いつもの疲れた通勤電車も違うものであった。

(11月2日 千葉県文化会館)

戻る