新国立劇場「エフゲニー・オネーギン」

 私の好きなオペラの中に、といってもほとんどすべてが好きなのだが、特に好きなオペラの中に「ばらの騎士」と「ニュルンベルクのマイスタージンガー」がある。また、それと同じ系列として「トゥーランドット」も特に好きなオペラの中に入っている。音楽が好きなのは大前提として、これらの物語の何が好きなのかというと、恋の諦念である。恋が成就しないオペラは、全オペラの半数ぐらいを占めているかもしれないが、重苦しい悲劇にならずに恋を諦めるのがいい。そういう意味でマルシャリンとハンス・ザックスは双璧をなしている。ぐっと諦めながら、若いカップルの誕生を祝福するなんて、オペラの登場人物としては珍しく人間的に成熟している。リューも片想いの相手の恋のために、自分の恋を諦めるのだが、最後に自分の想いをぶちまけて(どうもトゥーランドットを動揺させることはできても、カラフには伝わっていないような気がするが)、自殺してしまうところが、前の二人よりちょっと諦めの感動が少ない。

 「エフゲニー・オネーギン」も特に好きなオペラのひとつなのだが、やはり恋の諦めが含まれている。しかもタチヤーナは二度も諦めているのではないか。一度目はまだ若いので精一杯の行動をとってふられるが、その後もオネーギンと自宅で普通に顔を合わすなんて、相当な諦念を感じていたと思う。二度目はタチヤーナの方がふるので、そこに恋の諦めがあるかどうかはそれぞれの鑑賞者によってとらえ方は違うと思うが、私はそこに大きな諦めが含まれていると思う。しかも一度目のラブレターの時と違って、マルシャリンやザックスに似た成熟した諦めがあるように思う。やっぱり最後は、オネーギンでなく、タチヤーナの心情で私は涙を流してしまう。

 今回の新国立劇場公演は、ボリショイ劇場の来日公演の時もそうだったが、(同じポクロフスキー演出でもあるし、)土の香りのする舞台だった。さすがに合唱からはロシア風味が感じられなかったが、舞台全体は土っぽかった。私としては、タチヤーナの成長を重点においてほしいので、もっと透明感のある舞台の方が好きである。

 音楽的には概ね良かったが、話の進行とともに感動を呼び起こすまでには至らなかったのは、そもそも作品自体が難しいからだろうか。正式にはオペラではないのだから、劇場で観るよりは、部屋でひっそりCDを聴きながら(持っていないが)、自分勝手に悶々と感動する方がいいのかもしれないと思った。

(11月3日 新国立劇場)

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