藤原歌劇団「マクベス」

 私のオペラ鑑賞歴もそう長くはないので、昔のことは確かなことは言えないのだが、「マクベス」が日本でも結構上演されるようになったのは、ここ10年くらいではないだろうか。私もこれが3度目の「マクベス」になるが、「ドン・カルロ」や「オテロ」よりも多いことになる。しかも過去2回は市民オペラでの鑑賞なのである。よく聴けば耳障りのいい音楽だし、物語もおもしろいし、舞台作りも知恵の絞りがいがあるし、合唱の出番も多いし、そういったことあたりがよく上演される理由だと思う。

 今回の藤原歌劇団の公演は、私の印象では、まず賛否両論のありそうな舞台美術に注目されるように思えたが、意外と客席の反応は舞台美術にはそれほど良くも悪くも思っていないような雰囲気だった。舞台美術のズヴォボダ(プログラムの表記では「スヴォボダ」となっていたが、チェコ人の場合、こういう綴りは「ズヴォボダ」と呼ぶ方が正しいとはず。)のセットは、すでに日本でも何度か紹介されているので、ある程度皆さん予想はついていたらしい。シンプルな舞台はうまく効果を上げれば、観客の集中を音楽と心理に集中させることができるのだが、悪くなれば単に寂しいだけの舞台になってしまう。今回は音楽に集中できたから良かった方なのだが、やはりヴェルディはもっとコテコテした舞台の方が似合っているような気もしてきた。

 それよりも、これは演出の方の責任だが、合唱の動かし方がとても奇妙で、奇妙なのは魔女たちはまだ理解可能だが、その他はよく分からなかった。それと、キャストも合唱も全員、顔を白塗りしていて、表情がいまひとつよく分からないのも残念だった。もしかしたら、すべての人は、魔女も含めて、同類というような意味が含まれていたりしたのかもしれないが、私の感性ではそういったコンセプトが何なのかまでは理解できなかった。

 一方、キャストは(日本人キャストの日であったが)みんなずばらしく、白塗りで表情が分からないにもかかわらず、歌唱だけで十分に感情が分かるほどであった。合唱も、這いつくばったり転ばされたりしながらも、さすがに立派に歌っていた。久しぶりにイタリアオペラを聴いた、という気分にさせてもらった。あと僅かで名前の消える新星日本交響楽団の演奏も、自信のあるしっかりした演奏でとても良かった。

 ヴェルディ・イヤーとはいえ、21世紀最初のオペラ鑑賞を「マクベス」で開けるのも結構地味である。

(2月3日 東京文化会館)

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