新国立劇場「仮面舞踏会」

 ヴェルディの作品として一番好きなものは「ファルスタッフ」で、これは私としてはずっと不変なのだが、「仮面舞踏会」の場合はヴェルディという枠組みを取って、オペラとしておもしろいと思っている。音楽的に多彩で耳障りも良く、芝居としても不倫と陰謀に占いの伏線を絡ませておもしろいし、幕の構成も舞台の設定も上演時間的にも、劇場で観るにはとてもおもしろくまとまっている作品だと思っている。今回、新国立劇場の5回公演のうち、たった1回しかない日本人キャストだけの公演に出かけたのは、特別お目当ての歌手がいたからではなく、純粋に「仮面舞踏会」の公演に出かけて、「オペラを観た」という気分に浸りたかったからである。

 ところで、「仮面舞踏会」を舞台で初めて観たのは10年前で、それ以来4回目になるのだが、感動する場面が変わってきている。私が紛れもなく若かった時は第1幕の二つの場の華やかな音楽にただただノッてしまって感動するばかりであった。それがやがて第2幕の二重唱でのプラトニックから開放された恍惚感あふれるシーンに感動するようになった。確かにこの場面がこのオペラの頂点である。そう思っていたら、今回の公演ではもう少し先の第2幕の幕切れで泣いてしまった。ちょっと具体的に言わせてもらうと、アメーリアにとっては夫以外に好きになった人がいて、しかもお互いに好きだと言ってしまったものの実際には何もしていない。夫は明らかに大きな誤解をしているが、全くの誤解でもない。夫に謝る筋合いもないが反論するには後ろめたい。何とも言えず、怒っている夫の後をしずしず家までついていくしかない。これが夫婦でなければ、そこでアメーリアは謝るか反論するか別れるか何かできたはずだ。夫婦であるがために何も言えず黙って夜道を夫についていくしかなかった。そこに夫婦の絆を(別の表現をすれば滑稽さを)感じて、思わず泣いてしまった。今回はこの第2幕の最後で感動したが、この分でいけば、あと何年かたつと第3幕に新たな感動の場面が移るかもしれない。

 市原多朗のリッカルドと立野至美のアメーリアもとても良かったが、それ以上に堀内康雄のレナートが最高だった。前半の従順な時よりも、後半の陰謀に燃えている時の方が合っているようにも思えた。外国人キャストがどうだったか分からないが、日本人キャストでも大満足である。指揮は菊池彦典、初演時のパオロ・オルミよりは随分良く鳴っていた。(私の席の違いによるのかもしれないが。)

 誤解のないように申し添えておくが、第2幕の幕切れに感動したからといって、それは抽象的なもので、実体験に基づくものではない。

(5月19日 新国立劇場)

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