東京都民オペラソサイエティ「さまよえるオランダ人」

 単純にオペラに恋愛物語を期待して出かけると、「さまよえるオランダ人」の展開は物足らなさすぎる。一目惚れした二人の結婚に、娘の父親が大賛成なのだから、さして波乱はない。元カレだか片想いだかのエリックの反対も、ストーカー化するほどのおそろしさもない。最後のオランダ人の誤解は、順調な恋愛にむりやり自分から波乱を起こしているようでしっくりこない。

 普段からオペラを観ている人でない限り、「オランダ人」のテーマが乙女の自己犠牲による救済だということは、そうそう理解できないはずである。そういう意味で、市民オペラがワーグナーを取り上げるなんて、演奏する側の力量が大変だということと同時に、観客の対応力量からも大変なことだと思う。市民オペラの観客は、やはりほとんどが一般市民であって、ワーグナーの音楽よりプッチーニの音楽の方がいいとは判断しないだろうけど、ワーグナーの精神劇よりもプッチーニの恋愛悲劇の方がいいとは判断するはずである。したがって、旗揚げして間もなかったり、公演の間隔が長い団体は、イタリアものに偏ってしまうのはやむをえないところだと思う。

 東京都民オペラソサイエティは、第1回の「ドン・カルロ」から比較的規模の大きい作品を好んで取り上げ、しかも年2回公演をもっているところからして、そろそろワーグナーに挑んでも演奏側の力量からは問題ないだろうと思い、久しぶりに公演に出かけてみた。「さまよえるオランダ人」も久しぶりである。(公演とは関係ないが、「オランダ人」は日本では公演が重なる当たり年があって、前回は9年前の1992年だったが、今年も他に公演があり当たり年になっている。それ以外の年はほとんど上演されない。)

 この団体の公演は、大規模作品の舞台装置を少ない材料で的確に作り上げていることに、いつも感心させられる。今回もオランダ船の出現は、簡潔ながら十分な迫力を保っていた。2幕と3幕の音楽が途切れない中での舞台転換も、幕の向こうで焦って装置を変えている様子が伝わって、これが外来や新国なんかだとワクワクだけして待つところに、ドキドキヒヤヒヤまで加わって、なかなか味わえない楽しさだった。

 合唱もアマとは思えないほど力強く、前に聴いたときよりも安定していた。ただ、幽霊船の合唱にはもう少しおどろおどろしい雰囲気がほしかった。オーケストラも力強く、日本のワーグナーとしては十分だったと思う。

 キャストも、ゼンタの岩井理花やダーラントの菅野宏昭あたりは、他のワーグナー作品でも聴いてみたいと思うほどの出来だった。オランダ人の水野賢司は、合唱と同様で、もう少し影のあるような雰囲気があればよかった。

 総じて、演奏する側の力量としては、「オランダ人」を取り上げたことは間違いではなかったと思う。一方、観客側の順応度はなんともいえないものがあった。

(10月13日 文京シビックホール)

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