東京二期会「ホフマン物語」

 本当のところは、オランピア−ジュリエッタ−アントニアなのか、オランピア−アントニア−ジュリエッタなのか、詳しく調べたことはないので分からないのだが、私の気持ちとしては前者の順の方がすっきりいくように思える。学生の頃から愛読している簡単な解説集には、前者の順が本当で、後者の順による上演もある、としているし、今まで観たり聴いたりしてきた「ホフマン物語」も前者の順だったので、これが正しいと思っていた。しかし、今回の東京二期会の公演ではアントニア−ジュリエッタの順で上演されて、プログラムには本来はこの順番であるとの解説もあった。確かにエピローグでホフマンが「オランピア…アントニア…ジュリエッタ…」とつぶやいていることが、前々から気にはなっていたし、今回の上演でジュリエッタに目もくれないホフマンの姿を見ると、アントニアを経験したあとでの気持ちがよく現れていて、この流れでも納得するほどであった。

 しかし、アントニアの物語が、音楽的にも聴き応えがあるし、話としても結末的な悲惨さがある。今回の公演はより本来の「ホフマン物語」に近づけるために、ジュリエッタの場面での七重唱もなくなっていて、この幕が音楽的にスカスカした感じになったことも否定できず、そういったことからもジュリエッタの物語が真ん中にあった方が良かったのではと思えた。

 音楽や物語の充実度なんかから離れて、そもそも恋の経験としての過程として抽象的に考えても、オランピア−ジュリエッタ−アントニアという流れが私としては完成された結末だと思う。(念のために付け加えておくが、個人的な体験から導いた考えではない。)もっとも、このように抽象的に捉えてしまうと、一般的な成長過程の話になるので、人によってはオランピア−アントニア−ジュリエッタがまっとうな過程だというだろうし、またあまりいないとは思うがオランピアが完成された恋の姿だいう人もいるかもしれない。

 そんなこんなで話の見方としては若干の心残りはあるものの、公演としては涙をこぼすぐらい感動できる内容だった。かなりの数の登場人物になるが、キャストが非常に充実していて、不満を感じるところは全くなかった。舞台装置にまでカネをかけられないことは仕方がないことだと理解できるし、それなりに簡素にすっきりまとめているのはいいのだが、その中でアントニアの場面だけごちゃごちゃしていることには、ちょっと統一感に欠いていた。演出はそういう簡素な装置ながらとても分かりやすく処理されていた。そんなに簡単に上演できる作品ではないのだし、音楽的には良くできていたので、現在の日本においての「ホフマン物語」としては、最高レベルの公演だったと思う。

(2001年11月4日 東京文化会館)

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