オペラシアターこんにゃく座「イヌの仇討あるいは吉良の決断」

 コミック・ディスカッション・オペラと銘打っているが、もっと端的に言うなら「立てこもりオペラ」である。立てこもりという状況は、基本的に外界との人の出入りがなく、限られた一定人数で、刻々と状況や心理が変化(大抵が良くない方向への変化)していくので、お芝居としてはおもしろい題材だと思う。今回の題材のように、討入りを吉良上野介と数人の男女の息をひそめた立てこもりとして話を展開していくのも、赤穂浪士を舞台から排した討入り芝居として興味をひくものである。しかし、それがオペラとなると舞台の変化がゆるやかになって、それこそディスカッションだけが延々に歌われ続けるのではないかという懸念が出てくる。一幕ものの短いオペラならまだ耐えられるかもしれないが、今回の林光の新作は二幕で3時間近くもかかるのだから、もし単純に息をひそめた立てこもりだけで終わるのなら、息苦しいだけだったかもしれない。

 しかしいざ舞台を観てみると、そんな心配はいらなかった。限られた一定人数が出ずっぱりで終始するのはその通りなのだが、外界と自由に行き来する小坊主を配したり、紛れ込んでいた盗人に狂言役と「世間の代弁者」のような役割を与え、その上全体にコメディタッチなので、退屈するどころか、ワクワクするような展開で眠気も吹っ飛ぶぐらいだった。客席からも笑い声が絶えない舞台だった。そのうえ、現実的に考えれば登場人物は全員死ぬか負傷する運命にあるのだから(実際に舞台上で死ぬのは、一番笑いをとっている盗人のみ)悲劇でもあるわけで、結末は当然そういう、笑ってはいられない、しっとりした美しいシーンで幕が閉じる。結末だけでなく、舞台の進行中にも討入りとは関係なく、人の生き方や考え方についての提起がそれとなく施されていて、ふと考えてしまったりする。真剣な内容の舞台を、コミック風に笑わせながらも、本質を保たせるところは、林光やこんにゃく座の得意なところである。

 世田谷パブリックシアターは小さな劇場とはいえ、私が今までにこんにゃく座を観た劇場の中では大きい方で、舞台もふつうのオペラのようにしっかりした大きなものを据えていた。衣装も含めて、今回は見た目にも良かった。出演者たちも、いつものように歌も芝居も自分のものにしていて申し分ない。伴奏はピアノとヴァイオリンだけだが、私としては舞台の内容の深遠さと、劇場の大きさかすると、これらにヴィオラやチェロを加えた伴奏を作ってほしかったように思う。

 3才の娘を連れての千葉から世田谷への往復は乗り換えが多く、かなりハードだった。まだ時間がかかっても直通で行ける横浜のほうが多少は楽である。会場の託児で預かる人にも、わざわざ千葉から小さい子を連れてくるなんて、よっぽどの道楽な親だと思われているかもしれない。まあ、道楽であるのは事実だから、そう思われても当たっているのだが。子連れオペラで、ぐったり疲れて帰宅してからは、こんにゃく座にちなんでさしみこんにゃくを楽しんだのは言うまでもない。(酢味噌で)

(2002年5月25日 世田谷パブリックシアター)

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