東京室内歌劇場「ファルスタッフ」(サリエリ)

 見てくれは樽のようで似ていて、よその奥さんを誘惑しようとして川に投げ込まれることも似ているのに、ちょっとだけ行動が違う二人の「ファルスタッフ」にお目にかかるなんて、奇妙な感じではあるが、同時に愉快な気分にもなってきた。オペラの世界には、例えばマノン・レスコーのように、名前も同じで、同じ物語の中に生きている人はたくさんいるのだが、大抵の場合、観ている人にとっては全く別人のように感じる。その方が当然だと思う。ところがなぜかファルスタッフの方は、違う人には見えないのに、行動がちょっと違って、なんだか奇妙で愉快な気分になってくる。ヴェルディとサリエリ、100年の差があるし、音楽も全然違うのに。

 サリエリの「ファルスタッフ」では、ヴェルディでは省略されている、ファルスタッフが女装させられるいたずらも入っていて、きっちり3つのいたずらが盛り込まれている。登場人物ではスレンダー氏(ヴェルディでのメグの夫)が出てきて、二組の夫婦がそろっている。一方でフェントンとナンネッタは出てこない。音楽的にはもちろんヴェルディ最後の作品の方が完熟しきっているのは歴然だし、物語の構成だってボーイトの台本によるヴェルディの方がしっかりしている。

 でもサリエリの方も、また違うおもしろさがある。何がどう違うおもしろさなのかは、人によって感じ方に差異があるだろうけど、私としてはサリエリの「ファルスタッフ」には大人のおもしろさのようなものを感じた。もちろんヴェルディには、大人どころか老境にさしかからないと分からないおもしろさが潜んでいると思うのだが、それと同時に若い恋の成就も登場するし、妖精の場面なんかは子供でも楽しめるような雰囲気があると思う。だが、サリエリの「ファルスタッフ」は大人しかおもしろく思わないオペラだ。ファルスタッフが主人公だけど、二組の夫婦も主人公だ。しかも二組の夫婦の性格とか信頼感とかは明らかに対照的にしている。特にフォード夫妻の間の感情の駆け引きは、ヴェルディ作品にはない一般市民の夫婦のおもしろさがある。ヴェルディ作品の完成された芸術作品のおもしろさではなく、エスプリな雰囲気のおもしろさだ。それは、日曜の午後の東京文化会館ではなく、平日の夜の紀尾井ホールの雰囲気なのである。

 そういう雰囲気とはいっても、オペラ・ブッファであるので、客席からの笑いは絶えなかった。私は東京室内歌劇場は、現代ものを中心にシリアス作品しか観たことなく、喜劇を観るのはは初めてだったが、質の高い舞台であることには変わらなかった。室内楽専用のホールなので、舞台装置の配置などには制限があるのだが、逆に小ぶりな舞台のため2幕12場すべて場面転換させることができていて、中規模な劇場で観るよりはるかに良かった。また、響きの良いホールでキャストの声も無理がないし、浅いピットしか作れないのがかえってオケの音を響かせていて、心ゆくまで楽しませてくれた。

 サリエリのオペラを観るのは、実は初めてだったが、舞台が終わる頃には、すっかり「アマデウス」のサリエリのイメージが覆されていた。

(2002年5月29日 紀尾井ホール)

戻る