東京オペラプロデュース「恋するサー・ジョン」
数あるオペラを熟知しているわけではないので、「ウィンザーの陽気な女房たち」をオペラにしたのはニコライとヴェルディだけかと思い込んでいたのであるが、今年5月のサリエリに続いて、今度はヴォーン・ウィリアムズの作品もあると知って驚いてしまった。(タイトルは「恋するサー・ジョン」)これは観なくちゃいけない。次はどんなファルスタッフが舞台を動きまわるのか。
考えてみれば、サリエリもニコライもヴェルディより昔の人だ。だから、よもやイタリアオペラの最高峰になるヴェルディがその最晩年に同じ作品を作ってしまうなんてことは、知るわけもない。だから自由気ままに作れる。本当に自由気ままかどうかはわからないけど、同じ作品を作るというプレッシャーはないはずだ。それに対し、ヴォーン・ウィリアムズは20世紀の作品。当然ヴェルディ最後の「ファルスタッフ」を知らないわけがない。そんな超有名曲と同じものを作ろうなんていう気が起こるとはどういうことだろうか。自信があったのか、物語が好きだったのか、プライベートな事情があったのか。
しかし、実際の舞台の運びはヴェルディとほとんど同じような進み具合であった。サリエリの方は違う進み具合の中に同じファルスタッフがいるという感じであったのだが、ヴォーン・ウィリアムズの方はヴェルディと同じ状況のなかに同じファルスタッフがいるという感じである。ヴェルディの作品の束縛があったのか。そして登場人物がやたら多く、ヴェルディの倍はいる。ガーター亭の主人まであちこちの場面に出てきていろいろ喋る。だからかなりややこしく、この作品だけをいきなり観ると筋がのみこめないと思う。あるいは観客は、シェークスピアの原作か、ヴェルディのオペラで筋を知っているという前提なのか。
それではヴォーン・ウィリアムズの「ファルスタッフ」の特徴は何かというと、それは紛れもなくイギリス的であること。舞台になんともいえない落ち着きというか、ジェントル的というか、けだるさというか、そんな雰囲気がある。洗濯籠の場面や樫の木の場面も、ドタバタ騒がずにあっさり終わってしまう。ドタバタで笑わさずに、作品のあちこちに散らばしたユーモアで笑わそうという感じで、客席の反応も実際にそうだった。音楽もイギリスのものである。ゆったりと落ち着いている。極めつけはグリーンスリーヴスの歌で、フォード夫人とファルスタッフの逢引きの場面で歌われるし、間奏曲にもなっている。イタリアでもドイツでもなく、ファルスタッフはイギリスだということが、ヴォーン・ウィリアムズの作曲の動機だったのだろうか。
時任康文の指揮による演奏は、オーケストラもキャストも作品の魅力を大いに引き出しているといった感じであった。こんな珍しさ作品をこれほどよくまとめ上げるなんてそう簡単にはできない。舞台も美しく、充実した上演であった。
それにしてもいくつもの「ファルスタッフ」の中で、一番若々しいのは80歳のヴェルディであることを再認識した。
(2002年9月28日 新国立劇場中劇場)
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