分析哲学
analytic philosophy
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作成日 2003/1/11
「現代イギリスおよびアメリカにおける哲学の主流のひとつで、日本をふくむそのほかの資本主義諸国のアカデミーでも有力である。大きくは、イギリスの日常言語分析学派(オクスフォード学派)とアメリカの人工言語学派とに分けられる。前者は、ムーアと後期ヴィトゲンシュタインの影響のもとに発展したもので、代表者はライルといってよかろう。後者は、論理実証主義から発展してきたもので、多数派の代表格はカールナプであったが、近ごろでは論理実証主義いらいの内部の異端者であったポパーの名声も高い。分析哲学は、さらにこまかく分けられる多様性をはらんだ哲学運動であるが、これを分析哲学として総括することをゆるす共通の性格はもちろんある。それは、哲学の任務とは体系的な哲学的世界観を樹立することではなくて、日常的知識や諸科学や哲学における概念や命題や理論などの意味・構造・使用法などを分析し解明することである、とする哲学観であり、また、
経験論ないし実証主義への傾斜にしめされる反唯物論であり、言語分析ないし論理分析の愛好であり、とくに人工言語学派にあっては、形式(記号)論理学絶対視による反弁証法である。分析哲学者たちは、世界や人生についての特定の立場をとることなしに、虚心に世界や人生についての人びとの語り方の分析に従事しているのだ、とみずからはいうとしても、じっさいにはそういうことは不可能である。一例をあげれば、<物が存在する>という言明の意味は、かれらによれば、一義的にはきまっていないという。<知覚言語>を採用して、<目にふれている>という条件を現に満たしている事物だけがいま存在しており、この事物も視界のそとへ出ればただちに消滅し、ふたたび視野にはいってくれば、とたんに再生するのである、としてもよいし、ふつう人びとがしているように、見られていない場合にも事物は存在しつづけるのだという約束を導入してもよい、というのである。
こうすれば、<物の存在>をめぐる唯物論と観念論との古来のあらそいは、いわば調停され、消滅する、というわけである。しかし、このやり方は中立的ではない。<外的自然の先在性>(マルクス)を文句なくしめしている自然諸科学のりっぱな諸証拠は無視され、唯物論の主張の真理が拒否されて、バークリ流の主観的観念論が、唯物論と同等の資格をもった立場ででもあるかのように、そっとすべりこませられているからである。このように、また、その他の点でも、分析哲学は、現代プロレタリアートの科学的世界観としての弁証法的唯物論に対する、ブルジョアジーのがわの<対抗思想>(ボーヴォワール)としての役割を客観的には果たす<科学的哲学>にほかならないのである。」
哲学辞典 森 宏一編集 青木書店 より
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