分析哲学Ⅱ


analytic philosophy

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作成日 2003/3/28

一般的にはかなり曖昧で、広い範囲をカヴァーする概念として使われているが、それはむしろ、この語が、ある明確な旗印をもった特定の思想運動や理論的体系を指すものではない、という証拠にもなろう。

ただ、そうした多義性のなかに、哲学という学問を進めて行くための基本的な態度における共通点が認められるのであり、その共通点が「分析」ということになる。

この分析の技法はもちろんかつてプラトンやアリストテレスにも見られ、さらに、近代イギリス経験論の系譜にもはっきり見出せるが、そうした伝統を引きながら(従って、経験論の色彩が全般的な傾向としては強いが)、なるべく形而上学的な発想を斥け、分析の技法を駆使して、問題の明確化を図り、場合によっては問題の無意味化(解消)へもちこむという、強い目的意識が、現在の分析哲学の特徴と言えるだろう。

人間の思考は、言語を通じて表現されるのであるから、当然、分析のメスは、言語に対して発揮されることになる。言語そのものの価値に対しては、ベルグソンのような否定的態度とは反対の極にあり、言語によって表現し得ないものについては、これを認めないと考えるのが普通である。

このような言語への強い関心は、一方において、言語を支配する規則としての論理学への傾斜となって現われる。

言語への関心は、同時に、現存の言語一般の再編成という問題に到達する。多くの哲学的問題が、現存の言語の何らかの不備からくる、という点が分析によって明らかになった場合、言語の再編には三つの道が考えられた。一つは、人工言語を使って、一つは、日常言語のなかで、一つは、意味論という形をとって、この作業が行なわれているといってよい。

一つの主要な流れは、イギリス経験論を直接受け継ぐケンブリッジ分析学派であり、初期のムーア、ラッセル、それにヴィトゲンシュタインらを含めて、論理実証主義とも深い関係をもった。しかし論理実証主義に含まれるいくつかの難点の克服のために、そこから、日常言語に対する再検討の立場が生まれ、しばしばオックスフォード学派と呼ばれる新しい分析主義が発展する。ウィズダム(ケンブリッジ系)、ライル、ストローソン、オースティンらが含まれる。

論理実証主義からの脱却を目指すもう一つの流れは、主としてアメリカにおけるカルナップ、クワインを中心とする意味論的分析にある。論理実証主義の後期に成功した科学理論の形式化と、それに伴う一般理論の形式化の試みの挫折を、意味論的な考慮の上から超克しようとする企てを、この流れのなかに読みとることができよう。


現代哲学事典 山崎正一+市川浩編 講談社現代新書 より




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