観念論とコンタクトレンズ


「速水 透の哲学掲示板」より

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作成日 2001/2/25

ここでは、「速水 透の哲学掲示板」における「唯物論者は観念論を打破できるのか?その逆
はどうか?」でのクェーサー氏(ペンネーム)との「観念論とコンタクトレンズ」に関する
議論の経過をまとめていきたいと思う。

クェーサー氏とともに観念論の矛盾点を探していたが、「コンタクトレンズ」はどうか?
ということになった。近視の観念論者、特に唯我論者に全く装用感のないコンタクトレンズ
を装用してもらって、なぜよく見えるのか?と聞く。というものだ。コンタクトレンズは
装用している限り、主観の一部とはできない。それでは、コンタクトレンズはどこにあるか
というと主観外にあるとせざるをえない。

クェーサー氏から、全く装用感のないコンタクトレンズを作るのは難しいのではないか?という
指摘をされたが、今後の科学技術の進歩に期待する。ということで大目に見てもらった。



作成日 2002/1/2

残念ながら、ネオシティさんの撤退で「速水 透の哲学掲示板」はなくなってしまった。
少々心細いが、私一人で考えてみることにする。

かつて掲示板があった頃、クェーサー氏より、コンタクトレンズといえども透過度100パーセント
ではないのだからセンサーなどを使えば主観の一部とできる。という指摘があった。
確かにそのとおりである。しかし、それでは、センサーが無い場合はどうなるのだろう。唯我論者
が安泰であるためには、どのような状況下でもコンタクトレンズが主観の一部でなければならない。
要するにこちらは、唯我論に穴をあけられれば良いのだ。

主観外にものはあるが、それは主観から独立していないという観念論についてはどうだろう。
この場合も、コンタクトレンズは主観の一部ではないのに主観外にあるのだから、あとは言うまでも
ない。私は「コンタクトレンズというもの」が観念論に大きな穴をあけられると確信している。

観念論を打破することは不可能とあきらめていた時期もあったが、クェーサー氏に感謝。




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