実存主義


existentialism

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作成日 2002/6/1

「existentialism 実存哲学(独 Existenzphilosophie)ともいわれる。この哲学が唱えられはじめたのは、第一次世界大戦後、1920年代のことで、まずドイツで、ついでフランスで、そして第二次世界大戦後、1940年代以後には、ひろく世界各国のブルジョア的、小ブルジョア的インテリゲンチヤのあいだに影響をあたえてきた。 哲学的見解としてばかりでなく、文学など芸術の領域にもおよんでいる。社会的基盤からいえば、資本主義の全般的危機がブルジョアや中間層の心理におよぼす混迷の表現といえる。すなわち資本主義的な従来の方式にたよれなくなり、なんらかの打開の道をもとめることから生じた。哲学の系統からみると、古くは17世紀の哲学者パスカルの<一本の葦>としての人間、神と無との中間者としての人間とみなした人間観にまでたどられるが、とくにその源泉は19世紀なかばのデンマークの牧師・思想家のキールケゴールであり、またドイツのニーチェであって、<生の哲学>を徹底させたものとみられ、その方法をフッサールの現象学からえてきているといえる。現在、キリスト教的実存主義(カトリックのマルセル、プロテスタントのヤスパースが代表者)と無神論的実存主義(かつてのハイデッガー、カミュ、サルトルが代表者)の別がある。

この哲学の説き方は表現に相違があるが、そこに通じてみられるのは従来の哲学の伝統の否定のうえにたち、従来の合理的な哲学が主観と客観との区別にたって、そのどちらを本源的とするのかを哲学の根本問題としたのを否定し、本来の哲学は主・客の統一をもってはじめねばならず、それを個人的な存在である<実存>にもとめる。つまり主観主義である。この実存は、なんら思考によりとらえられるのではなく、かえって思考によっては実存は失われてしまい、ただ体験のみが実存の姿を明らかにする。つまり非合理主義である。それによると、実存の存在の仕方は<不安>ということにあり、不安は、孤独、頼りなさ、はかなさ、投げだされていることを体験させる。こうして不安は外的実在を自己にあたえ、これと交渉させることになる。そこから、実存は自己の可能性を実現していくものとしてあらわれてくる。このように実存をとらえることは<了解>(ハイデッガー)、<実存開明>(ヤスパース)などといわれ、直観がたよりにされるのである。実存が自己の可能性を実現していくこと、これは実存の自由な<選択>によるものだと説かれて、<自由>が強調される。つまり、個人を客観世界から引きはなし、かえって個人によって世界を形成するという立場を主張するものである。」

哲学辞典 森 宏一編集 青木書店 より




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