フランス唯物論
French materialism
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作成日 2002/6/1
「French materialism 哲学史上とくにこの名称でよばれるのは、18世紀の啓蒙思想の発展としてあらわれた唯物論をさす。それは理性の名のもとに、絶対主義王政とその支柱であるカトリック教会のドグマをはげしく批判し、ブルジョアジーの先進的な層を代表しており、ラ・メトリ、ディドロ、エルヴェシュス、ドルバックを中心とする。この唯物論はデカルトの唯物論的側面とイギリスのロックの思想をうけ、前者からは機械的自然観、後者からは経験論と近代市民社会観をえている。その自然観では、世界を創造し物質に第一衝撃をあたえ運動をおこさせた神を否定し、不生不滅で永遠に運動する物質だけが世界の基礎であって、その世界は物質それ自身の機械的因果法則にしたがって動くと主張した。認識論では、物質のあらゆる構成要素には外的対象にたいする感受力が本性的に内在しており、人間の感覚は無機物界におけるその潜在能力が高度に発達して顕在化したもので、感覚が脳髄で総合されて思考が生みだされると主張した。これは思考を物質の同質連続的な発達上の一形態としてとらえると同時に、
自然にもとづかないすべての思考(神学的諸観念、スコラ的諸概念など)を否認したものであって、唯物論的反映論の立場を表明していた。こうした見解にたってかれらは無神論を主張し、宗教批判をおこない、当時人びとの精神生活を支配していたカトリック教会を攻撃した。社会論においては、絶対主義の王権ならびに身分制秩序を神聖視する教義に反対し、幸福、すなわち生命・自由・財産の追求はひとしく自然的・理性的存在である諸個人の恒常不変な物質的衝動であり、万人の平等な権利、自然法の基礎であって、これを保証するための契約を通じて諸個人が結合したものが国家であるから、この契約たる国家の法律は、より合理的な社会実現のために人為的に変革されうるし、されねばならぬとした。しかし、その唯物論は、ラ・メトリの《人間機械論》にしめされるように徹底した機械的唯物論であり、認識論では感覚が外界をたんに写しとるとする観想的立場にとどまっていた。また宗教批判では宗教を無知の産物とし、その社会的・物質的諸条件を理解するにいたらなかった。社会論では、歴史の客観的物質的基礎をみず、
観念論的歴史観になっていた。しかしそれは、この唯物論思想がフランスのブルジョア革命を思想的に準備した大きな意義を、見失わせるものではない。」
哲学辞典 森 宏一編集 青木書店 より
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