観念
idea
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作成日 2002/6/1
「idea 観念の語は、わが国ではもともと仏教用語で、これによれば心を一定の対象において散乱させない状態をいう。今日ふつうに用いられている用法は、ヨーロッパ語のideaの意味である。このidea(観念)は、心理学では、表象(独 Vorstellung)と同義である。
現在の哲学用語とされているのは、その起源をギリシア語のイデア(idea)にもつ。そしてプラトンやヘーゲルのような客観的観念論で、その世界観の基本にたてられるものは<イデア>ないし<イデー>とされて、わが国では、これらには理念の語を用いるのがふつうである。そこで、こうした用法と区別される<観念>は、われわれの意識の内容をなすものをさしていわれ、この用法は近世哲学いらい、認識論に関心が
よせられるにつれて生じた。すなわちデカルトやロックに発している。そしてデカルトは公理的な観念は仮想的観念とはちがって<生得的な>ものとし、ロックはこれを否定して、観念は感覚から生ずるとした。このロックの考えからは、やがてバークリのような主観的観念論者があらわれて観念を主観の感覚だけに帰着させる。弁証法的唯物論の立場では、観念は客観的な外的事物の意識における反映とみ、したがって
観念はたんに主観的なものではなく、客観的内容をそのうちにふくんでいるとする。しかも、観念は受動的に意識が反映するのではなく、人間はその実践活動を通してこれをえてくるのであり、いったん観念がつくられると、これは外界にむかって働きかけ、これをもって外界を変化させるとか、外界の認識をいっそう進めるとかに役だてられる。このように役だつのは、観念が客観的に外界の認識をそのうちにもっているからである。
観念的とは、こうした観念にかんすることをしめす語であるとともに、他方、現実ばなれした考えや意見についていう場合にも使われる。」
哲学辞典 森 宏一編集 青木書店 より
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