観測の限界


認識の不完全性

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作成日 2003/3/23

量子力学における観測の限界であるが、これはもう当然のことといっていいだろう。もともと、外界に在る対象の人間による認識とは、対象を純粋に客観的に把握するわけではなく(そんなことは不可能であるが)、あくまでも主観的な作業であって、非常に不完全なものであるといえる。そのため、不完全さを補うため、よりよく対象を認識しようとして、人間はその対象に対して色々と手を加える。それでもなお、対象についての完全な知識を得られるわけではない。このことは観測にも言える。観測とて主観的であるという制約を免れないからだ。もし、人類が、観測の限界を乗り越え、究極の観測マシンを完成させ、物質の究極についての完全なる認識、完全なる知識を得るようなことがあれば、対象を純粋に客観的に把握したと同等になるだろう。不可能が可能になるわけだ。 そして、その時が、唯物論の勝利する時であろう。




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