科学哲学Ⅱ


philosophy of science

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作成日 2003/3/21

科学哲学ということばは、比較的新しい。歴史的に言えば、1920年代にウィーンに始まったシュリックらを中心とするウィーン学団に、その発想の起源をもつ科学哲学は、当初はさまざまな名称で呼ばれていた。例えば、「科学の論理学」、「統一科学」、「科学基礎論」、「科学方法論」、「科学論」などのレッテルを貼られた内容が、いずれも、何ほどか、現在「科学哲学」という名称の下に統括されていると見ることができる。

もちろん、こうした名称には、それぞれ、歴史的な因縁があって、日本でも、「科学論」というのは、普通、戦前、戦中の唯物論哲学者(例えば、戸坂潤はその大きな例である)の自然科学観およびその系譜を指すことが多く、現在でもそれを「科学哲学」の名で統一することには、どちらの側からも抵抗があろう。しかしこれらの多様な名称が暗示しているように、科学哲学という概念が、歴史的な発生事情や、学派・系譜などの人間関係や、政治的イデオロギーのような一切の夾雑物を排し得たとして、そのとき目指すものは、実は、哲学そのものにほかならないのである。

そうは言っても、ではなぜ「科学」という規定詞が「哲学」に付されているのだろうか。古来哲学が、自然を対象とする知識体系から離れたことはほとんどなかった。ギリシア哲学は言うに及ばず、インド、シナ、その他のいわゆる古代文明における哲学体系以来、西欧中世の神学的哲学も、あるいは19世紀のヨーロッパ哲学者たちでさえ、人間の自然に対する組織的な把握を自然科学と規定するならば、決してそうした自然科学から離れたことはなかったと言える。

しかし、19世紀後半、学問の分化自律化の傾向がヨーロッパにおいて顕著になり、学問の独自の守備範囲が確立されるにしたがって、個別科学という概念が現われ、哲学も、そのなかの一つとして、他の諸科学、とりわけ自然科学とは切離されてしまう傾向が強くなった。ベルグソンのように、相対論や生物進化論に相応の理解を示した19世紀後半の哲学者もあったけれど、哲学の趨勢は、形而上学重視に向かっていた。

一方、分化独立した自然科学においても、物理学や生物学の間の脈絡は失われ、それら諸科学に共通する方法論や論理の開発には眼が向けられず、まして他の社会科学や人文科学に属する諸領域との内的交流は、一切閉ざされ始めたのが、19世紀終わりから20世紀初頭の状態であった。

こうした事情のなかで、物理学や数学の分野で、相対論・量子論・公理的集合論など、時代を画する新しい理論の開発が、既成のものの考え方に対する基本的な反論の意味をもっていることが明らかになるにつれて、諸科学の新しい成果のもつ哲学的な意味に対する追求や、余りにも分化し過ぎた諸科学に統一的な視点を与え、科学を、それ本来の意味である全人的知識体系へ、再び導き直すという目的が、前代への反省とともに、哲学の仕事として、浮び上ってきた。ウィーン学団にも関係のあったノイラートらの「統一科学運動」は、こうした現われの一つであり、人間の知的活動として最もめざましい成果を挙げている自然科学を手がかりとして、科学の方法論や基礎論理・認識の問題・知識体系批判といった哲学の本来の仕事を遂行しようとする意識の出現を見たのだった。科学哲学とは、それゆえ、純粋に哲学にほかならない。

科学哲学が主として興味をもつ第一の分野は、科学の基礎に関するものである。多くの場合、それは、数理論理学的な発想に多かれ少なかれ依存している。数学と論理学とは、集合論で連っていると考えられるが、数学や論理学の公理体系化が進むにつれて、他の経験科学も、そうした基本的な公理的モデルに倣うことの可能性が考えられ始めた。それと同時に、科学理論に現われる帰納的側面への論理的アプローチも、好んで扱われる題材の一つである。例えば、カルナップの確率論は、その一つの成果であろう。

一方、科学理論で扱われる諸概念の分析も大切な点である。時間や空間の概念が、相対論によって根本的変革を余儀なくされた、と言われるのはどんな意味か、量子論によって観測という行為の本質的意味が問われているのはどういうことなのか、などといった科学自身のもつ概念枠組への認識論的な接近は、科学哲学がしばしば扱う問題と言える。

また一方、科学の概念枠組が、従来からの哲学の概念枠組に、変更を強制する(かのように見える)という場合もある。例えば、自由意志や決定論の問題に対して、ニュートン力学や量子論が果たして重大な意味をもっているかどうか、生物学や生物化学における生命観の変換が、哲学的な意義を与えるかどうか、心理学的な人間解明の与える哲学における影響は何か、これらもやはり科学哲学における枢要な問題ということができる。

科学哲学とは、決して、単なる科学についての哲学でもなく、科学的な哲学でもなく、科学時代における現代的哲学でもない。

科学哲学は、確かに自然科学に対する関心を失わない、という特徴をもつかも知れないけれども、それは、哲学が、古来問題としてきた問題を、古来問題にしてきたやり方で、追究している哲学そのものなのである。


現代哲学事典 山崎正一+市川浩編 講談社現代新書 より




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