決定論
決定論と自由意志
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作成日 2002/1/26
「広い意味では、事物・現象がすべて客観的な関連をもち、たがいに条件づけあっていること
を主張する学説。せまい意味では、事物・現象は普遍的な因果関連(因果関係)をもっている
とする学説。つまり、どちらの場合でも、合法則的ないし因果的関連の探究を指示し、超越的
な力などによる説明を拒否する点で、どんな科学的研究にとっても方法論上の根本原則をなす
ものである。しかし、これは機械的決定論と弁証法的決定論とに大きく分けることができる。
前者は、すでにデモクリトスの原子論において表明され、18世紀のフランス唯物論において
典型的なかたちをとった。後者は、弁証法的唯物論・史的唯物論を基礎として可能となったもの。
機械的決定論が、ただ機械的運動、したがってただ力学の法則しか知らないのにたいし、弁証法
的決定論は低次から高次へいたるもろもろの運動形態を世界のうちに確認し、力学的運動形態
よりも高次の運動形態では、力学の法則には還元できない運動法則が作用していることをみとめ
る。機械的決定論がただ線型の因果連鎖しか知らず、必然性を絶対化して偶然の客観的存在を
否認するのにたいし、弁証法的決定論は、因果性をすべての現象の普遍的な相互関連の一側面
とみ、偶然の客観的存在を承認し、必然性と偶然との、また、必然性と自由との弁証法的関連
を指摘する。こうして、機械的決定論が人間の行為をふくめてあらゆる事物が将来どうなるかは
あらかじめ一義的にきまっていると主張する宿命論におちいってしまうのにたいし、弁証法的
決定論は、自然と社会の事物、現象の合法則的・因果的関連を承認するとともに、こうした関連
の科学的認識にもとづいて人間は自然と社会を目的意識的に変革できると主張する。」
哲学辞典 森 宏一編集 青木書店 より
私としては、前者を支持したい。人間など大宇宙のごくごく一部でしかない。人間は大宇宙の
法則にしたがって生きているのだ。将来が一義的に決まっているというのもうなずける。
私の時間論の立場に立てば、当然、「現在のみ」なのであるから観測者にとって世界は一通り
しかない。つまり宿命論ということになってしまう訳だ。しかし、宿命論で結構ではないか。
宿命論だからこそ何ものにもとらわれない自由意志が貴いのだ。
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