唯物論「宇宙の構造について」


唯物論は哲学度が低い。「すべては物質だ!」ということなのだが、その肝心要の物質というものが一体何なのかよくわからない。それ以上突き詰めようがない根源的なものと言ってしまえばそれまでだが、それではちと諦めがよすぎるのでは。もっとねちねち突き詰めないと。物理学では、今のところ「クォーク」?それが限界?それとももっと先がある?私は物理学に関してはまったくの素人なのだが、その素人の大胆不敵な目で、物質の究極を論じたい。物理学者たちに笑われてもよいのだ。瓢箪から駒ということもあるからね。ここに述べてあることは、このホームページの宇宙論、「宇宙の構造について」と同じものである。「宇宙の構造について」は、宇宙論であると同時に私なりの究極の唯物論でもある。キーワード「唯物論」でこれが検索されることを期待したい。

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作成日 2005/6/25

まず、宇宙は、二つの、「性質を持つ量」によって構成されていると考える。この、二つの、 「性質を持つ量」とは、一つは、「外に向かう性質、大きく広がる性質を持つ量」と、もう一つ は、「内に向かう性質、小さく縮む性質を持つ量」である。 前者を「プラスの量」、後者を「マイナスの量」と呼ぶことにする。


宇宙の膨張の始まる前は、プラスの量がマイナスの量の中におさまっている。その形状は、 ある大きさを持ったかたまりであると考える。しかし、そのおさまり方が均一ではないため 外に向かう性質が勝っているところからプラスの量が激しい勢いで膨張し始める。その影響で 他の部分のプラスの量も連鎖的に膨張し始める。その際にマイナスの量は粉々に細分化される。 これをビッグバンと考える。

膨張し始めたプラスの量は空間になると考える。一方、細分化されたマイナスの量は、膨張する プラスの量の一部をその中に取り込み小さく縮み続ける。これが粒子になると考える。 この粒子によって素粒子が構成される。素粒子がなぜ再びマイナスの量のかたまりにならないか というと、プラスの量を取り込むのに手間取るのと、プラスの量の膨張の勢いによるものである と考える。そして残りのプラスの量は「力」になると考える。

物質と物質の間になぜ重力が働くかというと、物質を構成しているマイナスの量が、間の空間、 つまり、プラスの量を取り込むからではないのか。

空間は膨張し続けるにつれて希薄になってくる。それにともなって、空間の膨張が鈍化する。 空間が濃密だった頃、それを取り込むのに手間取るのと膨張の勢いとで引きつけあえなかった マイナスの量同士が、希薄になり、膨張が鈍化した空間、つまり、プラスの量を猛烈な勢いで 取り込み始め引きつけあう。そして、宇宙のあちこちにマイナスの量のかたまりができ始め、 さらに希薄になった空間を取り込み続ける。こうして、宇宙は膨張から収縮へと転じる。希薄 になった空間を取り込み続けながらマイナスの量のかたまりは徐徐に一つにまとまってくる。 そしてついには、マイナスの量の中にプラスの量がおさまり、始めのようなある大きさを持った かたまりになる。このかたまりの状態はビッグバン前のかたまりの状態と異なる。そうなるよう にできているのだ。そして、そのかたまりは、やはり、プラスの量のマイナスの量の中へのおさ まり方が均一ではないため、またどこかの部分からプラスの量の膨張が始まり、ビッグバンが起 こる。このビッグバンは前のビッグバンとかたまりの状態が異なるので、前の宇宙とは違う宇宙を 生み出す。


こうして、宇宙は、毎回異なる、膨張、収縮を繰り返すと考える。


この推論によると、究極の粒子は無いことになる。マイナスの量が多いほど、その大きさは 小さくなる。マイナスの量が少ないほど、その大きさは大きくなる。プラスの量もマイナスの量も 無限に分割可能であると考える。




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