唯物論Ⅲ


materialism

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作成日 2003/5/3

一般に、我々が感覚によって知覚するものは、「現象」にすぎず、それは背後にあって現象を規定する「実在」を指示する符号であると考えられる。そこで我々は、そのような知覚の対象的実在が存在するのか否か、もし存在するとすればその本性は如何なるものであるか、を尋ねてみることができる。

ところで、我々は体験によって意識の様々な働きにおける、いわゆる心的なものと物的なものとの区別をすることができる。そして心的なものと物的なものとの基本的相違を絶えず我々に意識させるこの直接体験に対して、少くとも両者の等視ということは合理的に問題にならぬ以上、そこに何らかの意味での因果関係を想定しなければならない。そこで心的なものに対する物的なものの根源性を主張し、以て世界の究極の実在を物的なものないし物質に求め、心的・精神的なものの全てをそれの現象ないし仮象とみなす認識論的・形而上学的見地が生まれる。この立場は認識論的見地としての観念論および形而上学的見地としての唯心論に対して、唯物論と呼ばれる。

この唯物論の認識論的動機はいわゆる心身関係にかかわる問題である。即ち、感覚的知覚においては、物質的事物の観念は我々の同意を要することなく、我々の意識に現われてくるという経験的事実に拠って、精神は身体に依存するという方向をとる。そして、感覚作用において我々の意識の内に認められるこの受動性は、直ちに、感覚の対象としての外的物体の実在性を信じようとする、我々に生具の極めて大きな自然的傾向に結びつく。この常識的信念を肯定する立場は、その肯定の仕方が如何なる形をとるにせよ、表象とその対象としてかかわるべき外的実在との間の反映ないし模写という関係を前提にしている。即ち、表象と実在との一致を確立しようとする立場は、理論的には両者の直接的比較・関係を認識させるものではなく、常に出所の異なる表象間の一致を示すにすぎぬとしても、その一致の要請は、それらの表象が常に同一対象に関わるということを論拠にしているのである。

このことはまた唯物論の形而上学的動機につながる。即ち、それは全ての実在者が空間と時間の規定を受けて存在することによって等質である、とする見地である。従って物質とその運動は等質的・連続的な三次元性を以て理解され、空間と時間はその客観的な存在形式である。かくして、世界の一切の現象が、この物質とその運動とによって説明されることになるのである。

ところで、この形而上学的動機も、実在は時・空によって規定されて存在することである、という常識的信念に支えられている。そして、意識状態と物質的運動との等視を絶対に許さない我々の直接体験を前にして、唯物論的主張は単なる独断ではなく、あくまでも逆説である。換言すれば、唯物論は物質の概念を、理論的思弁的によりも、実践的に確立することを目指すものに他ならぬのである。弁証法的唯物論は、人間の実践を媒介として物質の概念を更に人間社会へも拡げて、唯物論を全面的に徹底させようとする、最も優れた試みといえよう。


現代哲学事典 山崎正一+市川浩編 講談社現代新書 より




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