位置論


「唯物論的時間Ⅱ」より

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作成日 2002/4/22

従来、位置は「過去の客観的実在」の実在根拠とされてきた。しかし、位置が、「物自体に
関する認識」に、主観的作業によって、付与されるものであることは、明白である。
したがって、位置は、主観外の「過去の客観的実在」の実在根拠になりえないのである。

ここで、位置について、詳しく述べてみよう。

まず、位置それ自体は、主観外に量を持たない。それは、明白である。具体的なものとし
て、点としての位置を考えてみる。

二つの離れた位置としての点、位置A、と位置Bが、あるとする。位置Aと位置Bの間に
は、無限個の位置がある。さらに、位置Aと位置Bの間の距離が無限小であるとする。
それでも、なお、位置Aと位置Bの間には、無限個の位置がある。
位置が「長さ」を有している限り、その位置は、無限個の位置を有することになる。よっ
て、位置が、一個の位置であるためには、「長さ」を有してはならないことになる。
このことは何を意味しているか。つまり、点としての位置も、主観外に量を持たないと
いうことを意味している。

点としての位置も、主観外に量を持たない訳であるから、当然、体積、面積、長さ、を持
たない。点としての位置が、無限個並んでも、線にならないのは明白である。点は量を
もたない。つまり、体積、面積、長さ、を持たないものであるから、点が無限個隣接して並んで
も、点のままである。点が無限個隣接して並んだものを、同一の点ととらえるのは錯覚ではない。
実際、無限個隣接して並んだ点と一つの点は等しい。

つまり、位置Aと位置Bの間に距離が無くても、その間に、無限個の位置がある。という
ことと、位置Aと位置Bは、同じ位置である。ということは、等しいのである。これは、
点としての位置が、主観外に量を持たないことによる。


これらは、線としての位置にも当てはまることはいうまでもないが、面としての位置、面
による立体としての位置にも当てはまる。なぜなら、面としての位置における線は、長さ
を持つが、幅を持たないからである。面による立体としての位置における面は、広さを
持つが、厚さを持たないからである。したがって、面としての位置、面による立体として
の位置が無限個重なったものと、一つの、面としての位置、面による立体としての位置は
等しい。これは、面としての位置、面による立体としての位置が主観外に量を持たない
ことによる。

ここで、点、線、面、面による立体、というのは、全て概念であって、それら自体は量を
持たない。有なのに無、無なのに有。つまり、矛盾している。また、長さ、面積、体積、
というのは、全て、量の表し方であって、それら自体は量を持たない。ということを付け
加えておく。


要するに、位置とは、主観外に量を持たない。主観外に量を持たないということは、主観
外の「客観的実在」ではないということである。よって、位置は、主観内のものであり、
しかも、矛盾した概念なのだ。


以上の事より、これはもう当然であるが、点としての位置は、「長さ」を持たない。した
がって、点としての位置が隣接せずに無限個並んでも直線にはならない。ということは、
言うまでもない。



では、なぜ位置は客観的に有効なのだろうか。思うに、それは多くの場合、光が直進するから
であろう。




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