論理実証主義


logical positivism

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作成日 2003/3/25

いわゆる科学哲学の形成に決定的な役割を果たした哲学運動で、歴史的過程では、さまざまな名称(論理経験主義・科学経験主義・新実証主義)で呼ばれたり、さまざまな同志的グループ(ウィーン学団・ウプサラ学派・ケンブリッジ分析学派など)によって担われたが、こうした多様性にもかかわらず、共通の問題意識と方法論によって統一される。

そのなかで中核的存在であったのは、ウィーン学団であり、これは1920年代後半のウィーンに、シュリックを中心に生まれた。シュリックは、マッハの経験主義哲学を受け継ぎ、近代経験論の手法を現代に適合させるために、科学的世界把握を通じて諸科学間の統一と研究とを促進することをスローガンに、ファイグル、ゲーデル、フランク、ノイラートらのメンバーと、エイヤー、ツィルゼル、ポパー、ゴムペルツら不定期会員も含めて活発な活動を開始した。この会は1929年秋にウィーン学団を名乗ったが、会員ではないイギリスのラッセルと、ヴィトゲンシュタインの指導的な役割を見逃せない。

同じころ、ベルリンに、ライヘンバッハを中心にクラウス、ヒルベルト、ヘンペルらが集まってベルリン学派を形成し、地域的影響もあって、両学派は近親性をもつ。

ヴィトゲンシュタインのケンブリッジ時代の師ラッセルや、ムーアを中心とするケンブリッジ分析学派は、ウィーン学団を批判しながらも理解と同情を失わず、とくに、オックスフォードには、はっきりした同調者エイヤーが現われる。

ポーランド学派や北欧のウプサラ学派にも、方法論的に、記号論理学の技術的発展を目指すという点で問題意識が共通な人々(タルスキ、ルカシェヴィツ)がおり、アメリカにも、経験主義の立場での同調者パース、ルウィス、モリスがあった。しかし、ウィーン学団やベルリン学派の主要メンバーが、ナチの弾圧を逃れて続々とアメリカに渡るに及んで、論理実証主義運動そのものは消滅し、そこで当初唱えられたさまざまなテーゼは、アメリカやイギリスにおいて、独立に変化発展を遂げているが、この運動が提起した問題意識の立て方や解決のための方法論は、分析哲学・科学哲学に包含されて、実存主義やマルクシズム哲学と並ぶ現代哲学の一つの主流を形成している。

端的にその主張を要約すれば、第一に、実証主義という点で、知識の基礎を経験に求め、形而上学を否定することであり、第二に、知識の表現形態である言語の論理的分析による正確化である。この主張はヴィトゲンシュタインに最も鮮やかに現われるが、彼によれば、哲学の目的は、言語表現の曖昧さからくる混乱を分析・整理し、〝概念強直〟を起こしている患者を治癒してやることにある。この治癒とは、一般に形而上学では、問題とすべきでない問題を問題としている、という点を悟ったときに達成される。ここで問題にすべきでない問題とは、その問題に対する解答を、経験の世界に求める一切の手段をもたない問題と解釈できる。

問題の解答を経験世界に求めることは個別科学の仕事であり、またそれ以外の問題を、「無意味」として斥けるのであるから、論理実証主義哲学は、哲学としては一種の自己否定を主張していることになる。哲学は、問題を整理して、個別科学と形而上学に選り分け、形而上学に分類されたものは「無意味」として斥ける。この仕事が完了したとき(あるいは、この方法を把んだとき)哲学の命運は尽き、哲学独自の扱うべき問題は消滅する。ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は、論理実証主義の聖書の如き扱いを受けたが、その末尾の言葉「われわれは梯子を登りきったのち、それを投げ捨てねばならない」、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」が、はっきりとそれを示している。

ヴィトゲンシュタインらが、形而上学の命題を最終的に「無意味」と考える裏には、命題の有意味性と、経験的検証可能性とを結びつける、ロック以来のイギリス経験論の伝統が働いている。

初期の論理実証主義では、この点最も素朴な形で徹底されており、有意味な命題とは、それが直接体験に還元され得る命題のことを指した。ラッセル(初期の)の感覚与件への還元主義はその代表である。

しかし命題が言語で表現される以上、感覚与件を表現した命題も、感覚与件そのものではない。そして、なるほどラッセルらが主張するように、言語の感覚への密着度に差のあることを認めても、どれほど感覚に密着した言語であっても、それは一回きりの感覚と対応するものではなく、過去・現在・未来にわたる多くの感覚経験に不確定的に対応しそれらを統一する構造をもっていることを認めねばなるまい。そうであれば、最終的な還元は不可能となる。

そこで、このような極端な還元主義ではない立場が、カルナップらの物理主義という形で現われた。ここでは、普通物理学で行なわれているような、「もの」の振舞いの時空枠内における記述が、最も基本的な命題の位置に据えられる(プロトコル命題と呼ばれる)。

このプロトコル命題はしかし、絶対的な判定基準から定められるものではなく、比較的コンヴェンショナルに定められるものであって、従って、そこに還元できるか否かが「有意味」の判定基準を与えるということを考え合わせれば、「有意味」もまたある程度コンヴェンショナルな自由度をもち、この点で、極端な実証主義は、論理実証主義内部でも通用し難くなっていたと言える。


現代哲学事典 山崎正一+市川浩編 講談社現代新書 より




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