観念論と実在論Ⅰ


存在の「関係」について

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作成日 1999/6/19

唯物論の立場で、カントの観念論と、実在論について述べる。カントの観念論は、
「物自体は認識できない」という主張だが、これは全く正しいと思う。なぜなら、
脳の認識作用によって得られる情報と、その対象になっている「物自体」は全く別々の
ものだからである。さらにいえば、情報の対象には、その情報自体は含まれないからである。
さて、それでは、唯物論の立場でもカントの独り勝ちか、というと、そうでもないと思う。
実在論は、物自体が認識できないのにもかかわらず、「情報」と「その情報の対象」に
「関係」があることによって、かろうじて面目を保つ。「存在」の性質として、「ある存在」
と「他の存在」はそれぞれ別々のものであるが、決して無関係とはいえない。むしろ、
必ず何らかの「関係」があると考えられる。さらにいえば、「情報」も「その情報の対象」
の一部ともいえる。要は、「物自体」を、どこまでに限定するかということである。
実在論も、主観と客観的実在が、この「関係」のおかげで、つながっていることによって、
なんとか体面が保てるのである。

そもそも宇宙には、「関係」を阻む「境界」などというものはなく、宇宙は連続的につながって
いると考える。「境界」というのは、「存在の認識に与えるもの」、「主観的なもの」であって、
客観的、絶対的境界などない。「ある存在」と「他の存在」の間に有って、「ある存在」でも
「他の存在」でもないものなど有り得ようか。「物自体」という「限定」は有効であろうが。




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