観念論と実在論Ⅱ


「限定」と「関係」

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作成日 2002/3/28

唯物論の立場で、カントの観念論と実在論を両立させることができれば、唯物論に
おいて認識論上の「認識の対象」に関する問題は無くなる。

まず、「物自体」を小さく限定した場合について考えてみよう。「物自体」を小さく
限定するとは、例えば、その物を構成している物質だけに「物自体」の範囲を限定し、
その周囲の空間や物質は含まないようにするということである。この場合、カントが
いうように確かに「物自体」は認識できないともいえる。なぜなら、「物自体」を
構成している物質と、脳内のそれを対象とする認識を構成している物質とは、全く
別々のものだからである。しかし、一方でこのようなこともいえる。「物自体」を
構成している物質と、脳内のそれを対象とする認識を構成している物質とは、全く
別々のものではあるが、関係はある。空間によってつながっている。そして、ある特
定の関係を保っているのだ。これによってかろうじてではあるが、実在論も面目を
保つ。

では、「物自体」を大きく限定した場合はどうだろう。「物自体」を大きく限定する
とは、例えば、その物を構成している物質はもちろんのこと、それが吸収した光、それ
に当たって反射した光、その光による感覚を構成する物質、そして、その認識を構成
している物質にまで「物自体」の範囲を拡大するということである。この場合、「物
自体」全体ではないが、そのごく一部を認識できているともいえる。全くの大勝では
ないが、実在論は成り立っている。しかし、一方でこのようなこともいえる。その範囲
の拡大から、認識を構成している物質を除外すれば、その物質と残りの「物自体」は
別々のものであるからカントの観念論と矛盾しない。

このように、「物自体」を小さく限定した場合も、「物自体」を大きく限定した場合も、
どちらもカントの観念論の方がやや優勢ではあるが、唯物論の立場で、カントの観念論
と実在論を両立させることができるのである。

さて、それでは、これらの「物自体」の「限定」は本当に有効かというと、十分有効で
あろう。なぜなら、ある「もの」と他の「もの」とを遮断することはできないが、ある
「もの」と他の「もの」は別々の「もの」であるからだ。

また、このような「物自体と認識」の「関係」は、様々な「物自体」があるが、皆同様
のパターンだから、同じ仲間の「関係」といえよう。極端な話だが、仮に、透過度0
パーセントの鏡や透過度100パーセントのガラスがあったとしよう。それらとそれら
の認識の「関係」は、これらの「物自体と認識」の「関係」とは、明らかに異なるパターン
だから、後者とは異なる「関係」であるということができる。




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