SF「止まってなんかいないんだ」


波多野輝

戻る

作成日 2022/2/04

SF「止まってなんかいないんだ」
              波多野 輝
この作品をコロナ禍の少女少年諸君に捧ぐ

 その出来事は私がまだ中三だった一九七四
年の冬休みが明けて間もない曇天の日の早朝
に起こったと記憶している。私はいつも通り
路線バスの向かって右側最後部窓際の座席に
陣取って冥想に耽っていた。車内は乗車定員
を少し超えたくらい。学校までの所要時間は
約五十分。あと十分ほどのところまで来た頃
か?バスの心地良い振動が私の冥想をより深
いものにしてくれていたのを思い出す。
その時だった。突然だった。
何やら南方曼荼羅もどきの得体の知れない塊
が恰も時間の呪縛から解き放たれダイナミッ
クに自由自在に動き変化しているかの様なイ
メージが頭の中に鮮明に浮かんで来たのだ。
私は思わず腰を浮かせてしまった。
(あわあわ・・ああ、なんてこった。こんな
 ことって・・)
(そうかあ、時間なんて無いんだ)
そして慌てて何事もなかったかのように座り
直し、深呼吸した。
(ふーーーっ)
(落ち着け、落ち着け)
(時間について考え始めてたった一年ちょっ
 と。時間の無い外界などというものをイメ
 ージ出来てしまった。そうだきっと、神様
 に熱烈におねだりしたのが効いたんだよ。
 「神様、どんな酷い目に遭っても構いませ
 ん。どうか僕に真理を一つください。全身
 全霊をかけてお役に立ちます」ってね。そ
 れがこれか。そうに違いないよ)
(時間に照準を絞っておいて良かった。前々
 から疑念は抱いていたんだ。僕の望み通り
 だ)
(どうやら僕の場合まず結論ありきとという
 ことになってしまったようだな。理屈で突
 き詰めるんじゃなくて棚を揺すって牡丹餅
 が落ちて来るのを待ったって感じだなあ)
(でも、ただ単にイメージできましただけじ
 ゃ屁の突っ張りにもならない?それは神様
 に対して失礼?)
(後はこの貴重な牡丹餅ならぬ真理の原石を
 どうやって磨き上げるかだな)
(具体的な根拠が必要か?)
(間違いだったってこともあるだろうか?)
(いや、僕の直感じゃ間違いなくそうだと思
 う。神様を信じる)
(そうは言っても、せめて理屈をくっ付けな
 いことには始まらないな)
(先は長いよ)

 まだ興奮の覚めやらぬ次の日、私は昨年末
に封切られた映画「燃えよドラゴン」を映画
館で観た。友達五、六人で映画「日本沈没」
を観に行く予定だったのだが、間際になって
「燃えよドラゴン」を見て来た同じ学校の連
中から「凄いものを観たぞ」と言われ皆で話
し合った結果、「ドラゴン」を観ることにな
ってしまった。私としてはそんなカンフー映
画よりも「沈没」の方を観たかったのだが、
まあ付き合いで「沈没」は後で観ればいいや
と思い「ドラゴン」を観た。それからはすっ
かり感化されて「アチョー」とか言ってたの
をよく覚えている。

 そうこうしている内にいよいよ総合選抜で
の高校受験が間近に迫って来た。精神的にか
なりの負担だった。御負けに真理の原石(と
相変わらず私は信じ込んでいたのだが)など
と言う厄介なものを背負い込んでしまった私
は少しばかり、いやかなり後悔していた。
(でも神様との約束を破る訳にはいかない。
 僕がそれを望んだんだからな)
そう思い直し、受験勉強と冥想を続けたが、
勉強には殆ど身など入る訳もない。容赦無く
忽ち試験日は来た。何か失敗したと言う記憶
は無いのだが、出来の方は芳しく無かった。
自己採点した結果、全ての科目において六十
点に満たない程度。落ちても仕方ないと腹を
括っていた。合格発表は、ラジオで聴いた。
合格者の名前を受験番号順に読み上げていく
のだ。自分の部屋で一人で聴いていた。次々
と受験番号と名前が読み上げられて行く。そ
して、私の前の順番の者の名前が読み上げら
れた。
(あいつも受かったか)
思わず息を呑む。
果たして、次に私の名も。
(受かった。こりゃ、心臓に悪いや)
運良く高校には受かった。恐らくボーダーラ
インギリギリのところだったろう。今思い出
しても良く受かったなと思う。合格発表後ホ
ッとして近所の本屋で立ち読みしてたら、気
分が悪くなって貧血を起こし倒れてしまい高
校合格に早速ケチが付いてしまった。心身共
にだいぶ衰弱していた。

 それから数日経ったある日の夜。私は夢を
見た。夢の中の私はブルース・リーになって
いて、上半身裸で黒いカンフーパンツを履き
片手にヌンチャクを持っている。どうも地獄
にいるらしい。夢の中ではそうなのだ。地獄
だからそれ以上落ちることはない。そんなに
恐ろしいところでもないようだ。閻魔大王も
鬼どもも苦しんでいる人々もいない。だだっ
広い荒野に私一人だけ。見上げると色々なも
のが見える。一番低いところで見るからかそ
れらのものの弱いところ脆いところが手に取
るように分かる。夢の中ではそうなのだ。意
識もはっきりしていて頭も冴え渡っているよ
う。そんな中、ブルース・リーの私はその場
に腰を下ろすと時間について考え始めた。

 (時間の無い外界ってのはイメージ出来た
 んだけどどうもそこから先に進まないな。
 受験もあったし・・・でもなんか今日はや
 けに冴えてるぞ。丁度暇だしまた考えてみ
 るか)
(そうだ、考えるに当たって唯物論の立場を
 貫こう。僕は唯物論が正しいと思うし、そ
 れが好きだ。一番しっくりくる。立場を明
 確にしておかないと何がなんだかわからな
 くなるからな。いいぞ。いいぞ。今日は全
 く冴えてる)
(時間というとまず思い浮かぶのは「運動」
 だろう。時間は運動に無くてはならない。
 例えば球形の物体が直進してるとしよう。
 等速度でも加速度でもどちらでもいい・・
 その運動は過去から現在そして未来へと進
 む。運動がある限り時間は盤石って訳だ)
(・・・・・)
(手も足も出ないぞ)
(くそっ、どうする?)
(えっと、えっと、えっと、えーっとね)
(動いている物体の過去、現在、未来・・・
 まあ、未来は無いだろう。うんまだ無いよ
 な。現在は間違いなくあるな。問題は過去
 か?過去ねえ?過去の物体、物体の過去か
 あ。うーん)
(待てよ。待て待て、動いている物体の過去
 の記憶は間違いなくある。だけどそれ以上
 は確認しようがないんじゃないか?記憶に
 対応している過去って?今までそれがある
 ものとばかり思ってた。本当にそうだろう
 か?疑ってみる余地はあるな。過去がある
 から記憶がある?どうかな?もし、記憶だ
 けでそれに対応した過去が無いとすれば時
 間が無いことに繋がるんじゃないか?)
(これは収穫だ)
(そうだ。脇道に逸れついでに此処らで位置
 について考えて見よう。運動と言えばまず
 「位置」だからな。位置か?)
(客観的なデータだ)
(記憶に対応した過去だが、位置はどうなん
 だよ?もろに客観的だぞ。それが過去の根
 拠だろうって言われるに決まってるじゃな
 いか。頑丈な根拠だ。手強すぎる。そう甘
 くはないようだな。過去はある?時間は外
 界にある?難攻不落か?)
(・・・・・)
(どうする?)
(・・・・・)
(何の、物事はまず一番厳しいことから始め
 た方がいいからな。よーし!位置と言うと
 まず思い浮かぶのが点としての位置、位置
 としての点だろうな。点か。一個の点。そ
 んなものが客観的実在か?量を持ってない
 だろう。量を持つと点じゃなくなっちゃう
 からな。理屈だ。量を持たないってことは
 ゼロだ。つまり無と等しい。有なのに無、
 無なのに有なんだ。おかしいんじゃないの
 と理屈ではそうなるが。これも十分疑って
 みる余地はありそうだな)
(客観的実在なら直接的間接的に感覚で捉え
 られる?位置としての点が見える?米粒の
 ようにその辺に貼り付いている?客観的実
 在とは違う?だったら何だって言うんだ。
 そんなものが外界にあるのか?人間が目を
 付けてるだけじゃん。理屈にも合わない、
 その存在そのものの根拠さえ薄弱だ。あん
 なに分厚い壁かと思っていた位置としての
 点が一皮剥けば余りに脆い?極めて主観的
 では?)
(ふーっ、危なかったな。門前払いを食うと
 こだった)
(じゃあ、これも収穫だ。これは大きいね)
(まあ、これらはこれらで置いておいて、話
 を元に戻すか。仮に過去があるとしよう)
(そんなものが何処にあるんだろう?)
(過去の時空?どういう状態で?)
(現在と同じように動いている?)
(「動いている」か・・動く・・・うーん)
(動いているって一体どういう風になるんだ
 ろう?その絡繰を知りたい。興味がある。
 その辺に何かありそうだな)
(うーん、動くかあ。そうだなあ。えーっと
 ね、時刻から次の時刻へ飛ぶのか?うん、
 それしかないっしょ。そうだよね)
(あれれ?だったら、過去も現在も止まって
 るってことじゃん)
(運動って変だ。おかしい。時刻でしか捉え
 られない。静止でしか捉えられない。止ま
 っているのか動いているのかさっぱり分か
 らん!どうなってるんだ)
(時間で捉えろって?どうイメージすりゃあ
 いいの?それにしたって、止まってるのか
 動いてるのかさっぱり・・)
(しょうがない、これもこれで置いとこう)
(考えってのは中々すんなり進まないね)

 (よし、この際だ。此処からは、思い切っ
 て過去と位置抜きで考えて見るか)
(うん、じゃあね。気分一新、今度は止まっ
 てる物体が直進し始めるのを想像して見よ
 う)
(止まっていると動いているどう違う?)
(どういう絡繰で物体が動く?)
(止まってる物体が動く)
(デジタル?アナログ?)
(・・・・・)
(止まっている状態ってどういう状態なんだ
 ろう?改めて思うよ。根本的過ぎる)
(絶対静止状態か?そうか?究極だな)
(でも有り得ない)
(静止は常に相対的だ)
(静止と言っても正確には動いている)
(ふーーーむ)
(・・・・・)
 
(はっ、そうか!止まっていることなんて無
 いんだ!)
(止まっている物体が動くんじゃない!!地
 球も動いている。止まってるように見えて
 も動いてるんだ!力によって動き方が変わ
 るだけなんだ!)
(いーか!此処からが問題だぞ!)
(物体は、存在は常に動いている。動いてい
 るのが当たり前なんだ!そうとも、止まっ
 ていることなんて無いんだよ!!元々動い
 ているものなんだよ!!)
(動いているって結局止まってはいないって
 ことか。そうとしか言いようが無い。そし
 て、止まってることはあり得ない。だから
 物体は全て必ず動いてる。要するに、物体
 が「在る」ってことは既に自動的に動いて
 いるんだ!)
(何も難しい話じゃない)
(止まってる物体がまず在ってそれが動くん
 じゃないんだ。「在る」ことと「動く」こ
 とは別々のことじゃない。「在る」ことは
 それだけでもう「動く」ことも含んでいる
 んだよ!それ以上突き詰め様が無いんだ!
 動くって別に絡繰はなかったのか)
(物体は止まっているものと言う先入観が在
 ることと動くことを別々なことと思わせて
 しまうんだ。だからおかしくなるんだよ。
 まあ知覚したイメージって止まってる訳だ
 からどうしてもね。動いてるところが頭の
 中ではイメージ不可能なんだ。静止でイメ
 ージするしかないんだよ。それに日常生活
 のレベルじゃ止まって見える方が普通だし
 な)
(よーし、分かったぞ!そう考えれば、そう
 捉えれば時間は要らなくなる)
(矢張り止まっている過去など無くて動いて
 いる現在だけだ。「現在の時刻」というも
 のと「現在」とは違う。過去の記憶は残る
 が過去は消え去る、と言うか、過去なんて
 生まれさえしないのかもね。物体は一瞬た
 りとも止まってはいない。そう考えても差
 し支えはないだろう。いや、時刻において
 は止まっている?それは運動の捉え方だろ
 う。運動以外の捉え方もあるってことだ。
 動いている物体、存在のありのままの捉え
 方だ。この捉え方だと記憶も要らないな。
 今現在の物体だけに注目すればいいんだ)
(おまけにこういうことも言える)
(運動における「動いている物体」ってのは
 あくまでも視覚による映像としてのそれで
 あって、外界のそれ自体とは違う。内界の
 ものさ。両者は繋がりも関係もあるけど別
 別のものなんだよな。唯物論の立場で考え
 てもね。そこがポイント)
(ふーーーーーーっ)
(先に位置について考えといて良かったな。
 頭の中がこんがらがらずに済んだよ。あれ
 で大分楽になった。点は脆いよ。矛盾して
 るからな。位置様様だ)
(はっ、待てよ、時刻も点だよな。時点って
 言うくらいだから・・位置としての点に対
 応しているし・・じゃあ時刻と言うのも一
 皮剥けばか?だったら過去から未来へと進
 んでいる現在の点もか・・)
(へーーーっ、そうなの?)
(どっちも主観的?人間の作り事か?)

 (そうだよね。唯物論の立場でも、物事は
 それが外界にあるのか内界にあるのかを注
 意深く慎重に吟味してキッチリと仕分けな
 きゃあね。鵜呑みにするなってことか)
(どうだろう。運動という外界にある動いて
 いる物体、存在の捉え方は主観的?)
(まあ考えて見れば、捉え方って言うぐらい
 だから主観的ってことか)
(ってことは時間も主観的?内界にあって外
 界には無い?あれは真理の原石だった?)
(少しは真理に近付いた?)
(ちょっと疲れたな。この辺にしとくか)
(でも大分考えが進んだぞ。へへへ・・今日
 の僕はやけに冴えてるな。それになんでこ
 んなに色々なことを知ってるんだろうな。
 続きは後のお楽しみだ)
ブルース・リーの私は立ち上がりヌンチャク
を振り回し怪鳥音を発した。「アチョー!」
「アタタタタタッアタホーッ!」そしてブル
ース・リーはゴロリと横になると眠りについ
た。

 そこで夢から覚めた。目を開くと見慣れな
いところにいる。ここは何処だ。見上げると
日めくりのカレンダーがある。それによると
「2024年3月18日」とある。僕は跳ね
起きた。慌てて鏡の類いを探すと厨の冷蔵庫
の上に手鏡があった。そしてそれを覗き込む
と一人の老人の顔が映っているではないか。
なんてことだ。あれからもう50年も経った
って言うのか!半世紀じゃないか。ただあれ
っぽっち考えただけなのに・・どんな酷い目
に遭ってもいいからってこのことか。そんな
あ・・・神様は意地悪だ。あんまりだよ。あ
れだけ考えられただけでもまだ増し?・・そ
んな・・そして、手鏡を静かに置くと65歳
の僕は15歳だった僕が知らない漢詩を呟く
ように諳んじた。
「偶成 朱熹
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声」

「偶然出来た詩 朱熹
学問の道は長く遠いが、若者はすぐに齢を取
ってしまう。僅かな時間も無駄にせず勉強し
なさい。池の堤の草の上で見る心地良い春の
夢も覚めやらぬ内に、階段の前の青桐の葉っ
ぱはもう秋風の音を聞いている。それ程、時
間は早く過ぎ去ってしまうのです」 <終>




戻る