私と科学哲学


哲学を科学する

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作成日 2003/3/12

私の哲学は、まず、「時間とは何か?」という問いから始まった。当時、相対性理論の時間など、物理学的時間についての知識はほとんどなく、従来の時間の概念しか頭にはなかった。だから、科学的時間というよりも哲学的時間について徹底的に突き詰めて考えるという作業を行っていた。そして、行き着いたところは、結局、科学だった。「時間とは脳内における情報処理の手法である。」という極めて科学的な結論に達した。哲学を突き詰めたら科学になってしまったのだ。このホームページの「ゼノンのパラドックス」のある程度の解決は、この時間についての考察の副産物であった。時間について考えているうちに、知らぬ間に、ある程度解けてしまったというのが本音だ。「ゼノンのパラドックス」も科学の矛盾点をついた哲学的テーマであるが、これの解も極めて科学的なものになってしまった。認識論上の観念論と実在論の問題も、これはもうもろに哲学的テーマであるが、徹底的に突き詰めて科学の目で見ると、観念論と実在論の両立という決着を見る。私の場合、常に唯物論のスタンスをとっていたというのも、これらの要因の一つに違いないが、哲学を科学の目で見る。哲学を科学する。これが十分、有効であるという一例ではないかと自負している。

科学哲学は、科学を哲学の目で見る。科学を哲学する。科学の根底にある哲学的部分について吟味するという点にスポットがあてられがちだ。しかし、その逆、繰り返しになるが、哲学を科学の目で見る。哲学を科学する。哲学の根底にある科学的部分について科学的に吟味する。これらも科学哲学に課せられた非常に重要な使命であるといえるのではないだろうか。思うに、哲学と科学は表裏一体のものであって、 どちらが優位かを論ずるのは、ナンセンスというしかないだろう。




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