矢(飛ぶ矢)
「唯物論的時間」より
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作成日 1999/2/7
ゼノンのパラドックスで、「矢(飛ぶ矢)」と呼ばれるパラドックスがある。どういうものかというと、
「矢の飛行をどのようにかんがえたらいいのだろうか。矢の運動というのは、空間の中での位置の
変化だ。飛んでいる矢はそれぞれの瞬間に違った位置にある。ある決まった瞬間に矢は決まった
一つの位置にある。そして、その位置に静止している。つまり、それぞれの瞬間に、それぞれの
位置で矢は静止していることになる。『これはつまり、運動というものがないということです』と
ゼノンが言う。・・・・・」
というものである。
参考文献 「時間のはなし」 チェルニン著 田井正博訳 東京図書
このパラドックスを解くには、どのように考えればよいのか。それには、このホームページの
「唯物論的時間」における5行目から6行目にかけての「未来は無く、過去は、ことごとく消滅
する。残るのは『現存するデータ(記憶、光なども含む)』のみである。」という部分を参考に
していただきたい。ここでいう「現存するデータ」は、「運動」も含むのである。
「運動」というのは、あくまでも「データ」であって、「動いている物体」そのものではない。
したがって、「矢(飛ぶ矢)」の場合も、「矢(飛ぶ矢)」の「運動」という「データ(点時刻表示)」において、「矢(飛ぶ矢)」
は静止している訳だから、なんの不思議もないのである。
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