「生」と「死」と

〜「やまなし」について〜


   「やまなし」。
 小学校の国語の教科書に取り上げられていることもあって、賢治童話の中でもとくによく読まれている作品と言えます。 しかし、だからといって決して他の作品と比較して簡単という訳ではなく、短い中にも多くのメッセージが含まれています。 このため、教育現場では「他の教科書掲載作品とはちがう」という面で苦労もあるようです。
 では、「やまなし」は子供には難しい作品か、というと必ずしもそうではなく、むしろ大人である教師に難しい作品と言えるのではないでしょうか。

 この作品の大きな特徴は、「川底の蟹の子供(大人ではなく)の視線から書かれている」事です。
 川底から水面を、そしてその上の外界を見つめる子蟹たちの位置は、そのまま人間の世界の大人社会を見つめる子供の位置と重なるように思えます。
 故に、子供達はこの作品を「蟹の視線で」見ることに抵抗はなく、大人はそれが難しいのだと思います。
 一見、簡単なように思える散文の中に存在する、意味不明の賢治造語。 「クラムボン」とは何なのか、そして何故「殺された」のか、何故「笑った」のか。 これらを大人の視線で見つめ、理解しようとすることは無意味なことかも知れません。

 そしてもうひとつの特徴は、「5月と12月の対比のおもしろさ」であると言えます。対応する部分をまとめてみました。

環境(光)
  5月:昼(日光の黄金色)
 12月:夜(月光の青白い色)
周辺物
  5月:動的(魚などの生命)
 12月:静的(雲母などの非生命,鉱物)
侵入者
  5月:「コンパスのようにとがった」かわせみ(死を与えるもの)
 12月:「丸い」やまなし(生命活動の成果物)
 ※さらにこれらの進入者は、それまでの川底の秩序を変えるものとしての役割
  をも持っています。進入者登場前後を比較すると、次のように二重の対比に
  なっていることが解ります。
  5月(前):生命に満ち溢れた春の川底
  5月(後):かわせみによる「死」の恐怖・不安感
 12月(前):生命力の希薄な静寂な冬の川底
 12月(後):やまなしの豊潤な香り・未来への期待感(おいしいお酒)
蟹の子の会話
  5月:幼さの残る意味不明の会話
 12月:成長を感じさせる泡の大きさの比較

 軽く読み流しただけでは気付かない部分もありますが、同じ川の底を舞台としていながら、その雰囲気は対照的なものであることがわかります。 そして,変わったのは環境だけではありません。7ヶ月の間に蟹の兄弟も大きく成長を遂げているのです。
 「5月」と「12月」の比較により、蟹の兄弟の成長について考察してみます。

「5月」
 蟹の兄弟の他愛無い(そしておそらく意味のない)会話で始まります。会話の中には、「殺された」というこの場に似合わない物騒な言葉が出てきます。
 おそらく、春の蟹の子らは「クラムボンは殺されたよ」と話しながら、実際には「死」の概念について理解していなかったのではないでしょうか。 それを変えたのは「死」の象徴としての「かわせみ」の急襲であり、これによって蟹の子らは「死」が身近にあることを知り、一歩成長することになったのです。

「12月」
 兄弟の泡の「大きさ比べ」から始まる情景。そして落ちてくる「やまなし」。
当初、蟹の子らはこの外界からの侵入者を「かわせみ」と勘違いしますが、父蟹からこの侵入者が「やまなし」であること、 そして「おいしいお酒」がもうじき飲めることを知って喜びます。(この「お酒」をジュースと解釈する説もありますが、表記のまま酒と解釈すべきと思います。)

 どうでしょうか?
 5月:「単純な言葉遊び」→「死の意味を知る」
12月:「成長を感じさせる会話」→「お酒」(大人の飲み物)
と、明らかに蟹の兄弟の成長が感じられます。

 この他にも、この短い作品に仕掛けられたものはたくさんあります。(それこそ、1冊の本が書けてしまうほどに!)
 賢治が意識的に入れたものかどうかわかりませんが、ちょっと気づいた事を参考までに数点挙げてみます。


*水上の世界(外界。蟹にとって天界?)が与える物は「生」と「死」の両方。

*水中の世界は閉じた生態系ではなく、水上の世界と密な関係を持っている。

以上。


<参考>単語解説

クラムボン
  プランクトン,アメンボ,泡,貝,蟹等、様々な説があるが、不明。
 登山用アイゼンの別名やクラリネットのメーカー名(ともに、クランポン)か
 らとったとする説も。
  プランクトンと解釈し、プランクトン<魚<かわせみという生物界の食物連
 鎖が前半部(5月)に記載されているという説もあります。
  「クラムボン」を意味のある「蟹語」とする論考が一般的ですが、その音の
 由来はともかく、私は(蟹の世界の標準語としての)「蟹語」ではなく、意味
 の無い幼児語、若しくは蟹の子が「何か」に勝手につけた名前ではないかと思
 います。(人の子供も変な言葉を勝手に作ったりしますよね。あれです。)

イサド
  おそらく、蟹にとっての楽しい場所(町?)なのでしょう。同じ音の単語と
 して、童話「風の又三郎」と、その原型となった「種山ヶ原」の中に「伊佐戸」
 という町名が登場します。モデルとしては、岩手県内に実在する地名「岩谷堂」
 (いわやどう)や、「砂子沢」(いさござわ)が有力視されています。




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