行ってしまった。 遠く巴里へと向かう船に乗る大神を見送りなおも立ち去り難く、 水面に残る白い航跡を見つめる青みがかった銀の髪の少女、レニ・ミルヒシュトラーセ。 少し離れて佇むプラチナブロンドの長身、マリア・タチバナ。 眠れない。 マリアは枕元の灯りをつけると上半身を起こした。 肌身離さず身につけているロケットを開く。 ロケットの中の優しい笑顔。 大神の言葉を思い出す。 大神の手がマリアの手をとろうとする。 思わず手を引いてしまったマリア。 「マリア?」 「済みません、隊長。私の手はけがれているから・・・」 「・・・優しいんだね、マリアは」 そう言って大神はマリアの手を握った。 『自分は生きるために多くの人を手にかけてきた。 それは決して消えることのない罪だ。』 大神はそんなマリアの思いを分かってくれていた。 大神は人の限りを知っている。そして赦してくれている。 そう思ったときマリアは、大神の少しひんやりとした手から 何かほとほとと暖かいものが流れ込んで来るのを感じた。 たとえ、誰が赦さなくとも大神だけは自分を赦してくれている。 その時、はじめて自分の心が少し楽になるのを感じた。 「隊長・・・」 冥い道を歩いてきた。大神にあってようやく明るい道に出ることが出来た。 この道をずっと大神と共に歩いていきたい。 そんな思いの呟きだった。 暗闇に少女は背を壁に床に座っていた。 眠れずにただぼんやりと暗闇を見つめていたレニの心に 唐突に遠い日の記憶が蘇ってきた。 ヴァックストゥーム計画 最強の兵士を作り上げるための国家を上げてのプロジェクト。 レニはその実験台だった。 身体のいたる所に電極を取り付けられての測定。 戦闘、霊力発動。 戦闘後の測定。 薬物による霊力制御の可能性。 電気信号による霊力制御の可能性。 そういったものを見いだすべく 様々な実験が行われた。 一緒に連れてこられた仲間の数は日に日に減っていく。 『もういやだ!なぜボクがこんなことをしなくちゃいけないんだ!』 心はそう叫んでいる。だがそれを声に出したところで状況は変わらない。 それに、ここを放り出されてしまえば、明日から食べる物にも困るのだ。 耐えるしかない。そう思って耐えてきた。 だが、心は日毎疲弊し、すり切れ、限界が近づいていた。 ある日、レニは研究プロジェクトの統括責任者フォン・エーベルバッハ博士の 部屋に呼ばれた。 博士は自らわずかながらも霊力を持つ初老の男性だった。 「レニ、君は非常に優秀な成績を示している。だが、私の見るところ君の心はもう限界だ。 これ以上の訓練、実験は君の心を完全に破壊してしまうだろう。 私の部下達は非常に優秀な研究者だが、いかんせん若すぎてそれが見えていない。 ・・・だが、この計画が国家を上げてのものである以上私にはもう止める力はない」 「・・・」 「だから、レニ。私にはもう君の心を救うのに一つのことしかして上げられない。 私を赦してくれ、レニ」 そう言うと博士の瞳に霊力の輝きが宿った。 「レニ、君の『心』を封印する。『心』が封印されている限りどんな実験にも訓練にも 耐えられる。『心』は破壊されない。ただ、眠るだけだ。この封印は、霊力を持つ 人間にしか解くことは出来ない。だから、君がもし将来ここを出て、霊力を持つ 人間に出会えたら、そしてその人が君のことを本当に思ってくれていたら、 この封印は解けるだろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 あの日以来、何もない虚無の道を歩いてきた。大神に出会ってはじめて 世界には意味があるということを再び感じられるようになった。 記憶が蘇ったと言うことは、封印が解け始めているということだろう。 「隊長・・・」 もっと早く大神に会いたかったとレニは思った。 図書室の扉を開ける。 そこには先客がいた。 図書室のほのかな灯りが金の髪に反射している。 マリアだ。 一心に何かを読み耽っている。 「何を読んでるの」 いつものレニなら黙って自分の本を取りに行っただろう。 だが、今日は違った。 「え?あ、ああ、レニ」 マリアは少し驚いたように顔を上げた。 「ダンテよ。神曲の天国篇」 「偶然だね。ボクもその本を読みに来たんだ」 孤独な冥い道を歩いてきた二人が、大神に出会い得たもの。 その形はよく似たものだったのかも知れない。 知らず二人は同じ詩をくちずさんでいた。 『 私の持つ翼では、そこまで登れなかったが、ただそのとき、一筋の光閃いて、私の心を烈しく打ち、その刹那、願ひは成満した。 高きにいますものを受像する力は、ここで尽きた。しかし早くも、私の願ひと私の意志は、まろやかに廻る輪のやうに、かの愛に巡らされていた。 その愛は動かす。太陽と、ほかのかの星々を。』 蒼の瞳と碧の瞳は、互いに相手を見やって静かに微笑んだ。 #寿岳文章訳・ダンテ「神曲・天国篇」より一部仮名遣いを現代風に表記しました。 #マリアとレニがどことなく似ているなあってことから思いついた話です。 #設定などには「作者オリジナル」=「妄想」がかなり入っています。ご注意下さい。 #かのフォン・エーベルバッハ博士の子孫がフライドポテト好きの少佐になるか #どうかは定かではありません。(^^) |