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「ある誕生」



 僕はいつも独りぼっちだった。
 古から連綿と続く陰陽師の家系に生まれた僕は、当主である父以外の人に本当の名や誕生日を知られてはいけないという事情で、ただ一人を除いては友達もいなかったし誰かに誕生日を祝ってもらったこともない。
 他人に自分の本当の名や誕生日を知られることは、その者に支配されてしまうことになるからだ。
 僕自身すら自分の本当の名も誕生日も知らない。
 それを僕に告げる前に父は死んだからだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 僕の家には服喪の儀式があった。

 最初の一週間は通常の食事を行う。
 次の一週間は食事の量が徐々に減っていく。
 その次の一週間は家の井戸から汲み上げた霊水以外は一切摂らない。
 そして死者が受け継いできた祖霊をこの身に受けるのだ。
 更にその次の一週間は徐々に食事の量を増やしていく。
 この4週間の手順を三回繰り返すことで服喪は完成する。
 父の死後、家宰に言われるまま僕は服喪の段取りをこなしていった。

 高い位置にただ一つだけ窓のある斎室で僕は独り座り続けた。
 食事の量が減るにつれ、僕の若い身体は悲鳴を上げ始める。
 だがそれにつれ逆に意識は研ぎ澄まされて行った。
 僕は元来が自然の気配に敏感な質だったが、断食の期間中は以前にもまして感覚が鋭敏になるのが分かった。
 風の流れや光の粒までが見えるようだった。

 そんなある夜、真円を描く銀色の月を見ていた僕は自分が空っぽであることにふと気づいた。
 斎室の高い窓から差し込む月の光に照らし出された僕の心の中には何もなかった。
 あるのは、かつてそこに何かがあったという記憶だけ。
 たった一人の友達を奪った父の命を僕は奪った。
 かけがえのないものを失ってしまったという喪失感だけが残っている。
 唯一僕の真名を知る父は僕にそれを告げる前に死んだ。
 それはすなわち僕自身も含めて、僕を縛ることのできる者はもうこの世には一人としていないということだった。
 僕は支配すべきかけがえのない自分自身を永遠に失ったのだ。
 なんという孤独。
 自らさえもいないこの孤独。
 酷い喪失感に目眩を感じて僕は斎室の床に倒れ伏した。
 何かが酷く哀しかった。
 そしてその哀しみすらなにやらぼんやりと感じられるほど心が虚ろだった。
 あの時以来初めての涙が床にこぼれ、冷たく頬を濡らしていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 何時間そうしていただろう。
 気が付くと月の光は最早部屋を去っている。
 僕はのろのろと身体を起こした。
 その時再び部屋を満たした暗闇の中で僕の中に何かが入ってくるのが分かった。

 不思議と懐かしい、だが何か冷ややかな感覚のする力だった。

 これが、我が家の祖霊か。

 それならば懐かしいのも冷ややかなのも納得がいく。
 何しろ自分の祖先の霊であるから懐かしいのは当然であり、その力を身に受けた父を葬ったのだから祖霊が冷ややかなのも当然だ。
 だが行き場を失った祖霊は是非もなく僕という容れ物に収まるしかない。
 そして僕はそれを受け入れた。
 少しでもこの身の、この心の空虚さを埋めたかった。

 だが体に流れ込んでくる祖霊の力は僕の内なる広大な空虚を埋めることはできなかった。
 それも道理、僕は幼くしてすでに祖霊の力を受けた父をも上回る力を持っていたのだ。
 その僕の力を統べるべき僕自身の不在という巨大な空白を祖霊の力だけで埋められるはずはなかったのだ。

 それが分かった時、僕は強烈な飢餓感に囚われた。
 この空白を埋めたい。
 僕は僕自身を取り戻したい。

 それほどまでの心の虚ろさを何か他のもので埋めなくては耐えられないと思った。
 自分にとっての自分に匹敵するほど大事な他の何かで。

 何か。
 それは世界しかない。

 この世界を支配するしか僕は自分を埋め合わせることができないだろう。
 僕の中に一つの欲望が生まれ、それは急速に成長を始めた。
 今ある世界を壊し自分の理想とする世界を作り上げるのだ。
 僕の唯一の友達だった魔と人が共存できる世界を作り上げるのだ。
 僕はそのために生きよう。

 まず始めに僕は自分の名を付けねばならない。
 例え、仮初めの名でもある程度は己を支配する役には立つ。
 そしてこの古き都から出でて居を帝都に移す。
 まずはこの国の新しい霊的中枢である帝都を手中にするのだ。

 そして、いつか吾に慶びの蘇らんことを。
 僕は自分を慶吾と名付けた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 そう我が名は京極慶吾
 喪が明けて自らを新しく名付けたこの日が我が誕生の日だ。
 私は斎室の扉を出ると、出迎える家人共に厳かに告げた。

「今日より京極家移動だ。帝都に向かうぞ」

 居並ぶ家人共は我が眼前で左右に分かれ片膝をつく。
 それは私の進む道だった。
 その先に私は自分の未来を見た。
 その道に一歩を踏み出したとき、私の中で世界はゆっくりと変わり始めた。


(了)




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