これが最後の日記じゃろう。 じゃからいつもより少し、いや大分長い。 もう筆も持てぬゆえ蓄音装置に口移しじゃ。 夜来生き来しかた90余年の日記を全部読み返す。 ふぉふぉふぉ、わしもぼけたもんじゃ、もんじゃ焼き。 ふぉっふぉっふぉっふぉっ、げふげふ、うえーぁっ、ぺっ! …ふぅ。 わしがなぜいまここにいるか。 ようやくそれを思いだしたわ。 思えばきっかけはあの男、竜馬じゃった。 坂本竜馬、奴はぐうたらでいい加減な男じゃった。 じゃが不思議と人の気を逸らさん独特の雰囲気を持っていた。 何事にも根気が続かん男で剣術も正統的なもんではなかったが、それでも千葉道場の誰も勝てんかった。道場の恥になると言うんで免許はもらったようだが、実はあれは一刀流でもなんでもないただの喧嘩剣法じゃった。 そんな奴が、倒幕の引き金になるような薩長の同盟を取り持つことになるんだが、儂は知っている。奴はなぁんにも考えておらんかった。ただ適当に両方に金と酒をせびっては調子こいてただけじゃ。 だが、結果は結果。奴のやったことが多くの人間の運命を変えることになった。 その報を聞いたとき儂の頭脳はその結果を明確に思い浮かべることが出来た。 儂は思った。 これは何じゃ。 あんないい加減な男が何故かくも重大なる役割を果たすのか。 その秘密が知りたくなった。 それで奴を観察した。 だが良く分からん。 それで殺してみた。 その時じゃ。 奴の目が光を失い、鼓動が止まってもなお奴の気配が漂っているのを発見したのは。 その時儂は全てを感得した。 奴には知力、戦闘力、魅力なんぞというのとは違う力があったのだと。 そしてそれを感応できる儂自身にもその力はあると。 それがすなわち霊力とか神力とか妖力とか魔力とか言われる力じゃ。 以下面倒くさいので「霊力」で統一じゃ。 儂はそれまでに学んだ蘭学を捨て、その力の研究に意を注いだ。 儂自身について、そして他人の力について。 そうするうちに不思議なことに気づいた。 儂の行くところには常に誰かが先回りしていたのじゃ。 誰かが儂と同じ事を調べている。 そしてそやつは生意気にも儂を監視している。 儂は罠をかけてそいつを捕らえた。 そいつの脳から直接に情報を搾り取り殺した。 そいつは「機関」の手先で霊力を持つ者を監視し取り込むのが仕事だということだった。 その「機関」は古の昔から続く強大なる組織で世界中にその網が張ってあるらしい。 これはチャンスだ。 そのような組織であれば知識の蓄積も相当な物だろう。 儂の頭脳を以てすれば研究が一気に進むことは間違いない。 儂は「機関」を利用することにした。 思った通り「機関」の知識の蓄積量は相当な物じゃった。 特にここ最近の霊力に対する西洋の動きには興味深い物があった。 古来霊力を持つ者は努力し、克己し、研鑽を重ねて霊力を錬るのが普通じゃった。 が、ここ最近の何百年では楽して巨大な霊力を手に入れようとする研究がなされておるらしい。 すなわち「賢者の石」から霊力を機械的に引き出す研究じゃ。 ちょっち言い方が正確でないの。 すなわち自らの中に眠る霊力を賢者の石によって増幅しそれを機械的な方法で取り出し仕事をさせるという研究じゃ。 興味を覚えた儂はその研究に自らを参画させた。 そして完成させたのが霊子力学の体系であり、霊子機関じゃった。 その理論と技術の断片は様々な国の出先機関に伝えられた。 何故断片かと? ふぉっふぉっふぉっ、儂が一部を秘匿したからじゃよ。 なんでかと? そりゃ老いじゃよ。 ある日儂は小用を足そうとしたんじゃ。 出ない。 尿意は在るんじゃが出ない。 あきらめて部屋に戻った。 そして座るとまた尿意を催す。 面倒なので座ったまま溲瓶に出すとこれが出るわ出るわ。 儂は溲瓶に溜まっていく小便を見ながら情けなくなった。 これが老いるという事か。 その時儂の心に卒然と沸き上がってきたのは何かを残したいという想いじゃった。 老いが人間を円くすると言うのは嘘じゃ。 老いは人間を気短に、我が儘にする。 そして生きたいという生への執着はいやますのじゃ。 儂は自分の作り上げた技術を自分の為に使おうとしたんじゃ。 それで一部の技術は「機関」に報告しなかった。 そして儂は「機関」と訣別する。 きっかけはあの男、「機関」の長じゃ。 その男はわしよりも数十年を長く生きる妖怪じゃった。 最早自力では何もできず排泄さえ身の回りの物の世話になっている。 しかし儂はそやつに儂と同じ老いの妄執を見たのじゃ。 もっと生きたい、世界に何か爪痕を残したいという妄執を。 そやつのしわに埋もれた小さな目には世界の霊力を独占しようという欲望がちろちろと燃えて居った。 そやつは儂に共に征こうと言った。 じゃがごめんじゃった。 自分で排泄もできんようになったら死んだ方がましじゃ。 それが人間の尊厳という物じゃろう。 儂は尻を向け一発屁を放りそやつの前を後にした。 その瞬間奴の小さな目にまだ自力で屁を放ることの出来る儂に対する羨望と憎しみの入り交じった光を見た。 そして儂らは訣別したんじゃ。 これが本当のケツ別なんての。 ふぉっふぉっふぉっ、げふげふ、かぁ〜っ、ぺっ! 「機関」と訣別した儂に接触してきたのは京極という男じゃった。 京極の小僧も野心があり、やはり「機関」の存在はつかんでおった。 儂の存在も知って居ったようじゃ。 勿論「機関」の方も京極の動向はつかんでおった。 知っていて放任して居ったのじゃ。 京極が為したことを後からまるごとトンビに油揚げするために。 ま、どっちもどっちじゃな。 無論、一代で事を為そうという京極が圧倒的に不利なのは間違いないがの。 それで儂は京極に力を貸してやることにした。 「機関」の邪魔をするために。 儂自身のために。 京極とその子分共のために霊子甲冑、奴らは何故か魔装機兵と呼んどるようだが中身は一緒じゃ。でそのなんといったかの、そう霊子甲冑を作ってやり降魔とか言う人間のなれの果てと機械を融合させた兵器の開発にも取りかかった。 それが一年前のことじゃ。 ある日儂は空腹を覚えて厨房に行った。 その時『又来たのか』と言われたんじゃ。 儂は自分がメシを喰ったのを忘れていたらしい。 遠い昔のことは思い出せるが、ついさっき何をしていたのかがなかなか思い出せない。 この儂がぼけてきた。 儂は残された時間の短さに愕然とした。 そんなときについに京極はあからさまに動き出し、帝国華撃団の連中との抗争が勃発したんじゃ。 儂もリハリビリがてらその戦いに参加することになった。 我が頭脳の衰えには多少心配もある、じゃがそれもいいかもしれんと思い直した。 それくらいが丁度いいハンデじゃ。 儂のボケに奴らが上手くつっこめればそれでよし。 それに奴らの霊子甲冑も基本的には儂の技術を再構築したもの。 いわば全ては儂の掌の上で踊るゲームじゃ。 ずびっ、ずびずばっ! うぅっ、寒いのう。 もうすぐ夜明けか。 …なんと雪が降って居るわ。 ………。 降る雪はいいのぉ。 見ていて飽きん。 自分が無限に上昇して行くようなそんな気分じゃ。 ………さて行くかの。 (了)
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