ぎゃぁっ、ぎゃあっ、ぎゃぁっ。 広壮な館の上空に不気味な鳥の啼き声が聞こえる。 夜更け過ぎ、男は豪奢な執務室で報告書に目を通していた。 突然、訳も分からない生理的な恐怖感に襲われて目を上げる。 前方の暗がりに僅かに闇よりも濃い影が立っていた。 「お、おどかすな。いつもながら気味の悪い奴だな」 「用件を聞こうか」 「う、うむ。まずはこの報告に目を通してくれ」 「………月組隊長の報告か」 「うむ。京極陸軍大臣の政財界における支持者の調査書だ。黒鬼会運営の為の資金援助に手を染めている者もいるようだ」 「………具体的に話して貰おうか」 影の男は渡された報告書に素早く目を通すと先を促した。 「京極最大のスポンサーである茶屋四郎を消して貰いたい。花組には黒鬼会と京極の妖魔部隊を叩いて貰う。だがそれだけでは政財界に張り巡らされた魔のネットワークを断ち切ることは不可能。だが資金が底をつけばネットワークは立ち枯れるだろう」 「兵糧責めというわけか。………承知」 「では連絡員を紹介しておこうか」 「…そんなものはいらん」 「だが、情報は必要だろう?」 「この加山の報告で必要十分。鈴をつけようなどとは思わぬ事だ」 「そ、そんなつもりは」 「いいか、勘違いするなよ。我らは帝国華撃団鳥組を名乗ってはいるが、貴様の配下になった覚えはない。我らの忠誠はあくまでお一方のものだ。それが証拠に米田も藤枝も帝撃各部隊の隊長も我らの存在は知らぬ。我らはあくまで影の影。『死の使い』なのだ。今はあのお方のご意志と貴様の組織の意志が一致している故協力しているだけだ。自らを『賢人』などと嘯く不遜な組織が万が一あのお方と我が国を損なうような挙に出るなら我らの死の翼は貴様らに触れることになる」 「そ、それはよく分かっている。私とて機関に全面的に賛成しているわけではない」 「………その報告書の内容はすべて頭の中にある。廃棄せよ。明日以降の新聞を楽しみにしていることだ」 影の男はすっと闇に溶け気配を消す。 その瞬間に部屋の気温が急激に上昇したような感覚に襲われる。 「鳥、死の使いか。相変わらず薄気味の悪い奴よ」 暖炉に報告書をくべ、立ち上る煙を眺めながら花小路伯爵は冷たい汗を拭った。 「茶屋四郎、京の豪商の裔、茶屋財閥総帥。ふかく政財界の大物との繋がりがある。後継者は凡庸。非常に用心深い男でいつも用心棒と共に行動する。だが唯一の欠点が薔薇を偏愛すること。珍しい薔薇があれば必ず自らが出向く」 「なるほど。では紫の薔薇を使うか」 「うむ。まずは偽名で帝都郊外に土地を買い温室に2千本ほど紫の薔薇を栽培せよ。しかるのち新聞社に情報を流すのだ。後は奴の方から連絡があるのを待つだけで良い」 「承知」 「いやはや帝都日報におたくの記事が載ったときには我が目を疑いましたよ。まさか紫の薔薇がこの世にあるとは。しかも今は薔薇の季節はとうに過ぎているというのに」 茶屋四郎はその巨体を悠然とゆらしながら農園の主と歩を共にしている。 「それこそが我が家の秘法でございます。あちらに見えますようなガラスの館に温気を閉じこめますればたとえ真冬であろうとも薔薇を楽しむことができます」 「早速紫の薔薇を見せていただきたい」 「もちろん。ではこちらへどうぞ」 主は茶屋四郎を温室まで案内する。油断なく目を配る3人のボディガードがその後に続く。 やがて男は温室のドアを開いて茶屋を招じ入れる。 「温気を閉じこめますために入り口が少し狭うなっておりますゆえ御頭とお足元にご注意ください」 「うむ」 腰をかがめて茶屋が入り口をくぐる。 ボディガード達の視線はそれにつられて下方にそれる。 男はその一瞬の隙を見逃さなかった。 手に隠し持った鋼球を指弾し、最後尾のボディガードの額を射抜くと、間髪を入れず両手の隠器で残る一番前で入り口をくぐろうと屈んだガードの盆の窪と続く男の心臓を突き刺す。 一瞬の早業にボディガードは銃を抜くことも出来ずに崩れ落ちた。 静かに扉を閉め男は温室内に足を踏み入れる。 茶屋四郎は後ろの惨劇に気が付きもせず紫の薔薇に見蕩れていた。 「素晴らしい。まさかこれ程のものとは」 「お気に召しましたかな」 「うむ。素晴らしいですな。ぜひ株を分けていただきたい。この茶屋四郎、金に糸目はつけませんぞ」 「いえ、お金は結構です」 「なに?」 全ての価値を金で量ることに慣れた茶屋はその言葉に不穏な気配を感じて後ろを振り向く。 「お命を頂戴したい」 「ひっ!」 振り向いた茶屋の目に温室の外に倒れるボディガード達の姿が映った。 「な、なぜ」 「禁断の薔薇を観たからですよ。紫は冥王ヤマの色。その薔薇を観たからには代償としてお命を頂くのです」 「お、お前は何者だ?!」 「私は明鴉。死の使い」 その瞬間、あたりの気温が数度下がったような気配と共に茶屋の背中を恐怖が駆け登る。 茶屋はいきなり振り返ると逃げ出した。 明鴉は軽く跳躍すると茶屋の背後に着地し首に腕を巻き付ける。 「せめて愛する薔薇の中で果てなさい」 首を極めた腕に力をこめる。 ごきっ。 骨の砕ける音と共に茶屋の巨体は薔薇の中に崩れ落ちた。 薔薇の花弁が舞い上がり、やがて茶屋の身体に降り注ぐ。 そして茶屋は紫の花吹雪の中で息絶えた。 「花は地に満ちるべし。そのためには雑草、害虫は除かねばならぬ。我らはそれらを啄む鳥。冥界の使者なのだ」 明鴉は呟きとともに姿を消す。 後には馥郁とした薔薇と死の香りだけが残った。 (了)
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