花が舞い散る。 青白い花の密生する丘の中腹に腰掛けて一人の青年がぼんやりと空を眺めている。 漆黒の髪に黒曜石の眼。いつも何かを考えているかのような茫洋とした表情。 クラウス・ベッケンバウアーは魔界の名門ベッケンバウアー家の次男である。 ふと魔界の青い太陽の光が翳る。 逆光で顔が見えない。 「ここにいたのか、クラウス」 「兄さん」 リヒャルトはベッケンバウアー家の若き当主である。 金の髪に蒼い眼。どうどうたる美丈夫。加えて滔々たる弁舌、堂々たる実行力。 その人望は王をしのぐとも言われる。 リヒャルトはクラウスの横に腰を下ろした。 「どうだ、最近は」 「うん、なんとか」 「…なあ、クラウス。お前はもっと自分に自信を持った方がいい。 お前はきっと俺なんかよりもベッケンバウアーの家を継ぐに相応しい筈なんだ。 俺は感じるんだよ。お前の中に眠る力を」 「僕にはそういうの向いてないと思うんだ」 「いや、そのうちに分かる。 それまでに俺がレールを引いておいてやるよ。 だから自信を持て」 リヒャルトは立ち上がると館の方へ向かった。 「俺はこれから王宮に出かけてくる。 じいが心配していた。 なるべく早く戻れよ」 「うん」 だがしかしクラウスは相変わらずぼおっと空を見ている。 「やっぱり僕には向いてないよ」 リヒャルトが帰ったのは、深夜に近い頃であった。 その身には無数の刺し傷がある。 ここまで帰って来れたのが不思議なくらいだ。 「兄さん!」 「こ、近衛隊にやられた。お、王はどうやら俺達が、ベッケンバウアーの家が邪魔らしい。 ほ、他にもかつて名門と言われた家の当主がだまし討ちにあっているようだ。 誰かが…王を操っている。今の王では良くも悪くも…これだけの判断はできない。 き、気をつけろ、クラウス。奴らは俺が逃げたのを知って討手を差し向けるぞ」 苦しそうに喘ぐリヒャルトの手を握りながらクラウスは、 兄がもう助からないことを悟っていた。 「しっかりして、兄さん。今手当をするから」 「ふ、……無駄だ。…もう助からん。クラウス、これからはお前がベッケンバウアーの家を守るのだ。…ゴルトに乗れ。我が祖先より伝えられし魔装甲冑に。俺は乗れなかったが、お前ならきっと乗れる」 「無理だ。僕は今まで戦闘なんてやったことがないよ」 「甘ったれたことを言うなっ!ぐっ、…そ、その甘えがお前の真の力の目覚めを妨げているのだ。甘えを捨てろ。そして戦え。魔界では戦わぬ者は死ぬ。うっ、ぐっ」 リヒャルトの手がクラウスの手を強く握りしめる。 「兄さん!」 「もういかん。さ、最期だ。お、俺はいつでもお前の戦いを見ているぞ。………」 最期の瞬間、リヒャルトの手は青白く光ると力を失い落ちた。 クラウスの右手の甲にはリヒャルトの指の形に痣がついている。 それは弟を見守る兄の愛の徴だった。 クラウスの心に兄の気持ちが流れ込んでくる。 幼い頃から泣き虫の自分をかばってくれた兄。 最期まで自分のことを気遣い、励ましてくれた兄。 その兄の心に応えなくてはならない。 クラウスの心の中に小さな炎が点った。 やがてその炎は静かに心を燃え立たせて行く。 「兄さん、僕にどれだけのことができるのか分からないけど、 やってみるよ。 ベッケンバウアーの家を守る。 そして兄さんをだまし討ちにした王を倒す。 正々堂々と真っ正面から倒して見せるよ。 ……だから、見ていてよ兄さん」 クラウスは右の手をきつく握りしめる。 そこにはあの茫洋としたクラウスの面影はなかった。 「クラウス様!、討手が来たようですぞ!」 「誰だ?」 「ミュラー将軍です」 「なんだって!?爆撃ミュラーがっ?」 ゼーレン・ミュラー。 王の臣下の中でも一番の猛将である。 その爆撃にも例えられる重厚な攻撃を よく耐えうる者は王国内にはいない。 「ミュラー将軍を差し向けるとは。………だが、それだけこのベッケンバウアーの家を恐れていると言うこと。ならば、僕がゴルトに乗って、兄さんの言ったような力を発揮出来れば勝算はあるはずだ。それに賭けるしかない。 …じいっ、ゴルトの用意をっ!」 「承知しました」 迫り来る猛将の影にも、クラウスの心には不思議と怯えはなかった。 ただ戦いを前に熱く燃える想いだけがあった。 「これより始めん。我が戦いを」 (了)
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