Boorin's Short Stories inspired by Sacra

「魔皇の刻・初陣」



 屋敷を見下ろす小高い丘に重厚な光を放つ魔装の男が立っていた。
 魔界最強の将と謳われるゼーレン・ミュラーである。
 ベッケンバウアーの郎党は押し寄せるミュラー配下の軽騎兵を必死に押し戻していた。
 だがいかんせん多勢に無勢、徐々に押され始めている。

「リヒャルトよ、出でよ。だまし討ちで命を落とすよりはせめて我が手にかかるが良い」

 つぶやくミュラーの表情に余程注意深い者しか気づかない程薄く、だが確実に苦々しい色が浮かんだ。元来誇り高く純粋に闘争を好むミュラーにとって今回のようなだまし討ちの後始末は肌に合わない。最初から自分に下命があればいかに親友の息子であろうと真正面から撃破するものを、だまし討ちなどと言う卑劣な手段を用い、あまつさえ自分にその尻拭いを命じた王に対する不信感が芽生え始めている。




「こちらでございます」

 執事のアシュフォードに連れられて屋敷の最奥部から地下への階段を降り、湿っぽいにおいのする廊下を歩いた果てにそれを収めた部屋はあった。

 魔装甲冑ゴルト。

「天にゴルト、地にジルバ。
 ゴルトは征し、ジルバは護る。
 天地を擁さばすなわち世界を制す」

 このように謳われた魔装甲冑は主を選ぶ。
 主と認められない者が着用してもおのが生命力を奪われるのみで身動きすることすら叶わない。力のない者であれば一瞬のうちに生命力を吸い取られ甲冑に取り込まれてしまうのだ。
 ミュラーに次いで魔界第二の実力を持つと言われたリヒャルトをしても数十秒を耐えるのが限界であった。それ以来この部屋は厳重に封印を施されたのだ。
 その封印が今再び解かれようとしている。

「ここから先はお一人で行っていただきます。この扉の向こうはベッケンバウアー家の廟所。一族以外の者が踏み入ることは適いませぬ」

 無言で頷くとクラウスは扉を開けた。
 ひんやりとした空気が流れ出してくる。
 壁面は緑色の燐光によってぼんやりと光っている。この光こそベッケンバウアー家の祖霊の護りである。一族以外の者がこの光を浴びると肉は焼けただれやがて溶解してしまうのだ。

 クラウスは廟所に踏み込み、扉を閉めると甲冑に近づいた。
 黒光りのする猛々しい容貌は肉食甲虫のそれを思わせる。
 クラウスは自らの体を浮遊させ、呼ばわった。

「来たれ」

 クラウスの声に甲冑は分解し四散すると、一瞬後には金属的な衝撃音と共にクラウスの体に装着された。
 着地と同時に体を動かしてみる。
 甲冑の重さは感じない。
 次の瞬間、ゴルトは青白き光を放ち起動した。
 身体がぶれるような感覚と共に急激に巨大な力が体内に流れ込んでくる。
 心気に力が満ちあふれ、いても立ってもいられない気になる。
 剣を仮想し型を演舞する。
 クラウスとてベッケンバウアーの家の者。
 剣よりは歌や詩を好んでいたとはいえ、幼少時には徹底的に剣をたたき込まれている。
 身体が独りでに圧倒的なスピードで型を舞う。

 ダン!

 ダン!

 ドーン!


 動きの一つひとつに空気の裂ける音が響く。

「いける、いけるぞ」




「おお、やはりリヒャルト様のお目は確かでありましたな。
………ゴルトが起動するのを再びこの目で見ることができるとは。
………ならばこの老骨めも」

 扉を開けて戻ってきたクラウスを見てアシュフォードは掌を内に向け両腕を胸の前で交差させると猛烈な勢いで回転を始めた。
 やがてその体は人型をなくし一振りの剣へと変わる。

「爺っ!」
「私は剣魔ストームブリンガー。代々ベッケンバウアーのお家に仕えるものでございます。ゴルトが復活した限りは私めもこの姿でお仕えせねばなりますまい。
さあ、お手に取られませい」

 これが幾多の戦をゴルトと共に戦い抜いてきた相性というものであろうか、ストームブリンガーはしっくりと手に馴染む。
クラウスはその感触を確かめるように剣を数回振るうと剣に話しかけた。

「行くか」
「御意」

 ゴルトの出撃孔の真下まで悠然と歩くと気を燃え立たせた。黒い魔装の表面から青白い燐光が発する。クラウスは予備動作なしでいきなり跳躍した。
 出撃孔の壁が光のように真後ろへ流れ去って行く。やがて身体にひやりとした空気を感じるとゴルトは魔界の闇夜に飛び出した。
 上空で静止する。
 強い風がゴルトのマントをバタバタと揺らした。
 戦況は自軍の劣勢である。

「ミュラーもこちらに気づいたようだ。ここは一気にミュラーを攻めるしかない」
「果断でございます」

はぁっ!

 クラウスは気を吐くと一気にミュラーめがけて急降下する。




 無論ミュラーは気づいていた。
 圧倒的な力が屋敷から飛び立ち、一瞬の静止の後に自らめがけて急降下してくることを。

「あ、あの魔装は。まさか…ゴルト!リヒャルトめ、いつの間にゴルトを纏えるようになったのだ!」

 一瞬の驚愕がさしものミュラーの動きを遅らせた。
 クラウスは上空からミュラーの頭に、肩に、腕に無数の蹴りを叩き込む。
 胸への一撃を使って間合いを取るとゴルトは地に降り立った。
 たまらず吹っ飛ぶミュラー。
 ミュラーの側近は吹っ飛ばされた主の下敷きになり敢え無く圧死した。
 だが、ミュラーに決定的なダメージはない。むしろ今の攻撃で冷静さを取り戻した。これぞ百戦錬磨の猛将の本領である。

「ゴルトを纏えるとは誤算だったが、ただ動かせるだけではこのミュラーには勝てぬぞ」

 そう言って大刀を構えると刀身を寝かせ刃先を後ろに向けた状態で左肩から突進する。
 迅く重い突進である。ただ受けるだけでは跳ね飛ばされて大刀の餌食になるだけだ。
 クラウスは自らも同じように突進する。

ギャイーン


 剣と剣とがぶつかり合う音が大地を震わせた。
 全くの互角。
 一方が押せばもう一方は押し返す。まさに鎬を削る鍔迫り合いが続いた。

「驚いたぞ、リヒャルト。いつの間にこれ程腕を上げた。ゴルトを纏っておるとは言えこのミュラーと互角に競り合うとは」
「リヒャルトではない。私はクラウス・ベッケンバウアー。非命に倒れた兄に代わって王を討つ。その邪魔をするのであればいかにミュラー小父であっても倒すのみ」
「クラウスだと?まさかあの泣き虫がこれほどの力を…」
「私だけではない。私の中には兄がいる。兄の最期の願いが私の拳に宿っているのだ。詩と歌のみを愛したクラウスは最早死んだ」
「男子は三日会わざれば刮目してみるべしか。よかろう、クラウス。見事わしを止めて見せよ」

 ミュラーはひときわ強く剣を押すとその反動で再び間合いを取る。

轟!


 ミュラーは上段に大刀を構え大きな踏み込みから豪快な一撃を放った。
 クラウスは両の脚を開き腰を落とすと右手で刀身を支えながらミュラーの大刀を滑らせ勢いを殺しつつ受け流す。

じゃいんっ!


 勢いを殺されながらもミュラーの大刀は巨大な慣性力に囚われ深く地面へめり込んだ。

「ぬぅっ!」
「今でございます!このストームブリンガーの力を解放させて下さいませ!」


おおおおおおおおっ!ユーゲン・シュトゥルム!



 ストームブリンガーを大地に突き立てると巨大な魔力の竜巻が刀身からミュラーめがけて放たれる。

「ぬおおおおぉぉぉっ、何という力!このミュラーが押されているとは!」

 荒れ狂う魔力の嵐にミュラーの魔装はずたずたに引き裂かれた。

「こ、この魔装では勝てぬ。ここで儂が弊れればクラウスは上げ潮に乗り一気に王宮を突くであろう。そうなると王宮は陥ちる。無念だがここは一旦退くが得策。……総員退却!」

 猪突猛進の猛将であるとは言えミュラーは百戦錬磨である。
 戦場の潮加減は読める。その直感が今が引き際と教えていた。
 ミュラーは素早い動きで後方へ飛びすさり兵をまとめると王宮へと退却した。

 館から歓呼の声が海鳴りのように響いてくる。それは勝利の喜びと新しい当主の誕生を祝う声であった。こうしてクラウス・ベッケンバウアーの初陣は強大な敵を打ち破り、勝利の凱歌と共に終わりを告げた。


(了)
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