Boorin's Short Stories inspired by Sacra

「白き牝鹿亭の夜」2



 激しい戦闘が終わった。
 風のように迅く、炎のように侵掠するいつものやり方だ。
 疲れた。
 戦闘の後はいつもある種の虚脱感がある。
 花組の全員を守りながらそれぞれの持ち味を発揮させて勝利する。
 花組の戦いはそうあるべきだと考えている。
 だからそのために大神はいつも全身全霊を戦闘指揮につぎ込んでいる。
 戦いの後のみんなの笑顔に喜びを覚えるのも確かだ。
 だが時折、それだけでは拭いきれない疲れが澱のように身体の奥底に溜まっていることがある。
 今日は飲みたい気分だ。




 華の銀座の裏通り。
 蒼いガス灯の光に浮かぶ「白き牝鹿亭」の文字。
 重厚な扉を押すと音もなく身体は店内に吸い込まれる。

「いらっしゃい」

 今日も少しハスキーな落ち着いた声が迎えてくれた。
 その声を聞いて体の中の疲れが少し軽くなったような気がした。
 複雑な編み込みを後ろでまとめ上げた髪に店内の蒼い光が映えている。
 今日は白のブラウスに黒のパンツといういでたちであるが、それがかえって一層彼女の女性的な魅力を引き立てている。

「え〜と、今日もウヰスキーを下さい。この前と同じ物を」
「はい、かしこまりました。ロックでよろしいですか」
「はい」

 グラスに注がれる琥珀色の液体。
 花のような香りに一日の疲れが溶けていく。

 ほうっ。

 女主人は嬉しそうに大神を見ている。

「あ、どうかしました?」
「いえ、あまりに美味しそうに召し上がっていただけるので嬉しくなって」
「いやあ、でも本当に美味しいです。何か他のものも試してみたくなりますね」
「それは是非。お酒にも色々個性がありますから」
「じゃあ何かお願いします」
「かしこまりました」

 そういって女主人は棚の上から一本の瓶を取り出した。
 LAGAVULIN という文字が見える。
 グラスの中の氷をマドラーを2〜3回まわしてから取り出すと、新しい氷を入れる。
 グラスに琥珀色の液体を注いで瓶の口をナプキンで拭ってきゅっと口を閉める。
 一連の動作が流れるようで優雅な舞いを見ているようだ。
 やはり何か懐かしい。
 この感じは何だろう。

「どうぞ」

 グラスに鼻を近づけると、今度は何か潮の匂いのような強い香りがする。
 口に含むと甘みとアルコールと何か植物のような複雑な香りが鼻を抜けて複雑な風味がする。

「ほう、これは。なんか男っぽいって言うか。個性が強くて重厚で。とても美味しいです」
「よかったですわ。なんとなくあなたのイメージに合うような気がしたものですから」
「え、そうですか」
「はい」
「………でもなんか不思議なんですよね。ここへ初めて来させていただいたとき、なんかあなたのことを懐かしく思ったんですよ。なんなのかなぁ、これは」
「ふふ、私もそうですわ。久しぶりに巡り会えたって感じ。………そしてそれは正しいのです」
「え?正しいって?」

 だが女主人は微笑むだけでそれ以上は何も語らなかった。

「うん、でも確かに昔こういうようなことがあったような気がするんだよなぁ」
「よろしければお名前教えていただけますか」
「え、あ、僕は大神と言います。大帝国劇場でモギリをしています」
「大神さん、………ぴったりのお名前ですわね。私は青丹(あおに)吉野といいます」
「吉野さん。やはりお名前は初めてですね。じゃ、なんで懐かしいのかなぁ」

 首をひねる大神を見ながら吉野はふふと謎めいた微笑みを浮かべるばかり。

「おかわりお持ちしましょうか」
「え?あ、はい。じゃ、同じのを」
「はい」

 杯を重ねるうちにいつしか疑問も消え去り、心地よい暖かさだけが心に残った。
 身体の奥の疲れもいつしかほどけて消えている。
 そろそろ帰る潮時か。
 これ以上飲むと夜の見回りに差し障りが出るだろう。

「じゃ、そろそろ」
「ありがとうございます」




 吉野に見送られて店を出ると裏通りを劇場に向かって歩み出す。
 表通りに出ると喧噪が耳に戻って来た。
 たった今までいた空間が何か不思議な夢のように思える。

「まあ、いいか。そのうち分かるだろう」

 天にかかる冴え冴えとした灰色の月が少し笑ったような気がした。


(続く)
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