「その名の下に」〜風雪の涯〜その5






「なんだと!」

 焦る隼人。懸命に心気を澄ませ男の気配を探る。
 いた!
 何とラスプーシンは空間を転移し、一基の眼前に立っている。
 玄武隊の兵士がラスプーシンに斬りかかるが男は身じろぎもしない。それでいて斬りかかった兵士は苦悶の表情を浮かべて次々と倒れていった。
 玄武隊は砲撃隊である。元々近接戦闘には不向きなのだ。兵士も白兵戦の訓練は受けていない。それは朱雀隊の役目なのだ。
 だがその朱雀隊を以てしても果たしてこの魔人に傷を負わせることができたかどうか。
 それにしてもラスプーシンは少なくとも玄武隊よりは小うるさい朱雀隊を引きつけるだけ引きつけてから一気に敵将の前に躍り出たのだ。数千の死鬼を捨て駒に一気に本陣を突くとは狡猾にして恐るべし魔人。
 その目的は一基の力であった。

───汝の力もらい受ける

 ロシア語を解さない一基の脳裡にしかしその言葉は明確に理解された。一基は反撃に出る。

「けっ!そうは行くけえぇ!」

 ラスプーシンが剣の間合いに入った瞬間に抜刀する。それはまさに神速。達人にしか見えず、見えたとしても受けるのが精一杯のはずであった。それはいかな魔人ラスプーシンといえども例外ではなかったのだろうか、ザックリと脇腹から逆袈裟に刀身が入る。
 だが刀身はそこで止まった。

───素晴らしい。何という巨大な力よ

 一基の身体が小刻みに震え始める。

「な、なんでぇ一体!身体から力が吸い取られていきやがる」

 ラスプーシンは自ら刃を身に受け米田の生命力をその刀身を通して吸収しているのだ。
 一基は手を離そうとするのだが丁度感電したときのように筋肉が言うことを聞かない。

「畜生!こうなりゃ根比べよ!ぬおおおおおおぅっ!」

 一基が全身の力を使って刀身を動かそうとする。

ジリ

 動いた。刀身が少しラスプーシンの体内に食い込んだ。

───ほう、ますます素晴らしい。この状態で私の身体にさらに刀身を進めるとは。

 一瞬の驚きを声ににじませ感心してみせる黒衣の男。それは絶対的な余裕の現れであった。
 一基とラスプーシンが命の鍔迫り合いを続けている周りには蒼紫の火花が飛んでいて一般兵士は近づくことは出来ない。
 隼人の心は狂おしいほどの焦燥に焼かれる。最初の突破で半数ほどに減った朱雀隊を反転させる。

「米田少将を失っては我らに明日はない!ゆくぞ朱雀隊突撃!」

 鬨の声と共に朱色の錐は再び死鬼の群を切り裂く。混乱した玄武隊の援護は期待できないからまさに死の突貫であった。だが兵士の顔に恐れは微塵もない。ただひたすらに米田の下に駆けつける。それしか考えていない顔であった。
 斬って斬って斬りまくる。いつ尽きるとも知れない死鬼の壁をひたすらに突き進む。
 やがて視界が開けた。
 隼人の目に凄惨な光景が飛び込んでくる。
 敵わぬと知りながら黒衣の魔人に挑み敗れて、倒れ臥す玄武隊兵士達の屍の山。
 その山の向こうにぐったりとしながらもまだ戦いをあきらめない一基の姿。
 その髪は汗で額に貼り付き、急激に白いものを増している。

 隼人の心は煮え立った。
 自分の脳が沸騰し泡立つ様がイメージされ、しかしそれを奇妙に冷静に見つめる自分の意識がある。
 一基の下に駆けつけながら、沸き立つ心を胸を通して腹に導く、腹から尾ていへ、尾ていから背骨を通って再び頭に戻す。この過程で沸き立つ心は純化され力に変わった。

「破邪剣征・橘香浄滅!」

 舞うがごとく回転しながら振り下ろす隼人の剣先から、黄金の光が螺旋を描きながら放出されその半径を増していった。
 その半径は平時の数十倍であろうか。怒りが隼人の力を増幅させていた。その光に巻き込まれた死鬼の群からは虚ろな表情が消え去り、代わっておだやかな微笑みを浮かべながら消滅した。
 これぞ魔の者を浄化し滅し去る裏御三家隼人の必殺剣・橘香浄滅であった。
 不意を付かれたラスプーシンの身体から一基の刀身が抜ける。押し寄せる光の龍にラスプーシンの身体は弾き飛ばされた。
 寒風吹きすさぶ北の大地にあり得ない橘の香りが漂う。

 光が薄れた時、死鬼の群は消え去っていた。しかし跳ね飛ばされながらもラスプーシンは健在であった。

───小賢しいネズミが!

 黒衣の魔人の言葉に始めて怒りの色が加わる。これはすなわち隼人の力がラスプーシンにダメージを与えたと言うことである。

───雷よあれ

 雷撃が隼人を襲う。

───出よ火龍

 炎の龍が隼人の身体を締め上げる。

「は、隼人ぉ!」

 一基はよろめく身体に剣を握ると隼人の下に駆け寄ろうとする。

「い、一基、来るな!私に任せろ」
「任せろったってボロボロじゃねぇか!」

───裂けよ大地

 隼人の足元が燐光を放ち陥没を始める。これに呑み込まれては最早現世に戻ることは出来ない。剣から霊光を発し、その反動で陥没する地面から飛び退いた。
 隼人の身体がドサリと一基の近くに落ちる。

「隼人!」
「一基、これを預かってくれ」

 隼人が一基に預けようとしたもの、それは神刀滅却であった。

「な、武器もなしでどうやって戦うつもりでい!」
「武器はある。裏御三家最後の武器がな」
「ま、待て何をするつもりだ!?」
「一基、お前に出逢えてよかった。私は初めて自分の定めに感謝している。きっとお前を守るために私の力はあったのだ。そう思える」
「な、一体何のことだ!おい隼人!」

 隼人はそれ以上一基に取り合わずに黒衣の魔人に向き直る。

───別れはすんだか?

「ああ。ついでにお前ともお別れだ」

 隼人は三種の魔神器を取り出す。それを見たラスプーシンの背中に戦慄が走った。今まで恐怖を感じたことのない男が今はじめて怯えを感じている。魔神器がなんであるかは分からなくともその力を感じることができるのは流石といえよう。

───バカな、この私が怯えている

 ラスプーシンが思わず一歩後ずさる。
 隼人は鏡を胸に掛け、右手に剣を、左手に珠をかざす。
 三つの祭器は赤く発光を始めた。

───ぬおう!雷よあれ!

 雷撃が隼人を襲うもそれは跳ね返されてラスプーシンを直撃する。

───ぐわぁ!ば、ばかな!火龍よ!

 炎の龍は隼人に触れることすらできず砕けた。
 魔神器の発光は赤から黄、黄から緑に変わっている。

───大地よ裂けよ!

 隼人の足元に変化は見られない。ラスプーシンは予感を感じて飛びすさる。予想通りラスプーシンがさっきまで立っていた場所が裂け、その裂け目から黄泉の燐光を放っている。
 魔神器の発光はいまや蒼から白色に変わっていた。

「滅せよ!」

 隼人の言葉と共に白色の霊光が巨大な光球を象った。その霊圧に押されてラスプーシンのフードが弾け飛ぶ。中からは赤茶けた髪に蒼い目の野性的な顔が現れる。しかしその表情には明らかな恐怖が浮かんでいた。
 同時に隼人の長髪も束ねが弾け飛び、漆黒の髪が孔雀の羽のように拡がった。その中心には静謐な泉のように澄んだ目がある。その目にラスプーシンは引き込まれそうになる自分を辛うじて抑えていた。おのが魂がひび割れ光の触手がそのひびに入り込もうとするのが分かる。

───ダメだ、ダメだ、逃げなくては。我が魂が砕け散る。い、意識が。そ、そうだ

 ラスプーシンは先程取り込んだ米田の生命力の大半を一気に放出し、その反動で空間を転移した。米田の力は純粋な生命力であるために魔神器の力に干渉を受けない。そのため純粋な反動力として使えるのだ。ラスプーシンがそこまで考えていたかは不明だがともかくも彼は逃げることが出来た。
 魔神器の光が薄れ隼人が崩れ落ちる。一基が駆け寄り隼人を抱き留める。ギョッとした。
 隼人の顔が変わっている。いや顔だけではない。体つきまで変わっている。確かに昔から隼人は美しかった。しかしそれは中性的な美貌であった。ところが今の隼人には明らかに女性を感じる。顔にも体つきにも丸みを帯びているのだ。

「は、隼人、おめえまさか」
「そう、私は女だ」
「だ、だが今までのおめえはどう見たって…」
「隼人の家と定めを継いだとき、私の身体は女としての成長を止めた。隼人の定めとはそういうものなのだ」
「すると…女に戻ったって事は」
「そう私は最早隼人ではない。命と引き替えに定めから解放されたのだ」
「命と引き替えって…」
「この三種の祭器は魔神器という。これらを使えばいかなる強大な魔も封じることが出来る。しかしその代償として術者の命を奪うのさ」
「ば、バカな!なんでそんな物を使ったんだ!死んじまったら元も子もねえだろうが!」

 一基の問いに隼人は微笑んだ。

「お前を助けたかった。あの時私の頭にはそれしかなかった」

 隼人の答えに一基は絶句する。それだけのために自分の命を助けるためだけに隼人は自らの命を使った。

「私だけじゃない。見ろ。玄武隊の兵士も、朱雀隊の兵士もみんなお前のために命を使った。なぜだか分かるか?みんなお前が大好きなんだ。そしてお前に未来を託したんだ。この戦だけじゃない、これからの故国の未来を。お前にはそう思わせる何かがある」

 そう言われて周りを見渡す。まさに死屍累々。生き残った兵士は50名足らずであった。それが一基と隼人を見つめている。疲労にやつれた顔を微笑ませながら。

「俺は、俺は!」

おおおおおおおっ!

 一基の叫びが奇妙に静まり返った戦場にこだました。
 その叫びを聞きながら隼人はゆっくりと微笑み、そして眠りに就いた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 十一年後、ロシアの凍った河に浮かぶ一人の僧の姿があった。
 妖僧ラスプーシン。
 さしもの魔人も隼人との戦いで魂に傷を負ってはそれまでのような超絶的な魔力を揮うことは出来なくなった。
 だが彼の力が全く消え去ったわけではなかった。一般人の目から見れば十二分に奇跡であるような力を示すことは出来たのだ。
 そしてその力を以て皇子の血友病を治すことでロシア帝室に取り入り権力を握ることに成功したラスプーシンは、宮廷の貴族に憎まれ結局は暗殺されることになった。
 ところがこの魔人は人の八倍毒酒を飲み、毒菓子を食べても死なず、銃弾を撃ち込まれても死なず、総計五発撃ち込まれて初めて死んだように見えた。
 だが暗殺者はまだ不安だったのだろう、ラスプーシンの死体を縄で縛って凍った河に投げ込んだ。
 しかしその河の中で彼はまだ生きていた。ブツブツと呪文を唱え縄を焼き切る。さらに自らの肉体を癒やすべく十字を切ろうとしたときに力尽きた。

「あの時の傷さえなければこのようなところでむざむざと…」

 それが一代の魔人ラスプーシン最期の言葉であった。
 隼人最後の戦いは実に十一年の歳月の後に決着することになったのだ。
 彼の地に散った戦士達の声も今は風雪の涯にこだまするのみ。


(了)


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