Boorin's All Works On Sacra-BBS

「その名の下に」〜隼人〜




 その少年は天から降ってきた。

 陸軍抜刀隊の新規隊士募集会場では折しも実戦試験が行われているところであった。
 隊長の米田基次(もとつぐ)以下幹部隊員の見守る中、試験はそれまで順調に進んでいた。
 ただ幹部達はいささか退屈していたようにも見える。
 眼鏡に適う人物が見あたらなかったのだ。
 勿論、陸軍抜刀隊の新規隊士募集に応募してくるだけあって皆それなりに武芸は秀でていた。しかしこの抜刀隊隊士となるにはただ武芸に通じているだけでは不十分なのである。それは抜刀隊が対妖魔部隊であるという特殊な事情に拠る。
 妖魔に対しては通常の攻撃はほとんど効果がない。唯一、霊力、妖力、魔力、法力と呼ばれるような特殊な力をもってして初めて倒すことが可能なのである。
 すなわち抜刀隊隊士には武芸に秀でていることの他、たとえ微量であろうとそういった力を帯びていることが要求されたのである。
 したがってその資格を持つ者を探すのは容易なことではない。東北の真宮寺家の協力を得て探してみても、武芸に秀いでかつ、わずかなりとも霊力を秘めた者は数名に過ぎなかった。
 ところで生まれつきそのような力を持つ者でなくとも、武芸を究めた者の中には希にたゆまない訓練によって気を練り、そういった力に近い力を発揮する者もいる。実戦試験ではそういった武芸者を発掘するのが目的なのである。
 しかし今のところそのレベルにまで達した者はいないようであった。

 そんなわけで少年の乱入はいささか暇を持て余していた基次達の目を覚ますには格好の椿事であったといえる。

「へっ、どいつもこいつも大したことねえ奴らだな。てめえらにゃ抜刀隊は務まらねえよ。とっとと家帰って寝ちまいな!」

 試合場の松の木から飛び降りてきた少年は年の頃なら十七、八の中肉中背で一見どうと言うこともない容貌であった。
 ただ彼が他の者と違っていたのはその異様に精気に満ちた野生動物のような目である。その目の光に武芸だけならかなりのものを持つ応募者達が一瞬気圧されていた。

「つまみ出しますか?」
「…いや、もうちっと見てみようや。なんだかおもしろそうじゃねえか」

 基次は少しいたずらっぽい笑みを浮かべながら試合場の方を眺めている。

「なんだ、小僧!横からしゃしゃり出てきて生意気な奴だ。お前の方こそ怪我しないうちにさっさと家に帰りな!」

 応募者の一人、身長2メートル近くの大男が胴太貫を手に吼える。

「ほう?でかいだけが取り柄のウドの大木がうたうじゃねえか。てめえなんぞにこの半次郎様がやられるかよ!」
「!!!!き、貴様ぁ〜、小僧といえども容赦はせんぞ。覚悟は良いなぁあっ!」

 怒りに顔を紅潮させた男が胴太貫を抜くと、半次郎は木刀を手に取った。

「そんなもんで儂の剣を受けられるわけがないだろうが!」
「おめえなんざ、こいつで十分よっ!」
「ぬかせぇええええっ!」

 男は胴太貫を振りかぶると一気に間合いを詰め、ものすごい勢いで剣を振り下ろしてきた。
 木刀の中心あたりを左手で持ったまま半次郎が紙一重で避ける。
 空気が焦げるにおいが漂ってきそうな位の豪剣である。
 とみるまに今度は下段からその剣がこれまた猛烈な速さで跳ね上げられる。
 その切り返しの速さとそれを可能にした膂力は恐るべし。

「ほう、ちったぁやるじゃねえか、おっさん」

 そういいながら半次郎は切り返しも間一髪で避ける。
 男の剣は絶え間なく半次郎を襲う。まるで嵐のような斬撃だ。
 そしてそれをかわし続ける動きはあくまでもしなやか。まるでネコ科の野生動物をみるようである。

「おう、おっさん!剣てのはなぁ、ただ振り回しゃいいってもんじゃねえんだよ!」
「おうりゃぁああああっ!」
「ちえええええええええぇっ!」

 男の上段からの一撃に合わせて半次郎は居合いのような形で木刀を跳ね上げる。
 半次郎の木刀は男の剣の上を滑って加速すると真っ直ぐ額を打ち据えた。
 男は血煙を上げてどうと倒れる。

「一体全体どういうつもりでぇ?」

 基次らのいる方をにらみながら半次郎は呟く。
 その右手の手首のあたりには風車が刺さりカラカラと音を立てて回っていた。

「ははは、あのまま撃ち込んでたらあの男お陀仏だったわい」

 基次の左斜め後ろのボサボサの長髪に長い顎髭の大男が答える。

「あのおっさんは俺を殺そうとしてかかってきたんだぜ。そんな奴をやっちまって何が悪いんだよ!食うか食われるか、そんなの当たり前だろうが!」
「おい、若けえの!まあそういきり立つな。仮にも陸軍抜刀隊の隊士募集で人死にがでちゃ聞こえが悪いんだよ」
「あんたが一番偉い人か?」
「おう、俺が隊長の米田だ」
「それじゃあ話が早ええや。俺の腕は分かったろ?俺を抜刀隊に入れな!」

 基次は半次郎を見つめながら横の少年に問いかける。

「どう思う?」
「確かに剣の腕は相当なものです。あれは誰かについて学んだというものではないでしょうが剣理には適っています。…しかし彼に『力』があるのかどうかはよく分かりません。確かに異様なまでの精気は感じますが、それは霊気と言うよりは野生動物に近いですね」
「ふむ、隼人でも分からんか」
「…私が立ち会ってみましょう。剣を交わせば何かが見えてくるかも知れません」
「やってくれるか」
「はい」

「おい、てめえら何こそこそやってるんだ!聞かれたことには返事をしろい!」
「おう、すまん、すまん。今ここの隼人とも相談したんだがな、もうちっと確かめてえことがあるのさ。そこでこいつと立ち会ってくれんか?その上で決めさせてもらうぜ」
「ふぅん…そいつに勝てばいいんだな?」
「う〜ん、ちょっと違うがまあ大体はそんなもんかな」
「よし分かった!そうと決まりゃさっさとやろうぜ!」

 その声に一瞬頬をゆるめ隼人と呼ばれる少年は静かに立ち上がった。
 年の頃なら十三、四の花のような美少年、肌はあくまでも白く透き通り唇は紅く熟れた苺のごとし、濡れたように艶やかな黒髪は肩で切りそろえられている。その美貌を印象的にしているのは瞳に浮かぶ獲物を狙う猛禽のような炯々とした光であった。

「ほう、隼人が笑うなんて初めてだな」
「いかにも。家を継がれてからは初めてですな」
「ふむ、こりゃなんとした事。あのわっぱ何者じゃ?」

 米田の呟きに風車の男とその隣に立つ痩身の男が答える。
 風車の男は風魔幻斎、痩身の男は水無月右近、両者共に年齢は二十歳を少し出たばかり。そして彼らは裏御三家の一つ隼人の家人であった。二年前弱冠十二才にして家を継いだ隼人に影のように付き従う男達であった。
 その男達の目に優しい光が浮かんでいることに米田は気づいた。彼らは一旦戦いとなると非情なまでの冷酷さを発揮し、だまし討ちや闇討ちも積極的に行う。なんとなれば彼らは忍びなのである。相手が妖魔や妖魔に肩入れする人間ならばどんな手を用いても討ち果たす。そんな彼らにもあんな優しい目をするときがある事に米田は少なからず驚いていた。

「おめえらのそんな嬉しそうな顔を見るのも初めてだな」
「そうでしたかなぁ」

 右近はそういってまじめ腐った顔を作ろうとするがどうしても少し表情が緩んでしまう。
 もっとも幻斎と右近にも言い分はある。
 裏御三家としての「隼人」は一旦この世に強力な魔が現れたとき命を以てそれを封じるという重い定めを負わされているのだ。「隼人」の戸籍上の姓は緒方であるが、使命に身を捧げるために姓名さえ捨てる。姓名とは人間としての喜びや哀しみ浮き世の人々との関わりといったこの世の一切を意味するからである。頭領は家を継ぐときに名を捨てただの「隼人」となるのだ。人々を守るために人々との絆を断ちきるとはなんたる矛盾、なんたる重圧。隼人はそれほどの重荷を弱冠十四にして負わされている。その重責のため家を継いでから隼人は笑うことがなくなった。だから彼らにしてみれば、それ以外の汚れ仕事や何かは全て自分たちが被るつもりであった。なんとか隼人の負担を軽くしてやりたかったのだ。しかしそれでも隼人が笑うことはなかった。
 その隼人がたった一瞬とはいえ確かに笑ったのだ。その笑みを形作らせたのが自分たちでないことに若干の嫉妬めいた気持ちがあったのは確かだが、それでも彼らはこの年若い主君のために素直に喜んだのである。

 そんな男達の視線の先には半次郎と隼人が対峙している。
 半次郎は先程と同じように木刀を寝かせて左手に持っている。隼人に先ほどとは違う何かを感じたのだろう、今度は右手を最初から木刀に沿わせている。
 対する隼人の構えは炎の位と言われる上段。静かな容貌の下の瞳が示すようにそれだけの激しさを秘めていると言うことか。

 リーチなら年かさで身体も大きい半次郎の方が有利である。半次郎にしてみれば隼人が自分の間合いに入った瞬間に斬りつければ勝てるはずである。しかし、半次郎がそう考えたと言うことは隼人に勝つにはそれしかないと無意識に感じたからでもあったのだ。この美貌の剣士の構えにはそれほどの威圧感がある。

 じりじりと両者は間合いを詰めていった。
 そして…
 隼人が間合いに入った瞬間半次郎の木刀が隼人を襲う。

「ちええええええぇぇぇぇぇっ!」
「ちぇすとぉおおおおおおおっ!」

 隼人は迫る木刀に臆することなく上段から渾身の一撃を放つ。二の太刀無しと言われる示現流にも似た強烈な斬撃である。

がきぃぃいいん!


 とても木刀同志がぶち当たったとは思えないほどの金属的な音がして木刀が砕け散った。その瞬間見える者には白色の光の激突が見えたであろう。

「参った!おめえの勝ちだ!」

 半次郎はそう叫びながら後方へ跳躍している。
 追撃を避けるためである。
 その跳躍力たるやさしもの隼人でさえ一気に間合いを詰めきれないほどであった。
 隼人は内心舌を巻いている。
 年少とはいえ裏御三家の隼人たる自分が本気で追って追いきれなかったとはと。
 そしてあの光、あれは霊光ではなかった。あれはまさに「精気」あるいは「生気」とでも呼ぶしかない純粋かつ高密度の生体エネルギーであった。

「ははっ!おめえ強えなぁ!俺より強い奴に初めてあったぜ!
 よし!気に入った!俺ぁ絶対抜刀隊に入るぜ!
 そしていつかおめえをぶっ倒すんだ!」

 この少年の頭の中には潔くあきらめるという発想は全くないらしい。
 しかも抜刀隊に入る目的も間違っている。
 一種の喧嘩馬鹿と言ってもいいかも知れない。

「その差は紙一重」

 そう言って隼人が木刀を持ち上げると目に見えないほどのひびがピキピキと伸び、切っ先がバカンと砕けた。
 霊力を帯びているために物理的な衝撃だけでは決して折れることのない隼人の木刀が砕けた。そのことが半次郎の力を示している。

「(こいつはとんだ拾いもんかもしれねえ。それにこの脳天気さ加減は張りつめすぎた隼人にもいい影響があるかもしれんしな)」

 基次は先ほどの隼人の一瞬の笑みを思い出しながら隼人に視線を送る。
 隼人は無言で頷いた。

「よし、合格だ。だが一つ分からねえことがある。おめえそんなに強いのになぜ正式に応募しなかったんだい?」
「へっ、応募したさ。そしたら受付のとんちきが保証人のない者は応募できないっていいやがったんだ」
「お前、身寄りがいないのか?」
「おうっ!生まれたときから天上天下男一匹だぜ!」
「親はどうした?」
「ふん、物心着いた頃にはいなかったさ。半次郎って名前も自分で付けたんだ」
「剣はどこで習った?」
「そんなもん習うかよ。山ん中で獣相手に練習したのさ」
「なるほど、それで剣を寝かせていた訳か」
「おっ、おっさんも分かってるね。その通りさ。獣の野郎はきっちり間合いを読みやがるからな」
「ふむ、しかし何にしろ身元のはっきりしねえ者を入隊させるわけにはいかんな」
「てっ、てめえ!今合格って言ったじゃねえかよ!卑怯だぞ!」
「慌てるな。つまり身元を保証する奴がいればいいんだよ。
 ってことで今日からおめえは俺の息子だ」
「あ゛?ちょ、ちょっと待てよ!犬っころもらうみたいに簡単に決めんじゃねえっ!俺ぁ親なんていらねえぜ!今までだって一人で生きてきたんだっ!」
「ん?そんじゃ入隊の件はなしだな」
「ぐ、それは」
「まあ深く考えるな。戸籍とかそういう形だけの問題だ。それに俺はおめえが何だか気に入っちまったんでな」
「…ふ、ふん、仕方ねえ。…そんならそういうことにしといてやらあ。だが俺はあんたのことを親父なんて呼ばねえぜ」

 半次郎は少し顔を紅くして基次から視線を逸らした。
 他人から好意を示されることに慣れていない半次郎は基次のむき出しの好意に照れているのだ。

「よし、決まった!今日からおめえは米田半次郎だ。
 だが待てよ、半次郎はガキの名前だな。
 なんか名前考えねえとな
 ………そうだ、男一匹と俺の名から一字取って一基ってのはどうだ?」
「ああどうせ形だけなんだ、何だっていいぜ」
「おう、なら今日からおめえは俺の息子だ。なんせ名付けたのは俺だからな」
「あ、てめえ引っかけやがったな!」
「今頃気づいたかよ、遅い遅い!はっはっはっはっ!」

 基次の豪快な笑いにつられて半次郎改め一基の渋面も崩れてくる。

「は、はははははっ、分かったよ!ま、よろしく頼まあ、おっさんよ」
「がははははは、てめえも強情な野郎だなぁ。ま、しばらくは半次郎でいくか」

「………おい、なんかあの二人似てないか?」
「儂もいまそう思っておった」
「楽天的な心のありようが似ているのだろう」

 傍らの二人の会話にそう呟く隼人の顔に心なしか羨ましくも寂しそうな影が通り過ぎた。

「おう、隼人、幻斎、右近!帰るぜ!今夜は宴会だ!」
「はい」

 一瞬で表情を元に戻した隼人が歩みだし、一瞬顔を見合わせた幻斎、右近が後に続く。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「おう、隼人も飲め!いける口なんだろう?」
「私は法の上では未成年ですから」
「かてえ事いうなよ」
「そうだ、そうだ!男なら酒の一つや二つどんとこいだぜ」
「へへっ、半次郎よ。そういう割にゃたった一杯でずいぶん酔っぱらってるんじゃねえのか?」
「うるせえっ!隼人!てめえ飲め!うめえぜ!」
「いや、私は」
「では儂が頂こう」

 半次郎が隼人に差し出した杯をにゅっと横から出てきた手が取り上げ一気に飲み干す。
 幻斎であった。

「おっ、おっさんいい飲みっぷりだねぇ!どれもう一献!」
「おう、右近も飲め!」
「そんじゃ、頂きますか」

 実は幻斎、右近は底なしの酒好きなのである。
 特に右近は「うわばみ右近」と呼ばれ酒豪に慣れた九州の酒屋からも恐れられていた。
 この二人が加わってからその夜の宴会は異常な盛り上がり見せていた。
 隼人はその喧噪を座敷に置いて独り縁側に立つ。
 空には血のように赤い月が出ている。
 黙して不吉な色の月を見るその目には迫り来る風雲が映っていた。


(了)




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