Boorin's All Works On Sacra-BBS

「それから」



 京極邸は炎の中に包まれていた。
 一時期は首相官邸まで占拠した太正維新軍の決起はこれによりまさに灰燼と帰すことになるであろう。
 その炎を少し離れた場所に身を潜めながら見つめる男がいた。
 激しい戦いを物語るかのように傷だらけの陸軍服にはところどころ血がにじんでいる。

「京極閣下…」

 そう呟く男は太正維新軍を主導した青年将校の一人、天笠士郎であった。
 鎮圧軍による反攻に京極の身を案じた天笠は前線を部下に任せ一人落ちてきたのだ。
 だがしかしただ案じたのではない。
 実は彼には京極の指揮に一つの違和感があった。
 京極の基本戦略、戦術への信頼は絶大であったがゆえにぬぐい切れないシミのような違和感であった。
 すなわち帝国華撃団の本部襲撃である。
 そして真宮寺さくらの身柄確保もしくは殺害。
 たかが女ばかりのくされ部隊に何故貴重な兵力を割かねばならぬのか、そこのところがどうにも納得できない。
 あの精鋭部隊があれば皇宮に入城つかまつり玉体を擁し奉ることも可能であったかも知れないのに。
 だが天笠は京極に会えばそんな疑念も氷解するはずだと、閣下には私を納得させてくれる理由があるはずだと、そう考えた。
 屋敷に忍び込む隙を必死で探す天笠の目に鎮圧軍が屋敷から遺体のようなものを運び出しているのが見える。
 上官に報告を上げる現場指揮官の声が漏れ聞こえてくる。

 京極陸軍大臣は自決したらしい。

「そんな筈はない」

 天笠の胸にはまた別の違和感が芽生えていた。
 緻密な頭脳と大胆な行動、そして不屈の意志。
 自決という行為はそういう京極の人となりとそぐわないのだ。

「閣下は必ず生きておられる」

 天笠はその確信の下、その場に軍服を脱ぎ捨てあらかじめ用意してあった襤褸に着替えるとその場を離れた。




 太正維新軍が鎮圧されてから一月あまりが過ぎた夜、鎮圧軍による徹底的な調査の終わった旧京極邸に一人の浮浪者が姿を現した。
 無精ひげに覆われたその顔に目だけが異様にぎらぎらと光っている。
 頬がこけ人相が変わってはいるもののそれがかえってかつてはなかった精悍さのようなものを表情に付け加えていた。
 男は天笠であった。
 太正維新軍の首謀者達が次々と処刑されている中、自分一人だけがおめおめと生き残っているという罪悪感がある。
 しかし京極閣下が生きて再起を図っているのならば、自分もまた生き延びねばならないという一心が彼を支えている。

 軍による日本の一元支配。

 それが京極の理想であり自分の理想でもある。
 それこそが乱れきった日本の国を救える道である筈なのだ。
 そのためには泥をもすする覚悟であった。
 しかしまずは京極閣下と合流してからだと天笠は考えた。
 その手がかりを得るために警戒が幾分緩やかになった京極邸に忍び込むつもりで来たのだ。

 成算はあった。
 かつて京極邸に出入りしていた頃にその構造は頭にたたき込まれている。
 天笠は歩哨の目を盗み素早く塀を越えると木に身を隠した。
 庭を窺う。
 歩哨はいない。
 木に身を隠しながら素早く破れた窓から屋敷の中に入る。

じゃり

 ガラスの破片が足の下で音を立てた。
 ひやりと背を汗が流れ落ちる。
 だが幸い誰にも気づかれなかったようだ。
 暗闇に目を慣らしてから天笠は京極の執務室を目指した。
 
 執務室の扉には封印がしてある。
 がしかし警備はいないようだ。
 天笠は発砲の音を消すために襤褸にくるんだ銃で錠を破壊し室内に入った。
 
 部屋の中は閑散としていた。
 内務省の調査委員会が全てのを押収したようだ。
 本棚にも机の中にも何も残っていなかった。
 暖炉の灰すら残っておらず代わりに薄く埃が被っていた。

!?

 天笠はふと引っかかりを覚えた。
 もう一度暖炉をよく見てみる。
 薄く被った埃に一筋の亀裂が見える。
 埃が被ってからその部分が動いたということだ。

 隠し扉!

 天笠は暖炉の煉瓦をもう一度よく観察した。
 あった。
 埃がほとんどついていない煉瓦を動かしてみるとゴクンという音とともに暖炉の中に扉が口を開いた。

「やはり!」

 中に入り扉を閉めると通路に灯りが点った。
 やや下りながら延びる通路を歩き出すと後方の灯りは消え前方に灯りが点る。
 空気の湿り気が増してくる。
 どうやらこの通路は地下に潜っていくようだ。
 しばらく歩くと二股に出た。

 どちらの通路にも床に埃はついていない。
 ということはこの通路は頻繁に使われていると言うことだ。
 天笠は一瞬迷ったが左の道を選んだ。
 やがて視界が開け小部屋に入ったところで通路は行き止まりになった。
 その部屋に足を踏み入れるとゴウンという音がして部屋が動き始めた。
 部屋は恐ろしいスピードで地中を落ちていく。
 やがてその速度が緩やかになると小部屋は静かに停止した。

?!!!!!!!

 前方の暗がりに淡い薄緑の光に包まれて何かがあった。

「ば、化け物!」

 そこに見えたものはおびただしい数の異形であった。
 天笠には知りようがなかったが、これこそ京極が木喰に開発させていた降魔兵器であった。
 木喰の死により遅れはしたもののようやく完成した京極の隠し札である。

 京極閣下の屋敷とここが通じていると言うことはこの化け物は閣下と関係があると言うことなのか。
 天笠がそんな風に思考を巡らせたときである。

「てめえ、何してやがる!」
「!!」

 怒声にあわてて振り向くとそこには金色の甲冑のような者が立っていた。
 金剛配下の黄童子である。

「不逞ぇ野郎だ!叩っ殺してやる!」
「ま、待て!俺は京極閣下に…」

 ガツンという衝撃と共に天笠は言い終える間もなく倒れ伏した。




「鬼王、降魔兵器の用意は良いか」
「…はい、明日には最終調整も完了するかと」
「よろしい。暦の上からも八鬼門封魔陣を解くには明日が最良。
 ついに時は至った。
 今こそ武蔵を復活させ偽りの夢にまどろむ帝都に真実の鉄槌を下すのだ。
 
 …どうした金剛、浮かぬ顔だな」
「俺ぁ明日まで待てねぇ。
 俺には武蔵も京極様の理想も、難しいことはどうだっていいんでさ。
 ただ華撃団の奴らをぶっ殺して水狐の仇を取りたいんです」
「ふん、まだメソメソそんなこと言ってるのかい?いい加減シャキッとしな、シャキッと!
 それでよく五行衆筆頭って言えるねぇ。そんなこっちゃまた華撃団のやつらに負けるのが関の山だね」
「なんだと、土蜘蛛!てめぇ!仲間の仇取って何が悪いんだ!」
「はん!相変わらず馬鹿だねぇ。水狐はあんたのこと仲間だなんて思ってなかったさ。
 もちろんワタシもね。ワタシ達は自分のできることで京極様にお仕えするだけでいいのさ。仲間なんてものはいらないね」
「ぐっ!………だ、だけどよっ!」
「止さぬか、京極様の御前であるぞ」
「くっ、鬼王…」

「おやび〜ん!」
「…あ?何だ黄童子!」
「怪しい野郎をつかまえやしたぜ。ぶっ殺そうと思ったんですが、なんか京極様の名前言ってたんでとりあえず生かしたまま連れてきやした」
「なんだと?どこのどいつだ!」

 黄童子が気絶した天笠を床に転がす。

「天笠ではないか。何故ここに」
「おいっ!てめえ起きやがれ!」

 乱暴にこづかれて天笠は目を開く。

「きょ、京極閣下!やはり生きておられたのですね!」
「久しぶりですね、天笠少佐。ところでこんな所に何の用です?」
「な、何の用って自分は閣下が再起なさるのならまたお仕えしたいと…」

 京極の片頬に皮肉な笑みが形作られる。

「不要です。あなたの役割はもう終わったのですよ」
「え?じ、自分は軍による一元支配によって日本を覚醒させるという閣下の理想に心から感服しておるのです。今度こそうまくやります、どうかもう一度!」
「くどいですね、私にとって軍などはじめからどうでも良いのですよ」
「そ、そんな!では太正維新軍は!閣下の理想のために散ったあの者達は!」
「真の目的を達成するための単なる捨て駒ですよ、あなたも含めてね。
 そう言う意味ではよくやってくれました。感謝していますよ」
「だ、だましたのですかっ!我々をっ!自分をっ!閣下を信じていたのにっ!」
「だとしたらどうします?」

 あっさりと肯定する京極に天笠は言葉を失った。
 どうすると言われても何も思い浮かばない。
 ただただ混乱するだけだった。

「天笠少佐、何故怒らないのですか?私はあなたを利用して捨てたのですよ。
 …そうあなたは怒らないのではないのです。怒れないのですよ。
 確固たる自分自身を持たないあなたは怒れないのです。
 あなたが軍による一元支配によって覚醒させると言っていた愚かなる人々とあなたはまさしく等しい。あなたもまた偽りの平和に惰眠を貪る者なのです
 私という権威を借りてしか事をなせない虫けらなのです。だからつまらぬことで大神少尉を殴るなどということくらいしかできないのです」
「あ、あれは…。じ、自分は…。自分は………」
「あなたのようなクズを目覚めさせるには荒療治が必要なのですよ。
 そのための道具があなたが先ほど見た降魔兵器なのです」
「こ、降魔兵器?あの化け物が兵器?」
「化け物、そうあれは確かに化け物です。だがしかしあれも元は人、人なのですっ!
 利己的な野心に利用され浅ましい姿になり果て、人々から蔑まれ恐れられながらもさらにその人々に利用される哀しい生き物なのですっ!
 今帝都に安穏と暮らす愚民共はそのことすら知ろうともしない!
 今ある平和が哀しい犠牲の上に成り立っていることを知ろうともしないっ!
 まさに無知なる偽善!
 その無知、偽善を打ち砕くためには虐げられた魔の者達を解放するしかないのだっ!
 彼らの姿をその目で見、逆襲されて初めて虫けらどもは自らの罪を知ることができるのだ!
 その後に来るべき世界!それこそが我が真の理想である!
 すなわち人と魔の共存する世界!
 人は魔の存在によりおのが罪を知り死というものの身近さを知るだろう。
 そこに惰眠はない!脆くも儚い生を自覚することで人はより真剣に生きることができるのだっ!」

 京極の口舌はさざ波のように静かに始まり奔流のような自己陶酔的狂熱の色合いに染められた。
 この自己陶酔の持つ絶大なるエネルギーこそが心弱き者を惹きつけるカリスマの元であった。

「し、しかしいくらなんでもあんな化け物を!帝都の人々が死んでしまうじゃないですか」
「当然!死すべきである!堕落した虫けら共は滅んでしまうがよいのだ」
「じ、自分には軍人でもない者を殺すことはできません!でも、でも閣下がそうしろとおっしゃるのなら…」
「馬鹿者っ!天笠っ!
 この期に及んでまだそんなことをほざくかっ!
 他人に寄りかかり自ら何もなそうとしない貴様は帝国華撃団の虫けらどもより劣るわっ!
 奴らには誤っているとはいえ信念がある。その信念のためには一歩も退かぬであろう。
 すなわち奴らは決して我が敵であることを裏切らない!
 敵として信用できるのだっ!
 やがて私に倒される虫けらとはいえ天晴れな者共!
 ここに並ぶ、鬼王、金剛、土蜘蛛も然り!こやつらも確かに貴様と同じ我が手駒に過ぎぬ。
 しかしいずれも貴様など思いもつかぬような修羅を生きてきた者共だ。その修羅の中でしっかと自らの足だけで立とうとしておるのだっ!
 それゆえこやつらは私に寄りかかっているわけではない。
 しかし天笠っ!人殺しはできないが私の命令ならできるなどとほざく貴様のようなクズは!
 常に誰かに寄りかかり寄生することでしか生きられない貴様のようなクズは!
 ここに立つ資格がないのだっ!」
「か、閣下!か、閣下ぁ!」

 ぶるぶると震える天笠の手には拳銃が握られていた。
 その銃口は京極に狙いを付けている。

「閣下、訂正して下さい!自分はクズではない!クズではないと言って下さい!さもないと自分は、自分はぁっ!」
「ほう、撃てるか!クズの貴様がこの私を撃つ勇気があるのかっ!」
「う、う、うわぁあああああああっ!」



 天笠の銃が火を噴いた。
 天笠の目に弾丸がゆっくりと京極の眉間めがけて飛んで行くのが見える。
 京極は天笠をにらみ据えたまま微動だにしない。
 鬼王がゆっくりと弾道に割って入り、剣を抜くのが見える。
 その動きはゆっくり見えるがその実弾丸よりも速い。
 逆袈裟の剣先が弾丸に食い込む。
 そのままひねりを加え弾丸を両断すると同時に側方へはじき飛ばした。
 鬼王の体はそのまま天笠に向かって一歩踏み込んできている。
 天笠には自分が鬼王の間合いに完全に入っていることが分かった。
 鬼王の剣先がゆっくりと返ってくる。
 だが自分の体を動かすことができない。
 殺される!殺される!殺される!

ガァアアアアン!

 そしてブラックアウト。
 時間の流れが元に戻り、袈裟懸けに切り下げられた天笠の体はのけぞって倒れた。
 血だまりの中意識が遠のく。

「ほう、鬼王ほどの者がしとめ損なったか」
「…はい。この男、最後の刹那間一髪で身をかわし即死を免れたようです」
「でもよう、この出血じゃ長くはもたねえぜ。楽にしてやった方がいいんじゃねえのか?」
「ワタシは人の獲物にとどめさすなんてごめんだよ」
「俺だってごめんだぜ。自分で倒した野郎ならともかくよ」

 金剛と土蜘蛛は鬼王を見る。
 鬼王は剣を逆手に持ち替えて振りかぶる。

「待て。
 この男、最後の瞬間私に頼ることを止め一人心の荒野に立った。
 すなわちクズが人間へと変わったのだ。
 そう、極限にまで追いつめられて初めてクズは人間に変わりうることを今改めて確信した。
 ならば武蔵と降魔兵器によって死にさらされたとき、クズ共が生まれ変われるかもしれん。
 やはり私は正しかった。
 それに免じてこの男にチャンスをやろう」

 京極の右手がぼんやりとした緑の光に包まれる。
 その手が天笠の傷口を撫でるとたちまち出血が止まった。

「ただし私が助けるのはここまで。後はこやつの生命力次第だ。
 …しかし…見事であった天笠少佐」

 その声に天笠の意識は昏き闇の底へと落ちていった。

「誰ぞこの男を河原にでも捨ててこい!」
「はっ、…おい黄童子!」
「へいっ、親分!」




 河のせせらぎに目を覚ます。

「じいちゃん!目を覚ましたよ!」

 そんな声に目の焦点が合う。
 粗末な着物を着た色黒の少女だ。
 だが顔立ちは美しい。

 ここはどこだ、俺は生きているのか。

「どれ、おうおう、大分顔色も良くなったようじゃの。では粥でも作るかの」

 ぼんやりと記憶が蘇ってくる。
 俺は鬼王と呼ばれる男に斬られた。
 そして気を失った。

 悪夢の中、目を覚ますと、この少女が手ぬぐいを濡らして体の発熱を冷まそうとしてくれているのが分かった。
 何とはなしに心安らぎまた眠りに落ちた。

 そして次に目が覚めたとき、帝都は降魔兵器に蹂躙されていた。
 その中少女は動けない自分を守ってこの粗末な小屋に残ってくれていた。
 立ち上がろうともがく自分をぎゅっと抱きしめてくれた娘の感触を覚えている。
 そして再び意識を失った。

 そして今。

「降魔は、…化け物はどうなった?」
「何でも帝国華撃団って人達がやっつけてくれたらしいよ」
「華撃団が…すると…京極閣下は敗れたのだな」
「ん?何だって?」
「いや。お前も…無事で…良かった。
 そうだ…礼がまだだったな。
 ありがとう…助けてくれて」
「あっはっはっ、助けたって言ったって手ぬぐい変えたくらいだけどね。
 こんな暮らしじゃ薬も買えないしさ」

 明るく笑う少女の笑顔は何の抵抗もなく天笠の心に沁みた。

「それにね、あの化け物が襲ってこなければあたいらここを追ん出される所だったのさ。
 今は街ん中もここと大して変わらないから、あたいらなんかに構ってられないみたいでさ。
 もうしばらくはここにいれそうだよ、全く化け物様々だね。ま、命拾いしたから言うんだけどさ」

 少女はそう言ってペロリと舌を出す。

「ここを…追い出されて…行く…当てはあるのか?」
「う〜ん、まあ何とかなるでしょ。今までだってそうやって来たんだしさ」
「そう…か」

 この娘は他人に追い立てられても、化け物が襲ってきても赤の他人の自分を守ってくれた。
 人を呪ってばかりの人間もいれば、このような人間もいる。
 俺は、俺はこの娘のような人間になりたい。
 そもそも軍人を志したのは人々を守る為ではなかったか。
 そう、それなら俺はきっとやり直せる。

「そら、できたよ」
「ほっほっほっ、ま、水みたいな粥じゃがこれでもいつもよりは濃くしてあるぞえ。
 ま、病み上がりには丁度良いじゃろ」
「すまん、馳走に…なる」

 震える手で粥を口に運ぶ。
 実などほとんどない粥だ。
 少し塩っぽい。
 だがこの粥の味は生涯忘れ得ぬだろう。

「あはははは、この人泣きながらお粥食べてるよ。よっぽどお腹減ってたんだろうねぇ」
「ほっほっほっ、ま、そんだけ食欲ありゃもう大丈夫じゃ。こんなんで良けりゃまだたんとあるぞえ」

 言われて手をやると頬は暖かく濡れていた。
 俺は泣いていたのかと、思わず指先についた涙を呆然と見る。
 その様子がおかしかったのか二人はまたクスクスと笑う。
 自分でもなぜだか分からない笑いがこみ上げて、いつしか三人は声を合わせて笑っていた。

「「「は、ははははは」」」

 その声に驚いた水鳥が水面を飛び立つ。
 その鳥は背に笑い声をおぶったままやがて吸い込まれるように青く澄んだ空の彼方に消えていった。


(了)




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