花の帝都の地下深く、ほの暗い灯りに照らされて一人の男が手にしたものを見つめている。 何やら紙切れのようだ。 それを持つ手は細かく震えている。 きつく噛んだ唇からは血が流れ目は赤く血走っていた。 その表情の意味するものは屈辱。 屈辱が全身を小刻みに震わせているのだ。 男の名は火車。 そしてその紙切れを見つめることが火車にとっての出陣の儀式であった。 あの時加えられた屈辱を思いだし、闘争心を高めるための。 「燃やしてやる。ゴミ共はこの私が残らず燃やし尽くしてやる」 心を紅蓮の炎で染め上げて、憎き帝国華撃団のゴミ共を燃やすべく火車は出陣した。 燃えている。 自分の体が燃えて行くのが分かる。 また負けた。 人質までとって奴らを倒そうとしたのに負けてしまった。 自分を馬鹿にした奴らに結局は負けてしまった。 所詮、自分の人生は負け続けるだけのものだったのか。 一体、どこで間違えてしまったのだろう。 火車はぶすぶすと焼けこげる手で懐から紙切れを取り出して見つめた。 古くから続く菓子屋の跡取りに生まれた火車は幼い頃から虚弱で線の細い子供であった。 火車の本名は一(はじめ)。 それと親の職業から菓子屋のピン、「かしゃぴん」と呼ばれて近所の悪ガキ共から毎日のようにいじめれられていた。 毎日毎日が幼い少年にとっては耐え難い地獄だった。 だがそんな地獄にも何とか耐えることが出来るようになったのは、お菓子を作ることを覚えてからだった。 手先の器用な一はいろんな形の和菓子を拵えては両親に見せる。 それはどれも、とても子供が作ったものとは思えないほど繊細で美しい出来であり、両親はいい跡取りができたと顔を綻ばせて一を可愛がった。 実際、一が考えたお菓子が商品として店先に並ぶこともあった。 ピカピカのショーケースの中に自分のお菓子が並んでいるのを見ていると一はなんだか誇らしい気持ちになる。 もっと綺麗なお菓子を作ろう、もっとおいしいお菓子を作ろう。 次第に一が外で遊ぶことは少なくなり、そうなると学校でますます悪ガキ共にいじめられることになる。 自分たちになじまない者を攻撃するのは大人も子供も同じである。いや、子供の方がより「純粋」であるだけに一層残酷に攻撃するのだ。 ひ弱な一は全く抵抗できずやられるがままになっている。 それがますます悪ガキ共の嗜虐心を煽るのだ。 教師の中でさえそんな一をだらしないと言って殴る者さえいた。 一にとっては学校も又地獄であった。 だが僅かながらの救いもあった。 「一君には誰にも真似のできないお菓子を作る才能がある。私も食べてみたがとても美味しかった」 そう言って担任の先生がなにかとかばってくれたのだ。 大の甘党である先生は一の両親の店の常連客であり、一のお菓子づくりの才能について両親からも聞かされていたのである。 だがその一方で先生は一にみんなと遊んで体を鍛えるように言うことも忘れなかった。 お菓子を作るにも体力はいるんだからと。 だが元来運動が苦手で、引っ込み思案の少年はやはりみんなの輪に入ることができなかった。 そうして日は移り夏休み前の最後の授業が終わった後に手渡された通知簿を見た時、一の運命の歯車が狂ったのかも知れない。 そこには先生の筆でこのように書かれていた。 『もっと体を鍛えましょう。いつまでももやしっ子ではいけません』 もやし! あの生白く、くねくねといじけたような醜い野菜! 先生は僕のことをそんなものと同じに見ていたのか! 信じていたのに!先生までがそんな風に僕のことを…。 呆然としながら家に帰り、通知簿を両親に見せる。 「そうだな、一ももう少し体を鍛えた方がいいな」 「そうね」 それが両親の言葉だった。 もちろん先生も両親も悪気があったわけではない。 むしろ本当に少年のことを思っての言葉だったのだ。 だが臆病で柔らかな少年の心は深く傷ついた。 運動ができなくても、みんなと仲良く遊べなくても、自分はお菓子づくりだけでやっていける。 そんな自信とか誇りのようなものが粉微塵に打ち砕かれた気がした。 誰も結局ありのままの自分を愛してくれているわけではないんだと思った。 悪ガキ共はともかく信じていた人たちにまで裏切られたような気がした。 哀しいけども涙が出ない。 代わりに何か凶暴なまでに物狂おしい想いが胸の奥からこみ上げてくる。 「僕があの醜いもやしだって?! 馬鹿にしやがって! お父さんもお母さんも先生も、悪ガキ共もみんな大嫌いだ! 見てろ!僕を馬鹿にした奴らはみんな思い知らせてやる!」 数日後のある風の強い日。 少年の家の納屋から出た火は学校を襲い、先生や悪ガキ共の家を襲い、瞬く間に小さな町中を焼き尽くした。 警察の調べで、火の回りが異常に速かったのは納屋から学校やいくつかの民家に油が撒かれていたためだと分かった。 菓子屋の焼け跡からは何体かの焼死体が見つかったが、その中に少年のものはなかった。 そして、それ以来一の姿を見た者はいない。 「はははははぁ!ザマぁ見なさい!父さん、母さん!先生!お望み通り燃やしっ子になってやりましたよ!燃やして燃やして燃やし尽くして!最後は自分まで燃やしてしまいましたよ!ひゃははははははははは!」 狂ったような笑い声と共に五鈷は爆発した。 爆風にあおられて、宙をくるくると舞う紙切れは「もやしっ子」と書かれた部分だけが焼け残っていたが、やがてそれも黒く変色し燃え尽きた。 (了)
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