学校の「総合的な学習の時間」で、小論文の初歩みたいなのをしている。今回のテーマは「NEET(Not
in Employment, Education or Training、働いても教育を受けてもいない人)について」だった。「NEETと呼ばれる人たちの存在を肯定するか、否定するか、理由を挙げて述べよ」のような問だった。学校が出している「国際交流新聞」で、生徒が時事問題に対してどのような考えをもっているかを紹介しているので、私は各クラスから「よく書けている」という作品を読むことができるのだが、少なくともその「よく書けている」作文を書いている生徒は、様々なことをよく考えている。もちろん、中にはラディカルすぎたりするのもあるが、高校生の頃の自分と比べても、しっかり考えていると思う。「近頃の高校生は‥‥」とかよく言われるが、確かに「おいおい」という面はあるにしろ、まだまだ大丈夫だと思っている。
で、彼・彼女らのNEETに対する意見だが、ほとんどが否定派である。「他者からの援助で生きているだけで、自分で何もしようとしないのはよくない」「働かざる者食うべからず」という意見だ。彼・彼女らは、現在の就職難を知らないわけではないから(資料として与えてある)、就職していないのが悪いとは考えていない。「10代のNEETの友達がいるが、何もしないのが『楽』と言っていた。それは将来を考えれば本人のためにならない」と、「積極的NEET」を批判しているのだ。就職口がないなら、資格を取る等の努力をすべきだ、と言っているのがほとんど(中には「とにかく政府の施策が悪いのだ」というのもあったが)だった。
一方の肯定派だが、全面肯定が1名いた。彼女の論は、「NEETは夢をもっていて、それを実現するために就職も進学もせず自力で頑張っているのだ」だった。彼女は「夢をもち続けることの方が、お金を稼ぐことより大切だ」と言う。確かにそういう面もあるかもしれない。そして彼女の言うように、夢を叶えて活躍している人もいるだろう。しかし現実の把握が不十分なのは否めない。「夢」は努力すれば叶えられるものもあれば、どれだけ頑張っても「才能がない」ために無理なものもあるのだ。全員が100mを10秒で走れないように。そして夢を叶えようと必死になっている人には、30を過ぎても自分の実力に気づかずに就職しないままの人も多いのだ。
ただ、彼女の論を全面否定しては、私の仕事はできないのだ。進路について考えさせるときに、「ミュージシャンになる」とか「俳優になる」とか、そういう自分たちの夢を叶えるために専門学校への進学を希望する生徒は少なくない。親としては安定した生活を送ってほしいから、資格の取れる学校へ行かせたい。子どもは自分の人生だから挑戦したいと言う。どちらも正しい。そしてどちらが正しいかは、数年経たないと分からないのだ。まあ、やるだけやってみてもいいんじゃないかとは、個人的に思う。遅くとも25くらいまでには見切りをつけてほしいが。
ちょっと脱線してしまった。しかし今回の小論文は、NEETの存在が好ましくないことは分かっているのだから、「NEETを減らすにはどのような対策を立てたらよいか」の方がよかったのかもしれない‥‥。
最近思うこと 16/Jan/2005
セブンイレブンに行って思うのだが、最近サンドイッチとホットドリンクを買うと、別の袋に入れようとするのは何故だろう?冷たいものが温まらないようにするという気配りのつもりかもしれないが、小さなもの二つを二つの袋に入れるのは、「環境に優しい」と矛盾していないか?あ、そもそもセブンイレブンなどの24時間営業の店そのものが環境に優しくないか。
僕らの生活はどんどん自然から離れていき、日が暮れてからもたくさんの人が働いている。昔もきっと道路工事やマスコミ、警備関係の人などは夜間働いていたけど、「コンビニ」なんてなくたって生活できた。コンビニはその人たちに温かいものを、役立つものを提供しているのだが、それを昔は我慢していたわけだ。13年前オーストラリアに行ったとき、コンビニがなくて最初「え?」と思ったけど、なくても全然困らなかったから、多分本当はないならないでやっていけるんだと思う。ただ、現在の雇用情勢や産業のことを考えると、コンビニがなくなったら日本社会はもう成立しなくなっているのだろう。みんなが農業していた頃は、必要なかったはずなのに。農業やってた頃は、きっと自然にも優しい生活ができていただろうに。貧しいけど。
僕らは豊かさの代償として自然に優しくない生活を送っている。知人に自然に優しくあろうとするあまり豊かさを否定して、エアコンやストーブを同僚にできるだけ使わせないように頑張っている人がいるが、気持ち分からないでもない。そう言っている自分は、暖房の効いた部屋で見もしないテレビをつけたまま、誰が読むとも分からないこの文章を打っているのだが。