蒲原鉄道 For ever
蒲原鉄道電車線の歴史

 

 

蒲原鉄道電車線の思い出

新潟県内最後の民間鉄道として営業を続けてきた蒲原鉄道の電車線(本社新潟県中蒲原郡村松町)が平成11年10月3日に廃止となりました。このページは蒲原鉄道電車線のメモリアルページとして製作したものです。このサイトの管理者も高校の3年間を蒲原鉄道の電車で通学し、沿線の冬鳥越スキー場に電車に乗ってスキーにでかけましたので、思い出の電車線が廃止されたことはとても残念でなりません。資料や写真も不十分ですが、蒲原鉄道電車線を懐かしみながらお楽しみいただければ幸いです。蒲原鉄道電車線・・・ありがとう・・・そして・・・さようなら・・・

 

 蒲原鉄道電車線の歴史 

  • 大正 9年 1月 蒲原鉄道株式会社に鉄道業の許可がおりる

  • 大正15年 3月 五泉・村松間工事着工

  • 大正15年10月 五泉・村松間開業(4.2Km)

  • 昭和 4年10月 村松・加茂間工事着工

  • 昭和 5年 7月 村松・東加茂間開業(15.2Km)

  • 昭和 5年10月 東加茂・加茂間開業( 2.5Km)

  • 昭和60年 3月 村松・加茂間を廃止

  • 平成11年10月 五泉・村松間を廃止

磐越西線五泉駅と信越線加茂駅を結ぶ全長21.9Kmの蒲原鉄道は、大正12年に着工し昭和5年に完成しました。本社の所在地である村松町は、かつて旧陸軍歩兵30連隊があり、軍都として活気にあふれており、軍事物資の運搬が必要だったことや、当時の村松町では東南部の山間地域には薪炭や木材のほか、各種の鉱石が豊富に産出されたことから、町民は鉄道敷設を渇望していました。
時の鉄道省運輸局長の朝比奈林之助氏がこの地方の資源開発と地方産業の振興のために鉄道の敷設を強く支持したことから、有志の賛同を得て鉄道を建設することになりました。
第1期工事として五泉・村松・川内間の着工が予定されていましたが、着工寸前に折からの大不況によって鉄の相場が大暴落し、鉄道建設の目的のひとつでもあった鉱石の発掘をおこなっていた白滝鉱山が事業の縮小を余儀なくされたため、結果として、計画されていた村松・川内間の工事は取りやめとなり、第1期工事を五泉・村松間に変更して、大正15年3月18日に工事に着手、同年の10月10日に完成し10月20日に蒲原鉄道電車線五泉・村松間の運行が開始されました。
しかし、当初から鉄道の建設が磐越西線五泉駅と信越線加茂駅を結ぶことが目的だったことから昭和4年3月に60万円の増資を実施して同年の10月10日に第2期工事となる村松・加茂間17.7Kmの工事に着手。昭和5年7月に東加茂駅までの15.2Kmが、続いて10月20日には東加茂駅から加茂駅までの2.5Kmが完成し、10月20日に村松・加茂間の全線が開通しました。
 以後、全線21.9Kmの蒲原鉄道電車線は自然災害や不況を克服しながら地域の交通機関として、その重要な役割を担ってきましたが、昭和41年に年間利用者302万人を記録したのをピークに、時代の変化によるモータリゼーションの普及や沿線地域の人口の減少によって次第に利用客が減り、昭和60年3月31日に村松・加茂間17.7Kmの鉄道を廃止、そして14年後の平成11年10月3日の運転を最後に村松・五泉間の鉄道路線も廃止となり、蒲原鉄道電車線は77年の歴史の幕を閉じることになりました。
 廃止前年の平成10年の年間乗客数は33万4000人、累積赤字は2億7000万円と言われています。

 廃止前の営業路線図 

 思い出の写真 

 

大正12年10月20日 五泉・村松間開業時の村松駅

 

開業日の開通電車 デ1

 

村松・五泉間を疾走するモハ31の雄姿

 

このページ掲載した写真は蒲原鉄道株式会社監修、新潟日報事業社発行の写真集「終着駅」から抜粋しました。
写真集「終着駅」のお問い合わせは 新潟日報事業社まで
〒851-8131新潟市白山浦2−645−54
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