記事タイトル:シアトルマリナーズ |
そう言えば カップヌードルのCM「ベルリンの壁編」に わおクンが写っていたような。。。[2001/11/01 10:22:44]
僕は香港返還とか関空オープンとか、なんかイベントが有るとどこぞへ ふらっと行ってしまう口です。 香港返還のときはあまりの「NO ROOM」という張り紙や返答に 閉口したものです。5時間歩いて階段上がって下がって足を棒にして、 ようやっと普段は1000〜2000円のゲストハウスに8000円も 出してありついたのでした。(-_-; 勿論一人だけ止めるなんて不経済なことは相手はしません。 大陸本土から来た全然知らない人とチームを組んで二人組で ようやっと部屋を借りれたのでした。 そしてご近所の部屋に泊まっていた人たちと仲良くなり、 数日後、歴史の証人となる瞬間を迎えることとなります。 派手さの中にも物悲しさを感じさせるイギリス側主催の花火、 忘れることが出来ません。 そう言えばこの前、パキスタンが僕を呼んでいるような夢を 見たような気がします。(汗;)[2001/11/01 02:33:42]
近頃 明け方の4時過ぎに決まって目が覚める で、仕方なしにTVをつけて マリナーズを観戦している 特にイチロー、佐々木のファンでもなかったけど 大リーグって結構おもしろいし、思い出のシアトルの町の風景が出てくる 若かりし頃 と言っても30代の初め アメリカ一人旅をした 当時 入国するにはビザが必要で これが滞在期間 3ヶ月以上とか 長期になるとなかなかくれない 特に西海岸の玄関であるロスとかシスコでは なおさらだ で、仕方なしにカナダで2週間過ごしてから 海路バンクーバーからシアトルへ 港へ船が近づくと左手に旧港がみえてくる 木で出来た桟橋である それも恐ろしいくらい水面から飛び出していて 何十本も桟橋が突き出ている 昔 日本から移民の人たちがこの桟橋に着いたと「地球の歩き方」にあったのを思い出す いとも簡単に「6ヶ月」の滞在許可をパスポートについてくれた とにかく今夜の寝床を探す。 まず ユースへ電話する。 が、早口で何を言ってるのかさっぱり判らんが今夜は一杯らしい 気を取り直してYMCAへかける。部屋は空いているみたいだ 港からバスでの行き方を尋ねるが これまた早口で判らん ゆっくり喋ってくれと頼むと いきなり電話を切られた カナダに較べて アメリカは何と冷たい国かと少々腹が立ってくる 初めての町に入って最初に探すのは バス路線図と地図である 探しながら港沿いに歩いていくと 先ほど船から見えた木の桟橋にたどり着いた ピアーである。 シスコのそれは有名だが ここはどう見ても観光名所って感じはしない みやげ物屋らしきものはあるが 桟橋の上にある建物はほとんど工場?として使っている 桟橋だから もちろん足元は木 それもコールタールやニスをおそらく何百回もかけた様に黒ずんでいる 明かりがともっている中を見ると椅子を作る工場だ 職人さんが黙々と作っている光景と うしろに広がる夕日のシアトル港がなんとも素晴らしい 滞在した5日間 毎日ここに通うほど 気に入った場所となってしまった 当時 マリナーズはなかったし・・たぶん・・他にこれと言った所もない町である 無事にYMCAにたどり着いて5日分の宿代を払おうとすると いきなり 「Have You チョ〜?」と聞いてきた ちょ〜?? 腸?? なんのこっちゃ?? 何度も説明を求めるが 最後は首を振って これこれの料金を払えと言う 部屋に入ると先客のドイツ人がいて「チョ〜」を尋ねるとムチャ難解な英語で教えてくれた 「CHOE」 つまり「役務」らしい 毎朝 便所掃除や階段、廊下の掃除をすると安くなるとのこと 慌てて料金の再交渉へ 何しろ 1日 20ドルの激安一人旅である カナダでもそうだったが街中のユースやYMCAは 旅行者は少なく ほとんどが労働者の宿である 先ほどのドイツ人はめずらしく ちゃんとした旅行者で医学生らしい ロビーでタバコを吸っていると体に悪いからやめろと言う そのくせ自分はハッパを吸ってる変なやつである 6月の末なのに 夜10時を回ってもまだ外は薄ら明るい シアトルはまだまだ北にあると実感する これから2ヶ月半 アメリカを南下する旅に出る玄関となった町シアトル 次の町??・・・もう記憶の彼方である 真夜中に懐かしく思い出しながら 野球を見ている自分がいる[2001/10/18 17:57:28]