Jun. 10 2003
入梅
大阪も梅雨に入ったようだ。 洗濯モンが溜まってしかたない・・。
一日中 雨ん時はしかたなく 部屋の中に干すんだけど 匂いが・・・
なんて言うか 乾いても独特の匂いが残るし いやですね 梅雨って。
沖縄クルージング紀行
1982年 31歳の時 男5人 ヨットで沖縄まで行った時 6月に出航してるのに 何故か梅雨前線が ずっと船と一緒に南下して数週間以上 仲良くされたことがある。
普通 梅雨前線って北上するハズが 一緒に奄美大島くんだりまで お見送りよろしく 付き合ってくれた。
洗濯が出来ずに みんなカビの生えたようなTシャツを着ていた。
奄美本島に近づいた朝 ワッチ交代に デッキに出るとウソのような青空と海の蒼さに これが梅雨明けなんだと感動した記憶がある。
沖縄 慶良間諸島までレグ(航路)をのばして夏を楽しんだ。
往路は 黒潮と南風が立ちはだかる。
黒潮が8ノットで おまけに向かい風が6ノットも吹けば 船は前に進むのがおかしいくらいだ。
梅雨入り・・・青春の汗くさい匂いが甦る。
台風
沖縄へのレグの途中 西宮から四国へは順調にすすんで 水と食料の補給のため 土佐へ立ち寄った
土佐清水港 遠洋漁業の漁船が港一杯に繋がれている
土佐清水港を出て 奄美へ向かう途中 台風に遭遇した。
積み込みも終わり 出航の準備をしていると 天気図を取っていたクルーから
小さな台風が近づいてると 報告があった
台風って 中心から西半分は東半分に較べて風が弱い。
小型の台風だったし 西へ回りこめばイイヤ・・なんて舐めての出航だった。
1日目の夜からだんだんとうねりは高くなって 翌日はうねりがマストを超えてきた。
セールをNO.3からストームジブ(強風用セイル)へチェンジ。
メインセールも3ポイントリーフ(セール面積を約1/5に)をかけるがヒールで横転しそうだ。
キャビンの中も荷物が 落ちて散らばっている
夜中には なんども バウ(船首)から青波をくらう。
その度にコックピットは水槽のように海水が溜まる。
横波をまともにくらうと横転するから 45度の角度で うねりへ登って行く。
波の頂上へ出るとジェットコースターのごとく一気に 波のボトムへ谷落しだ。
3時間ごとの2ワッチ(操舵交代)で仮眠を取るが 下着がずぶ濡れでなかなか眠れない。
床には 米びつがひっくり返ったのか 米が散乱していた。
その米に足を滑らせて クルーの一人がキャビンの天井にあった気圧計に頭をぶつけてしまった。
タレ流し
2日目 段々と波と風は強くなってくる。
横からのうねりが大きくなってきた。 海へ落ちれば一巻の終わりだ。
もちろんハーネス(命綱)を 取っているけど 移動する度に ライフラインに掛け直さないといけない。
クルーがバウへ行こうとしたところ、前から大きな青波をかぶった。
デッキの上を青波がなめていく。
白い泡沫が消えるとクルーの黄色いライフジャケットがみえた。
マストに捕まってたみたいだ。 無事だ! 落水(海へ落ちる)してなかった よかったぁ・・。
落水しても 昼間ならなんとか助けることは出来るだろうが 夜中は到底無理だろう。
カッパの首元から潮が入り放題で アクリル製のアンダーウェアーも 体中 潮が切れることがない。
夜は どんどんと体温が下がる。
寒くなると下痢気味になってくるが、キャビンのボールヘッド(トイレ)を使える状態じゃないから カッパの中へタレ流しだ。
長靴にたまった汚物を次の波で洗う。
まともに食事を取っていないのに ゲロが出る。
出したあと また食べ物を口の中へ無理やり押し込む。
たった一人だけ船酔いと無用のクルーがいる。 ゆれ続けるキャビンで 現在位置と方位を出す役目に適任だ。
きっと彼は三半規管がおかしいんだろうと思う。
縦揺れと横揺れがひどくて正確な位置は出ないと言っているようだ。
当時 GPSはバカ高く ロランCも 買える余裕がなかった。
で 灯台から発信されるモールス信号を取って方位を出すビーコンってオモチャみたいな計器を積んでいた。
取った方位を海図に鉛筆で1本の線を引く。 同じように別の灯台から取る。
交わった交点が現在位置だ。
ところが もう一つの方位を3つ目の灯台から取ると デカイ三角形が出来てしまう。。(汗)
とにかくこのデカイ枠の中にいる事は確かなんだろうが あまりにデカイ!!
太陽がでれば正午に六分儀で かなり正確な位置が出るが この嵐じゃどうしようもない。。
このまま 方位を間違えて進むと 大隈海峡を越えて 東シナ海へ抜けてしまうんじゃないか・・・と
鹿児島湾へ非難のため行き先を変更したが 心配が膨らんでる
すると 無意識に 舵を北へとっていたのだろう 雨の中 うっすらと 陸が見えた
とりあえず 漁港らしき湾を見つけて入港すると なんと 宮崎の内海だった
大漁
翌日 気圧計の針が少しずつ上がってきた。 嵐も峠をすぎたようだ。
今度こそ奄美へ向けて出航する うねりは相変わらずマストの高さを超えている。
ずっと降りっぱしの雨が続くが のんびり出来るスケジュールがない
まだ 沖縄まで 四分の三も残っているレグだ
昨夜 航路の近くを走ってたのか 船の汽笛が何度も聞こえた。
向こうはレーダーでこちらを捕捉して汽笛を鳴らしてくれてるんだろうが こちらは波が高く おまけに雨で全然周りが見えない。
目をつむって走ってる状態だ。
マストの中ほどに自作のレーダー反射板をブラ下げている。
アルミ板を十文字にくっ付けた簡単なしろものだけど十分に機能は発揮してくれてるみたいで安心する。
本船の汽笛は音の長さで 「あなたの船の左舷を航行しますよ」って ちゃんと区別をつけて鳴らしくれるから 多少安心だ。
でも 音が近づいてくるとやっぱり心配で暗い波間に目を凝らすが、大粒の雨が瞳を濡らす。
最近のプレジャーボートはGPS、レーダーが装備されているのも多く 価格も当時よりかなり安くなっているみたいで羨ましい。
昼過ぎ ワッチオフ(操舵交代)でキャビンで寝ているとデッキが騒がしい。
ハッチを開けると 飛魚が頭をかすめてセールにあたった。
飛魚の滑空部隊に遭遇だ。 海面を尾びれで叩きながら数メーター助走すると 風上へ向けて 一気に羽を広げて空中へ飛び出す。
でも一度飛行し始めると 方向転換が出来ないようだ。
風に乗ると相当の距離を飛んでいるのもいる。 セールにブチあたってデッキに散乱した飛魚をバケツに回収する。 一夜干しにして食うと旨い!!
貸し
宮崎を出て4日目。 太陽が出ないので六分儀が使えず 正確な現在位置が出ない・・・。
雨がシトシトと続く毎日で ヤんなってくる。 風はかなり弱くなった。
エンジンとセールの両方で走る。 機帆走で進んでるから エンジンの単調な音が続く。
昼過ぎ 船が近づいてきた。
みるみるうちに近づいてくる。
かなり大きな船だ。 しまいに平行する進路で左舷に並んだ。
「JAPAN COAST GUARD」と大きく書いてある。 そう海上保安庁だ。
やたらデカイ!! 船尾にはヘリコプターまで積んでいる。
こちらが先に敬意を表して 船尾にあるヨットクラブの旗を半分下げて半旗にすると すぐに向こうも半旗で答えてくれた。
「うん なかなか礼儀がいいようだ・・」(笑)
しばらく・・・って言っても 半時間くらい並行して付いてくる。
どうも領海侵犯船と うたぐってるのだろうか・・。 (^_^;)
あまり大げさに手を振ると遭難船と勘違いされそうで 適当にシカトしてると転進して離れていった。
しまった・・ 冷えたビールくらい貰えばよかったかな。。
以前 明石海峡で 臨検を受けたことがある。
車の検問みたいなもんで、快調に帆走しているのに「そこのヨット 停船しなさい!!」と やたらデカイ拡声器で命令してきた。
仕方なくセールを下ろして速度を落すと 接舷ぎりぎりまで近寄ってきて
「このアミの中へ海技免許と船検証を入れなさい」と長いアミを差し出してきた。
言われるまま放りこんで・・・ ついでに チンチンに冷えたビールを3本 一緒に放り込んでやると
ビールだけ取って免許も見ずに返してくれて 「いい航海を!!」と敬礼して去って行った。
そう 保安庁には ビールの貸しがあったんだ。。 (笑)
奄美大島
名瀬港へ 慎重に入っていく。
水深が浅くなってくるとサンゴが見える。
透明度がすばらしい。
どこへ接岸しようかと探していると 褐色肌の漁師が手を振ってこっちこいと合図をしてくれている。
かなりデカイ漁船が並んでいる間へアンカーを打つ。
6日ぶりに陸へあがると地面が ゆれているように感じる。
陸酔いだ。
漁師が この台風の中を走ってきたのかと驚いていた。
さっそくクルーに 銭湯、コインランドリー確保のため探索隊を編成。
もちろんチンチンに冷えたビールも。 港から街まで歩いても すぐらしい。
潮だらけになったカッパを干して すえた匂いのクルー全員のTシャツをセールバッグに詰め込む。
すごい量の洗濯モノだ。
クルーが帰ってきて「銭湯はナシ、おまけにコンランドリーは1軒で しかも 洗濯機はたった1台きり」らしい。
しかたなしに港の水道で体を洗う。
でも 真水でシャンプーするのは何と気持ちのイイ・・・。
船の上では水は貴重品なので 逆性セッケンを使って海水で体を洗う。
洗っている時は判んないが 乾いてくると潮が出てきてヌルっとした感触が気持ち悪い。
市内へ買い出しにいく。
喫茶店みたいのが?? あって ちょうど昼飯時だったし 自炊するのもメンドーってことで入る。
入り口が階段になっていて 道路から1mくらい下にある。
だから屋根が低くて 手を伸ばすと触れるくらいのところにあった。
中へ入ると窓にガラスがない・・・・。
空けっぴろげの窓だ。
台風が何度も通過するから 屋根は低く 窓ガラスは割れるから初めから無いらしい。。。 (唖然)
定食を注文すると味噌汁らしきものが付いてきたが 何と 豚骨スープに豚足が入っている。
油でギトギトだ・・・・。
数日間の船酔いした胃袋には さすがに受けつけない。
ただ その店のお姉ちゃんは美人だった。
南沙織 似の美人。 眉が太く 褐色の肌が似合っていた。
何度か街へ出たが 3人に1人は南国美人であった。
ただオバチャンは みんな肥えていた。何故か・・・・。
市内を走っている車にナンバープレートが付いてないのにもビックリ!!
それに潮風のせいか ボディが錆びてボロボロの車ばかりだ。
停泊して2日後 福岡行きのジェット機の窓から 蒼い海を眺める自分がいた。
沖縄クルージングへ行くきっかけは 失業していたから・・ (汗)。
だから3週間に一度は職安へ行って認定を貰わないと失業保険が出ない。
機内の窓から 蒼い海が見えた。
雲の合間から フェリーが航行しているのか 小さく白いウェーキー(引き波)が見える。
西宮を出て 奄美まで10日もかかった海が もう真下に鹿児島半島が見えてきた。
ヨットには21メガのアマチュア無線を積んでいたけど
周波数の関係で 捕らえてくれるのは 北海道かホノルルだけで 大阪には近過ぎて(?)届かなかった。
で 北海道から中継してもらって 西宮のサポート局とマメに連絡は取っていた。
JH3HFK 甲子園の 加藤さんは 今はどうしてるかな
みんなの健康具合と 現在位置の報告が 毎日の日課だ。
直で西宮と繋がったら いろいろと話は出来ただろうが
中継をお願いしてる方がトラッカーで
ヨットの事はあまり詳しくない様子。。あったりまえか・・・。
出航前夜 父親に「明日から1ヶ月 沖縄へ行く」と ギリギリのタイミングで告げた。
そうしないと当然反対するだろうし。
でも あっさりと「そうか・・・」と一言 こちらの顔も見ずに。
拍子抜けした
たぶん判ってたんだろう。 そりゃそうだ。。
家の中に100食分近い食料が 次々と積み上げられてくるし。
出航時 キャビンの中は 「どこで寝るの?」ってくらい 荷物が満載!!
水のポリタンだけも 10数本。 燃料の軽油が10数本・・・・。 (^_^;)
もうこれだけで キャビンの中は歩けません状態。
冷蔵庫は 昔ながらの「氷式」なんで 2日で溶けてしまうから なまモノは 牛乳と玉子だけ。
これは常温でかなりもった。 玉子って意外と常温に強い。
レモンも持つかなって思ったけど5日は無理だった。
なにしろキャビンの温度は昼間 35度を越していて 湿度は90%・・・・。
まるで湿式 低温サウナ状態が 連日続く。
福岡経由で大阪へ到着 職安で手続きを済ませて備品の買い出しに追われる。
西宮サポートへ有線(電話)すると 船は無事に那覇港へ着いたと無線連絡があったらしい。
3日後 沖縄行きの直行便へ飛び乗る。
ジェット機だと大阪からは たったの2時間もかからない。
空港からバスに乗って那覇港へ行く。
那覇港の 上すれすれを 真っ黒の爆撃機が 低い高度で頭の上をかすめていく。
さすが沖縄は米軍の街だ。
ヨットは港に見当たらなず、福岡から来ていた40ftのケッチが停泊していたので聞いてみると、昨日の明け方 慶良間へ向けて出航したらしい。
那覇からだと ワンデイ(一日)のレグだ。
慶良間 行きのプロペラ機の便を探すが 1日1便で すでに出たあとらしい。
しかたなく また那覇市内へ戻ってユースホステルへ泊まることにする。
夕方 国際通りへ。 一人で街をウロつくのは 何となく落ちつかない。
今夜泊まるユースは自炊が出来るので 晩飯の買い出しに市場へ。
見たことがない野菜、色とりどりの熱帯魚みたいな魚が並んでいる。 肉が安い!!
しかも表示は LB(ポンド)だ。 1974年に返還されてもここはアメリカなんだと改めて驚く。
バドワイザーを仕込んでユースへ帰る。
翌朝 慶良間へ。
そこで この沖縄クルーズから数年後に 映画で一躍有名になった「マリリンに逢いたい」の主人公 シロと出会う。。
阿嘉島(慶良間諸島)
那覇からプロペラ機で 1時間で慶良間に着く。
座間味島、阿嘉島・・・小さな島々が集まった座間味諸島だ。
サンゴ礁に囲まれた透き通った海が美しい。
港へ着いたがヨットの姿は見当たらない。
村の人に尋ねてみるが、向かい側にある阿嘉島にも港があるらしい。 そのまま島へ渡る。
こっちも見当たらない。
仕方なく 今夜は民宿で泊まることに・・・。
宿には東京からの グラビアの撮影に 10人くらいのスタッフが泊まっていた。
夕食は 大きな食堂で一緒に食べる。
モデルさんだろうか、 ノーブラ・タンクトップで 目がクギ付けになるほどの巨乳が約2名。
夕食に並んだ魚は 色とりどりの魚がズラリ・・・。
煮付けに焼き物・・ 魚オンリーだ。
さしみには箸が出るが さすがに 熱帯魚の焼き物はどうも・・・・。
夕方 港へ出て漁師さんと話をしていると 白い犬が 港をうろついている。
「こいつは 向こうの座間味へ メス犬とデートするために海を泳いで渡る」と言ってる。
そんなアホな・・・・
どう見ても 3〜4キロはある、しかも流れが速い海峡を犬が泳いでわたるハズが・・・ と思って聞いていたがマジらしい。
ここの阿嘉島にはオスしかいなくて たまたまご主人と一緒に渡った座間味島で見たメス犬に一目ボレしたらしい。
それがマリリンだ。
渡船の乗客も何度かシロが泳いで渡るのを見ているらしく、島中で有名らしい。
映画になったのはシロが死んでから マリリンが海を見つめている後ろ姿が哀れで ウワサになって口コミで広がったのがキッカケらしい。
でも 潮の流れって 時間にもよるけど ウズが出来るほど早い時もある。
流されちゃうと東シナ海へ・・・。
つまり 命がけでエッチをしに行くのだ。。
愛の力ってか・・下半身の力って 犬も人も全然変わらんねぇ・・。(笑)
なかなか みんなと再会できない
南国の日差しはきつい。朝日が昇り始めたとたんに 肌がぴりぴりと痛いように焼付く。
慶良間のサンゴ礁は美しい。
ビーチからリーフまでは遠浅が続く。
シュノーケリングが楽しい。
でもリーフが終わったとたんに水深がグッと深くなる。
テレビでしか見たことがない熱帯魚が目の前を横切って行く。
リーフのエンドに来るとチョッピーな波が立っている。
シュノーケルから突然 海水を吸いかけるから危ない。
息を吐く時に 一息だけ残しておくのがコツだ。
そんな初歩的なレクチャーなしに シュノーケルを都会から来た若者に貸し出している
で 水難事故があった・・・・らしい。。。
座間味の役場でヨットの行方を尋ねていると
昨日 ビーチで起きた水死事故とヨットの情報が・・・
あわてて 那覇へ戻った
クルー曰く
いつものように デイセーリングを楽しんで帰港途中 かなり沖の方に シュノーケルが見えた。
だれか潜ってるのかな。。 でも かなり沖まできてる。
気になるので ずっと見ているが動く気配がない。
まだ じっとしているみたいだ。
近づくと女性のようで 「おかしいっ」と飛び込で
ヨットへ上げようとするが ぐったりしていて船尾のハシゴから上げらない。
仕方なく 3人がかりで 砂浜まで 泳いで引っ張って行く。
浜のちかくまできて 二手に分かれて 砂浜へ 女性を揚げるのと
船は港へ戻って警察へ通報するのとに 分かれた
で あわてて砂浜へ戻ったが すでに間に合わなかったようだ
手遅れは 発見した時 感じていたが 何かしないと・・・と みんな一緒の気持ちだった。
東京のうら若きOLだった。
派出所で事情聴取を終えてヨットへ帰っきてもだれも口をきかない
1人が言った「人口呼吸の時の 口紅の匂いがとれないっす・・・」
もし助かっていたら 新聞にデカデカと載っただろうが・・・。
でも あのまま発見されてなかったら 仏さんは 潮流に乗って東シナ海へ 流されてただろう・・
だいたい いとも簡単にシュノーケルを貸し過ぎる!! と クルーが 怒った
透明度がよすぎて 海面からは水深が読めない。
立てるハズの深さが 「あっ!」と思った時はすでに遅い。
起こって当然の事故だ。
座間味1週間の滞在予定を2日で切り上げて 那覇港へ戻っていた みんなと 無事に会えたのだが。。。。
「もう 帰りませんか・・・・」 と誰かが言った
暗いキャビンの チャートテーブルで与論島へ向けて 海図をひく。
帰路コースだ! まずは 2オーバーナイト(2昼夜)のレグである。
とにかく 早くここから出たいと みんなが言った
沖縄 - 与論島/浸水
快調に走ってると 夕方 翼を休めにきたカモメが マスト下のドックハウス(出入り口)のハッチに止まった。
ずっと こちらを見て 頭を何度も下げている様子だ 。
きっと 若いOLの霊が お礼を言いに来たかのように。
結局 夜が明けるまで 頭を何度も下げ続けて そして飛び立って行った。
2日目の夜中 ワッチ交代でキャビンへ入ると 足元に海水が・・・
足首の上まで浸かった
どこからか浸水している
あわててオールハンズ(全員総出)をかけて全員を起こす。
とにかく 海水をくみ出しなら走る。
今まで 何度が 浸水の経験はあったけど こんな 大海原のど真ん中は 初めてだ
衝突はしていないので 原因はエンジン回りだろうと 狭いエンジンルームへ懐中電灯をもって入る 。
熱気と湿度、そして軽油の匂いで バケツに嘔吐の連続だ 。
吐き続けながら 探す。
原因を掴まないと不安でしかたない。
結局 エンジンの冷却用 海水ミキシングタンクからの浸水だった。
小さな亀裂なので キャビンの海水を汲みだしながら走ることにする。
大きな亀裂での浸水だったら 全員 死んでいたに違いない
なにせ 予算がなかったから ライフラフト(救命筏)を積んでいなかった
3日目の昼過ぎ やっと与論島に到着。
港の周りはサンゴ礁で被われていて 入港のパス(サンゴを削った入港路)が判らない。
満潮じゃないから無闇に入港すると サンゴ礁にぶつかってしまう。
しかたなしに「人間 鵜飼 作戦」を取ることに。
足ひれをつけて クルーに飛びこんでもらって 船を誘導してもらう。
迷路のようなサンゴ礁だ。
「ダメでぇ〜す。サンゴで行き止まりです!」 船をバックで元の所まで戻る。
1時間ほど繰り返して やっと無事に接岸できた。
冷却水タンクがステンレスのため、溶接をしてくれるところを探す。
離島なので ステンレス溶接をしてくれるところが無く、しばらくここで 足止めをくらいそうだ。
荷物をおろして セールをたたんでいると 船尾に「兵庫県 西宮港」とあるのを見つけて 若い女性が近づいてきた。
聞くと東京からの旅行者らしい。
ここまで どれくらいかかったのと聞いてきたので 頭の中で計算してると 彼女曰く 「8時間くらいかかるの?」って (*_*)
おまえなぁ 日本地図 あたまにないのかぁ〜
と思いつつ まぁジェット機で来りゃ距離感って そんなもんネと あきれました
片道 1600キロ位だが ヨットは 向い風と 黒潮で まっすぐ進まないので 2000キロとして 平均速度 10キロで 休みなしで 200時間ってところか
西宮で無線のサポートをしてくれているJH3HFKさんの無線仲間で この与論島で夏の間だけ 浜で物売りをしている人と言う怪しげなオジサンを紹介してくれていた。
電話を引いていないらしいし、どうやって探せばいいのかと思っていると 夕方 そのオジサンが港にやって来た。
無線でHFKさんから 連絡があったらしい。
「風呂あるから 入りにこい」ってことで 3日ぶりの風呂に 喜び勇んで付いて行くと アバラ小屋へ案内してくれた
ほんと 台風がきたら 一番最初に飛んでしまうくらいの小屋である・・・。
いや まるで廃屋だ。
壁も屋根も 所々 青空が見えるくらいの小屋だが 裏庭にはマンゴウとバナナが鈴なりで 「好き勝手に食え」と言う。
風呂もドラム缶で 下からまきで沸かす・・なんて言えばいいのか、
よく戦争映画で兵隊さんが入ってる「五右衛門風呂」だ。
昼間 浜で 物売りの手伝いをしてくれれば タダで泊めてくれるらしい。
ほんと 怪しげな「オッサン」である。
とにかくタダの寝床とお風呂を確保できて 多いに助かった。
与論島での 滞在が続いた。
入れ食い
くそ熱いヨットのキャビンでカレーを仕込んでると 若いクルー達が女の娘を連れて来た。
まるでオーナーような口ぶりで あちこち説明している。
タンクの修理は 那覇送りになるようで しばらくは この島に滞在だ。
昼間は「あやしげなオッサン」のお手伝いで 浜へ出て 花火、駄菓子を売る。
旅行客は 関西も多いけど 東京の連中が多く ほとんどがツアーでやって来ている。
クルー達は 物売りのお手伝いをするってより 女の娘をヒッカケるのが目的の物売りだ・・・。(笑)
若手クルー 「俺達さぁ ヨットで大阪から来たんや。 見に来る?」てな調子で 片っ端から声をかけている様子だ。
民宿を聞き出して デートの時間調整をして かなりのハードスケジュース??をこなしている様子。
夕方 ドラム缶風呂をありがたく拝借してから 船へ戻る。
が クルー達は 夜 どこで寝ているのか だれも船に戻ってくる気配はない。
昼間は結構暑いが 夜は湿気がないのでキャビンも過ごしやすい。
学生のクルーが 道具?を【1ダース】取りに戻ってきた。
「キャプテン めっちゃ忙しいっす」
聞くと 1日4交代の【ワッチ】???らしい・・・・。(笑)
与論島までのレグは 月も無く 真っ暗な海だった。
沖縄本島は 米軍の管制で 島の北半分に灯台がひとつも無い。
レグの途中 沖縄本島と 伊江島、伊平屋島の間を抜けて走る。
夜間航行で 灯台が確認できないのは本当に不安だ。
このコースであってるのかって不安がずっと付きまとう。
航海灯が波間を映し出す。 空を仰ぐと 満天の星と天の川だ。
日が昇り出すと 朝焼けに映し出される360度の海原・・・。
もう一度 あの光景に逢うことが出来るのだろうか。。
あの時 わずかな浸水だったから みんなの命が助かった
太平洋のど真ん中で SOS発信機も積んでいないし 真夜中に船体放棄なんてなってたらと想うと ぞっとする
大航海
ステンレスタンクが直ってきた。
いよいよ帰りの準備だ。
水、燃料、食料・・・と またたくまに キャビンが荷物で埋まって行く。
ここの水は石灰分が多くて 絶対 生水は飲まないようにと 「あやしげなオッサン」が言う。
マンゴー、バナナ、パイナップルをダンボールに てんこ盛り 差し入れをしてくれた。
が 港には
「検疫上 果物の持ち出し禁止」
と大きな看板があったが おかまいナシだ。
どうせ 1・2日で食ってしまうんだとオジサンは笑っている。
ここから四国の室戸岬まで 一直線でレグを引く。
ざっと 800マイル(1300キロ)の距離だ。
6時間ごとの 2交代ワッチで 西宮へノンストップだ。
黒潮が 6ノット、追い風が 6ノット、エンジンが6ノット・・ 蛇行を入れても 13〜4ノット つまり 70時間で着く計算だ。
往路に較べると 海流と 追い風が合わさって 比較にならないくらい すごいスピードだ
満潮を待って一気に与論島を後にした。
そういえば与論島へついて1回も船を出したことはなかった。。。(笑)
船は追い風で走ると 当然コックピットには風が一切入ってこない。
無風のところへ容赦無く照り続ける太陽。
雲一つ無い青空。
遥か水平線には 夏を象徴する入道雲が大きく群れをなしている。
日射病を防ぐためデッキにテントを張る。
若手クルーはバウで 素っ裸で日光浴。
チンチンまで焼いてどうするんだろう・・。。。(苦笑)
みんな日焼けをし過ぎて 笑うと歯が異様に白く見え過ぎて ヘンな顔をしている。
追っ手用のスピネーカーを上げているから 右、左へローリングが続く。
単調な時間が過ぎていく。
現在位置を出すのも面倒で コンパスだけを信じて走りつづける。
間違っても東京に着くことはないだろうと イイ加減な推測航法だ。(笑)
昼間はイルカが伴走してくれる。
彼らは結構フレンドリーだ。
何時間も付き合ってくれるし、夜は満天の星と 夜光虫のウェーキー(引き波)が美しい。
4日目の深夜 バウ(船首)方向に白い光が見えた。
時計で間隔を計る。
ホワイト・フラッシング(閃光) 10秒だ!!!
10秒間隔でピカッと白色閃光がきらめく。 「やったぁ!!」
間違い無く 室戸岬だ。
コンパス航法もまんざらでもない。
ぬる〜いビールで とりあえず乾杯!
もうすこしで 母港 西宮だ。
冷えたビールも待っている。
出航してから 1ヶ月と10日ぶりの帰港だ。
430メガが繋がったので無線で 到着予定を西宮サポートから大阪で待機しているクルーに有線をしてもらう。
もちろん 出迎えは「チンチンに冷えたビール」だ。
通いなれた紀伊水道、友ケ島をすぎるとホームポート西宮だ。
430メガでJH3 に連絡を取ると 出迎えに沖へ出ているようだ。
夕方 無事にアイボール!!(出会い)
ビールを たもアミで受け取る。
「美味い!! やっぱりビールは冷えたのに限る」と 全員でビールかけが始まった
日焼けした真っ黒の肌にビールが しみる! しみる!