ETUDE だらだら劇場 「SAKURA」
特にストーリーを決める訳でもなくメッセンジャーを使って柊木とハルカが交互に5〜10行くらいずつだらだらと話を進めて 最後にハルカ、柊木の順に全文を添削して書きあがったのが、この話です・・・。 こんなに明日の天気が気になるなんてこと、遠足や体育祭の前の日だって無かった気がする。 啓太は菜箸を持つ手を止めて少しの間、物思いに耽った。 昨日の天気予報での今日の天気は、晴れ。今さっき見た朝のニュースでも、今日は良い天気でしょうとお姉さんが言っていた。 俺は運が良いから、きっと絶対大丈夫。 そう頭では考えているけれど、まだ薄暗い食堂の、こっそりと灯のともる厨房の中ではどうしても不安になってしまう。 それにしても。 料理って案外難しいもんだな。 啓太はフライパンを火にかけた。 ええと、油は・・・。 探す視線でくるりと調理台を見回していると、その目の前にすいとバターの箱が差し出される。 少し驚いてきょとんと瞬いてから、箱、手、腕、肩・・・順に見上げてたどり着いた顔には早朝に相応しくというか早朝にもかかわらずというか、満面の、ぴかぴかの笑顔。 「はい、啓太。玉子焼きは、バターで焼いたほうが美味しいよ」 「あ、そうなんですか。俺、料理のことほんとに全然知らなくて・・・」 ありがとうございます、と。 小さく会釈をしながら、はにかんだ笑みでバターを受け取る啓太を、見下ろしてうっとりと目を細めるのは、啓太に料理の指南を頼まれて勿論だよハニーと引き受けた成瀬である。 朝早くから本当にすみませんと啓太はしきりに恐縮していたけれど、成瀬にしてみれば、こうして白いエプロンを身に着けて、厨房に注ぐ朝の白い光に照らされながらフライパンを片手に格闘している啓太を独り占めできるなんて、これ以上ない幸せの光景だ。 僕は毎日だって歓迎だけどね。 ただ、啓太が料理を造ることが僕ではなく、他の誰かのためだってことだけが、唯一にして最大級残念なところだけど―――。 ちょっぴり切ない気持ちになった成瀬は、それをうち消すように声量を上げた。 「玉子焼きの他は何を入れる?メインはクラブサンドなんかいいんじゃないかな」 「あ、はい!・・・あの、成瀬さん、無理にお願いしておいてなんなんですけど・・・」 啓太は隣に立つ成瀬をそっと見上げる。 「こんな時間に火を使っていたら篠宮さんに怒られちゃうんで、もう少し小さめの声でお願いします」 「なあに言ってるんだよ。こんなに頑張ってるのが自分のためだってわかったら、いくら寮長だって何も言えやしないさ」 本当のことだけれどもさすがにまともにぶつけられると恥ずかしいのだろう。啓太はフライパンを握りしめたまま真っ赤になって俯いてしまった。 そんな啓太を見下ろす成瀬は密かにため息をつく。そんな顔を見せられちゃあ、御意のままに従うしかないじゃないか。 「じゃ、こっそり、頑張って作っちゃおうか」 不意に耳元で囁かれた声により顔を赤くした啓太は、小さな声で、はい、と言った。成瀬は心の中で舌を出す。 これくらいは、指南代だよね。 「うわ―・・・っ、ほんとにいい天気だ!」 ひんやりと少し肌寒い気のする朝の空気は、まだ春にはなりきっておらず、さりとて冬のそれとは異なる柔らかさを含んでいる。 啓太は心地よさに目を細めながら、大きく深呼吸をひとつ。 「・・・・・っ」 息を吐き出しながら、まぶしい日差しをさえぎるように顔の前に上げた手には、まだほのかに温かい弁当を入れた包みがある。 早く早く、これを持って弓道場に行かなければ。 今日は桜の木の下で花見がてら、篠宮と一緒に朝食を食べるのだ。 こっそりと、篠宮にはまだ内緒の計画。 きっと驚くだろうなあと考えると、頬が自然と、ふにゃりと緩んでしまって困る。 と、そこまで考えて啓太はすこし表情を曇らせた。 本当は、成瀬さんも誘った方が良かったんだろうけど―――。 成瀬は啓太の心を見透かしたかのように、先手を打って送り出してくれた。 そのかわり、今度は僕とお花見に行ってね?という言葉がついてきたけれども。 成瀬さんのためにも、今日は絶対篠宮さんに喜んでもらわないと。 啓太は弁当を改めて持ちなおした。 決意も新たに気合を入れて、通いなれた道を急ぐ。 弓道場に近づくにつれて矢が的を射る音が聞こえてくると、啓太の足取りは、早足から小走りへと変わっていった。 でも、そういえば・・・なんて言って篠宮さんを誘おう。 わくわくと計画ばかりはしっかり立てて、こうしてお弁当まで作ってはみたけれど。 誘う言葉は考えていなかった。 『今日は外で、桜を見ながら一緒に朝ご飯を食べませんか?』 「・・・・・」 正しいけれど、間違ってはいないけれど。 せっかく特別な計画を立てたのだから、もっと特別な誘い文句を言ってみたい。 こういうとき、例えば・・・・・・・・そう、七条さんだったら・・・。 『昨日丑三つ時にふと目が覚めまして、何気なく窓の外を見たんです。そうしたらそこには銀色の髪をもつ妖精がいて、僕に告げたんです。明日、お弁当を持って篠宮さんとお花見に行きなさい、と』 ありえない。いくら冗談でも自分が言ったら間違いなくそのまま病院に連れて行かれてしまう。啓太はさらに考える。 西園寺さんだったら・・・。 『桜が見たいというのに理由がいるのか?』 あー・・・・・・・。じ、じゃあ、中嶋さんだったら・・・。 『啓太、出掛けるぞ』 きっと理由なんか聞くに聞けない雰囲気のまま拉致られて、桜の木の下をくるくると巡りながらどうしたんだろう俺中嶋さんを怒らせるようなことをなにかしちゃったかななどと考え込まされた挙句に、『帰るぞ』と言われる頃になって、もしかしたら中嶋さんはお花見に誘ってくれたのかなとようやく気付く・・・といった具合だろう。 そんなやり取りは言う側の中嶋が中嶋だから、言われる側の啓太が啓太だからこそ成り立つのであって、啓太が参考にするにはちょっとレベルが高すぎる。 ええとー・・・じゃ、じゃあ王様だったら! 『よーお、啓太。花見に行こうぜ』 駄目だ、啓太と同じくらい直球が飛んでくる以外の可能性を思い浮かべることができない。 でも・・・。 王様は、王様自身が特別だから。 特別な誘い文句なんて必要がないんだよね・・・。 たどり着いてしまった弓道場の扉に手をかけながら、啓太は小さく息をつく。 その理屈は、なにも丹羽に限ったことじゃない。 中嶋も、西園寺も、七条も。 個性的で特別な人たちだから。 ―――それに、篠宮さんだって・・・。 啓太は弓道場の中を覗き込んだ。早朝の道場はとても静かで、ほの暗い室内には虹色の日差しが差し込んでいる。 いつも以上に厳粛な空気を振り切って、さらに覗き込んだ啓太は、捜していた人の姿を見つけた。 「・・・しのみやさん」 思わず小さく呟いた名前は、外気に触れるとすぐに消えてしまう。それほどまでに篠宮の姿には、他を圧倒するものがあった。 音もなく矢をつがえる姿に、啓太は今までぐるぐると考えていたことも忘れてただただ見とれる。 篠宮さん、やっぱりすごい。 啓太が心の中でそっと呟くと、矢をつがえていた篠宮の横顔が。 え? ふと、こちらを向いた。 「・・・啓太・・・!」 あからさまに驚いた篠宮が、つがえた矢を下ろす。啓太は慌てた。抱えた弁当が傾いて、なおさら慌てる。 「すすすすすすすすみません、篠宮さんっ、邪魔するつもりは無かったんですけど・・・」 同じくらい慌てた篠宮は、弓はさておき啓太へ駆け寄った。 「違う、違うんだ啓太、お前は何も悪くない。悪くないんだ」 啓太の両肩を掴み、覗き込まんばかりの勢いで。 「・・・むしろ俺のせいだ。その・・・啓太のことを考えていたら、本当に啓太がいたものだから・・・」 篠宮の黒い髪が、さらりと流れた。 「驚いた」 滲むような恥ずかしそうな篠宮の微笑みは、啓太の慌てた心をも角砂糖が溶けるみたいに穏やかにしてしまう。啓太もつられて微笑んだ。 そう。 この人の前では、身構える必要も格好をつける必要も、どこにもないんだ。 幸せな笑みのまま、啓太は篠宮の顔を見上げる。 「篠宮さん、今日は外で、桜を見ながら一緒に朝ご飯を食べませんか?」 渡されるまっすぐな眼差しと言葉とに、啓太を見返す篠宮の瞳が、ますます甘く優しくなる。 そうして篠宮は両手で差し出される包みごと大切そうに、胸のうち深くに啓太の躰を抱きしめた。 |