blanc 10 for lovers 01 「嘘つき」





「和希のばか! 嘘つき!」
「啓・・・っ」

 とっさに伸ばした指のわずかに先で、バタン!と勢いよく扉が閉まる。
 予測はしていたけれども展開の速さに置いていかれた格好で、和希は呆然とその閉まった扉の前に立ち尽くした。


 ここのところ立て続けに、3度。
 週末の1泊旅行の計画を、直前で反故にしてしまっていた。
 予定の前日になって、急に仕事が入ってしまったことを告げるたび、啓太は笑って「仕事なんだからしょうがないって」と云ってくれていたけれど、理解はできても納得ができないことというのはある。
 啓太にとって和希の仕事というのは、きっとまさにその典型で。
 仕事が理由で計画が頓挫してしまうことにもどかしさは感じながらも、逆に自分のせいで仕事に滞りが生じたとなれば、啓太は自分を許せなくて悩むだろう。
 そうはしたくないから和希も、啓太との予定より、仕事を優先させることもある。
 だからこそ、今度こそはと思っていたのにやっぱり急に仕事が入ってしまって。
 そのうえ今度こそと構えていた時に限って、キャンセルの利かない国外からの来客との、限られた時間での打ち合わせだったりするのだ。

 あらかじめ約束などはせずに休暇の取れた当日に声を掛ければ、こんなことにはならないのかもしれないけれど。
 素直で人当たりがよく、誰にとっても居心地のよい空気を持っている啓太は、前もって約束を取り付けておかなければほぼ間違いなく別の人間に拉致られてしまう。
 テニス部の応援、オカルトショップ&カフェデート、クラシックの演奏会、早朝からの海釣り、学生会の休日業務、弓道部への体験入部、絵のモデル、校内デリバリーや生物室の片付けの手伝い・・・エトセトラエトセトラ。
 隙あらば和希の隣から啓太を掻っ攫っていこうとする人間の、なんと多いことか。
 啓太は啓太で、人からの誘いや頼まれごとを断るのが苦手なお人好しだ。
 その優しさは啓太の長所には違いないけれど、そのせいで自分を追い詰めてしまうことになりかねない。
 実際、許容量以上のものを押し付けられてしまって、押し潰されそうになりながら頑張る羽目に陥ったことは今までにだってあった。
 和希の目の届くところで起こることならば、無理を止めることができるし、手伝うことだってできるけれど。
 全てが済んでから大変だった事の顛末を聞かされて、驚かされることもざらにある。
 それも大抵は啓太以外の人間の口から聞かされて、だ。

 啓太には、最初に和希と出会った子供の頃から、そういう部分があった。
 両親や友達と引き離されて、子供ならば当然に持つはずの寂しい気持ちを抑えて、自分はもうすぐお兄ちゃんになるんだからと自分に言い聞かせて。
 一生懸命に我慢をしてそれでもどうしても気持ちがあふれてしまって、和希にすがって泣きじゃくったこともある。
 こんなに小さいのに、こんなにも我慢をして。
 誰かのために自分を抑えて、それでも笑っていようとする子供を、とても愛おしいと想った。
 あの頃から、啓太の気質は少しも変わっていないんだな・・・と、考え込む和希の前で、かちゃりと部屋の扉が開く。
 そうしてその隙間から、見るからにしょんぼりと肩を落としている啓太が、そうっと顔を覗かせた。

「啓太・・・」
「・・・・・ごめん」
「え」

 第一声から、予想外の言葉を聞かされて。
 最初、なにを云われたのかも分からずにぽかんとする和希に、うなだれている啓太はもう一度「ごめん」と告げる。
 どうして啓太が謝ったりするのだろう。
 どう考えたって和希のほうが悪いのに。

 なんと言葉を返したものかと黙り込む和希の顔をちらと確かめてから、もう一度つま先に視線を落とした啓太は、急に謝ったりした訳をぽつぽつと小さな声で話し出す。

「ばかって云ったのは謝らないけど、嘘つきは・・・思ってないから」

 その顔は俯いてしまっているけれど、前髪にほとんど隠れてしまっているけれど。

「和希が、すごく一生懸命仕事して、俺との時間を作ってくれようとしてるのはちゃんと・・・俺、ちゃんと知ってるのに」

 目許がほんのりと赤い。
 声が、少し鼻声のようになって掠れている。

「なのに酷いこと云って・・・ごめん」

 泣かせてしまった。
 こんなにも側にいて、それなのに一人きりで泣かせてしまった。

「啓太・・・」

 力不足を感じるのはこんなときだ。
 啓太の気遣いや、想いを、少しも分かってやれないで。
 寄りかかって甘えて、こんな風に泣かせてしまってからようやく気付く。
 啓太の無理に。我慢に。
 おそらく啓太は、和希が約束を反故にしたことに泣いたのではなくて、和希を傷つける言葉を吐いた自分を責めて泣いたのだろう。
 自分はちっとも、啓太を守る力を持った大人になんてなれていない。
 啓太のほうがよほど大人じゃないか。

「ほんとにごめん、和希」

 それだけだから・・・、とまた少し潤んでしまった声が力なく云って、閉めてしまおうとする扉の間に、和希はとっさに左手を突っ込んだ。

「待って啓太」

 そのまま力を込めて、少し強引に扉を押し開ける。
 隙間に二の腕を押し込んで閉められないようにしてから、和希は啓太の顔を覗いた。

「入ってもいいか?」

 普段にない真剣な表情をみせる和希が、怒っているのだとでも思ったのだろうか。
 啓太は、真っ直ぐに自分を見つめる和希を、小さな子供のような、心許ない表情で見返す。
 そうして少しだけ迷うような間があってから。

「・・・・・、・・」

 観念したようにこくんと頷いて、ゆっくりと扉を引き開けた。




 部屋の扉を閉めるのを待つのももどかしく、和希は伸ばした腕の中に、すっかりうなだれてしまっている一回り小さな躰を抱きしめた。
 拒絶をせずに、されるまま腕の中に納まってくれている啓太の様子に、思わず深く安堵の息をつく。

「啓太が謝ることじゃない。約束を破ったのは俺だし、嘘つきって云われてもしょうがないことをしたんだから」

 俺のほうこそ、ごめん、と抱く腕に力を込めると。
 啓太は慌てたように身動いて、すぐ近くにある和希の顔を仰いだ。

「ち・・・違うよ! 和希は嘘つきなんかじゃない! さっきのは勢いで云っちゃっただけで俺、そんなこと全然・・・っ」

 必死に否定しようとする言葉の途中で。
 振り仰いで見つけたどこか痛むような和希の笑顔に、啓太は思わず口ごもる。
 和希を傷つけたと、そう思ったのか、啓太のほうこそが傷ついたような悲しそうな顔になって。
 こわばってしまったその頬を、和希の手のひらが、大切なものに触れるようにそうっと包み込んだ。

「啓太に、こんなに我慢させて」
「してないよ、我慢なんかっ」
「してない?」
「し、してない!」
「本当に?」
「・・・・・、・・・」

 こつ、と額同士を押し当てて、近い距離から優しい色の瞳が啓太の眼を覗く。
 気持ちの全部を見透かされてしまいそうなその眼差しに、啓太は困ったように黙り込んだあとで、ふいと眼差しをそらして、ぽふんと和希の肩口に額を預けた。
 そうして、言葉にしてしまうことをまだ少し迷っているような、くぐもった声が小さく告げる。

「ちょっとだけ・・・」
「うん」
「ちょっとだけ、我慢してた」
「ああ・・・ごめん」
「だから、謝らなくていいってば」

 ちょっとだけなんだからさ、と張り詰めていたものがようやくほつれたようにふにゃりと笑って、啓太は懐く仕草で眦を和希の肩口にすりよせた。
 ほんの少しだけ弱音を覗かせて、それでもまたすぐに我慢をしてしまおうとする。
 知ってはいたつもりだけれど、啓太は意外なほど頑固でたくましい。
 しょうがないなと和希はこっそり吐息で笑って、もう一度その躰を、腕の中深くに抱き寄せた。

「日曜日」
「・・・え?」
「日帰りになっちゃうけど、明後日の日曜日は出掛けよう、一緒に」

 そう、雷でサーバーが落ちようが、新薬が完成しようが。
 雪が降ろうが槍が降ろうがマリモが降ろうが知ったことか。
 今はそれどころじゃない。
 他のなによりも優先しなければならないことがある。

「絶対、なにがあっても時間作るから」

 ぎゅうっと強く抱きしめたあとで少しだけ腕の力を緩めて、視線を合わせてもう一度、力強く「絶対」と云いきる和希の顔をきょとんと見返していた啓太は。
 決意も新たな和希のその様子に、ぷっと思わず吹き出した。
 そのまま明るい声を上げて笑いだす。

「なんだよ、それ」
「だって、啓太を泣かせるわけにはいかないだろ」
「べ、別に泣かないよ!」
「うん、だからもう、泣かなくていいように、泣きたい気持ちになんかならなくてもいいように・・・」

 とても大切そうに。愛おしげに。
 優しい声音が囁いて、抱く腕にやんわりと力がこもる。

 そうしてようやく笑いを収めてお互いの目を覗くと、そこに自分と同じ気持ちを見つけて。
 和希と啓太は幸せな気持ちでくすりと笑った。

「じゃあ、約束」
「ああ、約束だ」


 ラブラブな恋人同士としては。
 ケンカのあとの仲直りと、たいせつな約束の証といったら。

 まずはやっぱり、キスでしょう。





典型的な痴話げんかでした(笑)
でもこんな会話は他のカプだと成り立たない気がするのですよねー。
やはし啓太が遠慮なくキレたりがしがし云いたいことを云えるのは
和希が相手のときだけかなーととても思うのです思うのです。


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