blanc 10 for lovers 01 「抱き締める」放課後、いつものように当たり前に訪れた会計室には、鍵が掛かっていた。 ノックをしてみても返事はなく、部屋の中には人の気配もない様子。 あれれと考え込むうちに、そういえば昨日の手伝いの後、お茶会のときに、西園寺さんが街に行かなければならない用があるから、今日の作業は無しにしようと話したのだっけと思い出す。 会計部の仕事がないということは、もしかしてここかなとやってきた図書館。 案の定、窓際のいつもの席で、ノートパソコンに向かっているらしい七条の姿を見つけた。 意識せずに、ふわりと上気した啓太の頬に笑みがのぼる。 啓太は迷わずに、綺麗に背筋の伸びた大きな背中の方へと足を向けた。 いつもは、あと数歩で肩に手が届くという辺りで、近づいた気配に気付かれて先に七条に振り返られてしまうのだけれど。 なぜだか今日に限っては、いつもならば確実に気付かれてしまうであろう距離まで近づいても、七条はノートパソコンに向かったまま。 日頃散々からかわれているから、今日は俺がちょっと驚かしてみちゃおうかななんて考えた啓太は、足音を立てないようにと少し緊張しながら、そろそろそろと体温が感じられるくらい近く、すぐ後ろまで歩み寄る。 ここまで近づいても気が付かれないなんて、本当に本当に珍しい。 めったにない機会だよと、啓太はこくんと息を呑んだ。 そうしてそうっと両腕を開いて、大きな背中に抱きつこうとした、ところで。 「・・・・・」 啓太はぴたりと動きを止める。 こうこうと、ごく小さな寝息が聞こえたのだ。 も、もしかして。 もしかして、七条さん・・・。 「寝、ちゃってる・・・?」 驚かすつもりが啓太のほうが驚いてしまって、思わず声を出してしまった。 「・・・、・・・・・おや・・・啓太くん?」 すると寝起き特有の、少し熱っぽく掠れた声が名前を呼んで。 肩越しに振り返った七条が、ゆっくりと啓太の顔を振り仰ぐ。 「ぁ・・・・・」 起き、ちゃった・・・。 少々がっかりしながら目線を落とすと、視界に入るのは、あからさまに抱きつく寸前の構えをとっている自分の両手。 啓太は慌てて引っ込めたその手を背中に隠して、へへへとテレ笑いで誤魔化した。 まだ眠りの名残を引きずっているのか、その一連の動作を少しぼんやりと眺めていた七条が、もう一度ゆっくりと顔を上げる。 「僕は・・・少し、眠ってしまっていたようですね」 「そうみたいです・・・俺、びっくりしました」 「僕のほうこそ」 フフ、と。 なんだかくすぐったくなるような甘ったるい表情で笑って。 「僕のほうこそ、本当に君には驚かされてばかりですよ」 「?」 驚かそうとしたことは確かにしたけれど、驚かす前に自分が驚いてしまっておろおろしているうちに七条に気付かれてしまって、結局驚かす機会を逸してしまったはずなのに。 啓太は七条の云う言葉の意味を理解できずに、きょとんと不思議そうに瞬いた。 眠っている間に、その眠りを破ることなく、誰かが自分の領域への侵入を果たしたことに気付かずにいたこと。 そのことが、七条にとってどれほど驚くべきことであるかを知らずに。 身体ごと啓太に向き直った七条は、目を丸くしている啓太にくすくすと笑って。 伸ばした両腕の中に、やんわりとその腰を抱き寄せる。 「僕のことを、抱きしめてくれないのですか?」 「っ! ・・・・・ぇ、と・・っ」 眠っている七条に、啓太が何をしようとしていたのか。 やはりしっかりと気付かれていたらしい。 小さく首を傾げて甘やかに微笑む七条が、少し拗ねたような口調で告げるけれど。 向き合ったこんな近い距離で、改めて「さあ抱きしめてください」なんて仕切りなおされるのは、啓太にとってはなんだかとても恥ずかしくて。 啓太は口ごもって、困ったように俯いてしまう。 けれども。 「大丈夫、誰も見ていませんから・・・」 ね、と。内緒の悪戯に誘うように。唆すように。 ほてった頬に唇を寄せて、吐息を含んだ甘い声が囁くのに。 「・・・・・?」 啓太はそうっと目線を上げて、周囲の様子を伺って。 本当に人の気配がないことを確かめてから。 「・・・・・」 もう一度、そろりと合わせた紫の瞳の優しさに背を押されるようにして・・・。 「・・・おはようございます、七条さん」 今度こそは遠慮なく。 伸ばした両腕で、ぎゅうと七条の身体を抱きしめた。 |