blanc 10 for lovers 02 「次の約束」





 筆箱とノートと教科書を手に、啓太は理事長の机の前で呆然と立ち尽くしていた。
 机の上に置かれたおなじみの青いクマちゃんが掲げているプラカードには、見覚えのある字体での走り書き。

『ごめん啓太! 急に出張が入』

 っちゃったんだ。
 だと思う。多分、この続きは。
 こんな短い文章を書き終える時間さえないほど、慌しく出掛けなくてはいけなかったのだろうなということも、分かるけれど。
 でも。

「・・・・・」

 久しぶりに一緒に過せるのだと思って。
 授業が終わってすぐに教室を飛び出して走ってきたのにと半眼になって。

「楽しみにしてたのに・・・」

 ぶす、とむくれて呟いた。

 と。

「伊藤くん」

「?」

 不意に名前を呼ばれたものだから、啓太は思わず、むくれた顔のままくるりと振り返る。
 するとそこには、眼鏡を掛けて穏やかな笑みを浮かべた、和希の第一秘書が立っていた。

「あ・・・石塚さん!」

 驚いて目を丸くする啓太ににこりと笑って「こんにちは」と挨拶をする石塚の。
 その笑みには、呆れていたり馬鹿にしていたりという要素はまったく含まれていないようだけれども。

 独り言、聞かれてた、よな。

 まさか他に人がいるなんて思っていなかったから。
 衝動のままに子供のような駄々をこねてしまった。

 は、恥ずかしい、かも・・・。

 見られていたかと思うといたたまれずに、啓太は埋まりたいような気持ちで赤面した顔を慌ててうつむかせる。
 その啓太の仕草を落ち込んだようだとみなしたのか、怒っているのだと思われたのか。

「一緒に数学の宿題をするのだと、和希様もとても張り切っていらしたのですが」

 本社から緊急の呼び出しがありまして、と。
 石塚は申し訳なさそうに云って、眼鏡の奥の瞳を翳らせた。
 だけれども啓太としては、啓太よりももっとずっと大人の、非がある訳でもない石塚にそんな顔をされたら。
 とてもびっくりして、困って。

 ええと。
 ええと。

「そ、それはでも仕事なんだったらしょうがないことだしっ。それに和希が悪いわけでも石塚さんが悪いわけでもないですからっ、あのっ!」

 思わず必死になってフォローをしてしまう。
 確かに和希が悪いわけでも石塚が悪いわけでもないけれど、同じように啓太だって悪いわけではなく、フォローをしなければならない理由はないのだけれども。
 それでも、こういう気質なのだから仕方がない。

「え、ええとだから全然っ、気にしないでくださいっ!」

 一気に云ってぺこりと頭まで下げる啓太の勢いに押されたように、少し驚いたように瞬いた石塚の目許が、次には優しく細められた。

 ぇ、・・ぁ、あれ・・・・?

 大人の顔をして啓太を甘やかすときの和希と、同じような空気。
 慕わしいようなそんな仕草に。
 なんだかちょっとだけ、どきりとする。

 そこは怒っていいところだよ啓太。
 啓太はもっと我侭になってくれていいんだから。
 もっと俺に甘えて、駄々をこねて?

 啓太が少し頑張って我慢をしなければならないとき、そう云って頭を撫でてくれる和希と同じ顔。
 だからそんな表情にはとても弱くて。
 だからそんな顔をされたら、どきどきしてしまってたまらないのに。

「もし私でよろしければ」
「?」
「お手伝いをしましょうか?」
「え」

 すっかり浮き足立って会話についていけずにきょとんとする啓太に。
 石塚は眼差しで啓太の手許の教科書を示す。

 あ、宿題を。

 そう理解をして。
 次いで、驚いて。

「ぇ・・・い、石塚さんがですかっ?」

 いいんですか? と。
 予想外の展開に、啓太は驚いて大きな瞳をくるりと瞠った。
 すると啓太のその反応をどうやら違った風に解釈したらしい石塚は笑って、少しだけ得意げに胸を張ってみせる。

「ええ、こうみえて数学は得意なんですよ」

 こうみえてもなにも。
 あからさまに得意そうな眼鏡である。

 でも、これでスパルタだったらちょっとびっくりするけど。

 こちらにどうぞと、秘書室に続く扉を開いて待ってくれている石塚にはいと返事を返しながら。
 ありえなさげな想像に、啓太は一人、くすりと表情を和ませた。




「今日はほんとにありがとうございました」
「いいえ、私もブランクがありますから、分からない問題があったらどうしようかと心配していたんですよ」
「そんなこと! だって石塚さんの説明、すごく分かりやすかったですし!」
「それはよかった・・・安心しました」

 もっとずっと時間がかかると思っていた宿題をテンポよく片付けた啓太は、ほくほくな笑顔で石塚と向き合っていた。
 丁寧に宿題を見てもらって、そのあとでお茶まで出してもらって。
 最初は、年齢差もありあまり接点もないような石塚とどんな話をしたらいいのかと、少し緊張していたのだけれど。
 学生時代の話や「これは内緒なのですが」と教えてくれた和希の話に笑ったり驚いたりしているうちにすっかり馴染んで、緊張もどこかへ行ってしまったし、気がつけば宿題もすっかり済んでいたような状態で。

「あの、石塚さん・・・」
「はい?」

 お茶のお代わりを注いでくれている途中、呼びかければ目線を上げてくれる。
 10以上も年下の啓太に対しても、ちゃんと接してくれているのが分かるから。
 なんだか嬉しくて、ちょっとくすぐったい。

「俺また、ここに来てもいいですか? 宿題、見てもらったりとか、あの」

 だから気安い気持ちになってしまって、ついそんな言葉が口をついてしまった。
 けれども云いながら途中で、普段仕事で忙しくしている石塚に、こんなことを頼むのはおかしいよなと気がついて。
 そのうえ石塚が、少し驚いたような顔になったものだから。

「ぁ・・・・いえっ、すみませんなんでもないです! 今のは、その・・・ええとっ」

 啓太はかじりかけの最中をテーブルの皿の上に戻すと、おろおろと目線と手とを泳がせて、慌ててフォローの言葉を探す。
 せっかくの居心地のいい雰囲気を、台無しにしてしまったこともいたたまれない。

「伊藤くん・・・」

 ええとええととしきりにうろたえている啓太を映す眼鏡越しの瞳が、優しい形に細くなる。
 そうして。

「勿論、いつでも歓迎ですよ」

 石塚は伸ばした手でぽんぽんと、優しく啓太の頭を撫でた。
 とても優しい感触に、今度驚くのは啓太の番で。

「・・・石塚さん」

 まじまじと顔を見返してしまうけれど、向けられている笑みには、云い繕うような気配は感じられない。
 本心からそう思って云ってくれてるのだと分かるから。
 またじわじわと、嬉しい気持ちが胸に戻ってきて・・・。

「・・・ぁ、ありがとうございます! じゃあ俺また来ますね、絶対!」

 満面の笑みになった啓太は、こくんと大きく頷いた。


 胸に残った温かなぬくもりとか、通う気持ちの意味合いとか。
 これがどういうものなのかを確かめるために。
 そうして何より、望む気持ちのままに。

 きっとまたすぐに、一緒の優しい時間を。





なんだろう、ええと・・・。
とりあえずたつみんに捧げてみる(温和眼鏡だから・笑)

あっちこっち臣っぽいような気もしますが、石塚さんです。
そのつもりなのですです。羽も尻尾も黒くもないのです。

なんかここのとこ久々にいいテンポの更新だなー。


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