おばかわんこな七題
一日中ぐずついた曇り空の火曜日。 放課後の学生会室にはいつも通りといえばいつもの通り、今日も順調に逃走している最中なので丹羽の姿はない。 そのうえ校内に配置している丹羽探索員からの姿発見報告が一向に入ないでいるため、副会長の機嫌はすこぶる悪い。 そんな最中。 「――――」 コツコツ、と。 入り口の扉がノックをされた途端、元々明るいとは云い難かった部屋の空気がぴしりと緊張して気温が下がって気圧が下がった。 そうして低気圧の発生元である学生会副会長中嶋の表情がにわかに険しさを増す。 そう、なぜならばこのノックの音は。 「こんにちは」 入室の許可を告げた覚えのない扉があっさりと外から開けられる。 学生会室の扉には日中は鍵が掛かっていないので開くか開かないかといえばあっさり開くのだが、鍵以上の効果を持つ恐ろしい存在が中にいるので、許可を待たずに扉を開けるなどという暴挙は一般生徒であればまず犯さない。 扉越しにもおそらくは感じられたであろう剣呑な気配を意にも介さず、開けられた扉の隙間から顔を覗かせたのは七条臣。 校内でこの二人の不仲を知らぬものはいない犬猿の仲の、中嶋の天敵である。 けれどもようやく書類から顔を上げて扉に視線を向ける中嶋を見返す七条の顔は、本来ならばありえないくらい好意的ににっこりと笑んでいる。 「………」 「失礼しますね」 帰れという念がこれでもかと込められた眼光もどこ吹く風。 七条はあっさりと扉を全開にして部屋の中へと入ってきた。 「なにをしに来た」 「あなたに会いに」 「………」 「冗談ですよ。探し物をしにきました」 無言で殺気を高める中嶋に、フフフと楽しそうに笑ってみせて。 少々演技がかった動作で七条は、ぐるりと学生会室の中を見回した。 「伊藤くんの携帯電話がこちらにありませんか?」 「なんだ使い走りか」 「はい」 悦に入った様子で、しかも即答する七条に。 うんざりと、ますます中嶋の半眼が細くなる。 天気は悪いし外は不快に蒸し暑い。 丹羽は逃走中でそのうえちっとも見つからない。 代わりにと捕まえた啓太は会計室へ届けものに行ったまま丸め込まれて帰ってこない。 代わりに現れた犬はこれ以上なく上機嫌。 「………」 今日はきっと日が悪いのだ。 こんな日は、やるべきことをこなしてさっさと帰るに限る。 そう結論付けた中嶋は、ひとつ息をついて落ち着きを取り戻した。 そうして浮かれた駄犬なんぞにいつまでも構っていられるかという体で、机の上においてあった啓太の携帯を(取り上げたわけではない。純粋にあのうっかり者が忘れていったのだ)手にとって、犬にボールを投げるような動作で七条の脇にあるソファの上にぽいっと投げる。 「持っていけ」 どういう反応を示すかと、嘲笑をこめた中嶋の声音に。 七条はにこにこしたまま軽くかがんでソファの上に転がっている携帯を手に取って、そのカバーに。 「―――……」 ちゅ、と。 愛おしげにキスをひとつ。 「………」 鬱陶しいものを見せられて、ますますうんざりと中嶋の眉間のしわが深まる。 本当に、今日はとことん日が悪い。 「それでは、名残惜しいですが僕はこれで」 「さっさと巣に帰れ」 「ええ、恋人が待っていますので」 いちいち気に障るテンションで気に障る返答をして、いそいそときびすを返す七条とやりあう気力など、もうあるはずも無く。 中嶋は正面に向き直ると気持ちを切り替えて作業を再開する。 今日中に片付けなければならない作業が、まだいくつか残っているのだ。 「――――」 再び開いた扉から、人の出て行く気配があって。 そうしてゆっくり、扉が閉まる。 「………」 キーボードを弾く手元の動きを止めて、数瞬の間をおいてから、中嶋は傍らの自分の携帯を手に取った。 発信履歴からひとつの番号を選んで通話ボタンを押す。 呼び出しのコールが2回。 慌てふためいた気配と一緒に電話が繋がった。 相手がなにか云う前に、中嶋は押さえつけるように声を発する。 「3分以内に丹羽を探せ。見つけられなかった場合などありえないとは思うがその場合は」 意味深に、呼吸をひとつ。 「分かっているな」 電話越しに聞こえてきた『ひぃぃぃぃぃ』という魂切れの声にほんの少しだけ機嫌を上昇させて。 満足げに通話解除ボタンを押した中嶋は、今度こそ目の前のパソコン画面に意識を戻した。 |